『パレード』の語り口
行定勲監督の映画を見るのは『go』以来のことになる。
『go』は金城一紀の直木賞受賞作を原作にした、在日韓国人高校生と日本人女子高生の恋を描いた青春もの。同じ在日韓国人を主役にしたものでも、『血と骨』や『パッチギ』が民族問題をストレートに、深刻な表情で取り上げていたのに比べると(それが成功したかどうかは別にして)、在日の問題を青春の悩みのひとつみたいな軽々とした手つきで扱っていたのに若い世代の感覚を感じた(原作もそこが新しかった)。
『go』もそうだったけど、その後、『世界の中心で、愛をさけぶ』とか『春の雪』とか小説を原作にした映画をつくっているのを眺めて、文芸ものをつくるのがうまい監督なんだなあと思っていた。いま、いちばん脂がのってる作家、吉田修一の『パレード』を原作にしたこの映画でもその印象は変わらない。
主人公の1人がマンションの部屋で目覚める冒頭。ヘリのぱたぱたいう音が遠く聞こえ、カーテン越しに揺らめく陽の光が彼に当たっている。その音と光の揺らぎが、見る者に不安を感じさせる。その後も、この映画は光をとてもうまく使っている。特に都会の人工光の明滅が主人公たちの心象を巧みに表現していると思った。
原作は、世田谷のマンションをルームシェアしている5人の若者がそれぞれ一人称で語るスタイルで書かれていた。映画もそれを踏襲している。映画会社勤務の会社員や学生、男からの電話を待っているだけの女など、男2人女2人の「ネットのチャットルームみたいな」関係。セックスと、相手の内部に踏み込むのはルール違反。それが嫌なら出てゆけばよい。
その部屋に、男娼をやっている年下の男が新たに仲間として入り込むことで、彼らの日常に小さな波紋が広がってゆく。マンションの近くで連続女性殴打事件が起こり、その犯人が男娼ではないかと疑いをかける。
原作は1990年代のTV番組やタレントの名前をちりばめながら5人の日常を語ってゆく。映画は、小説のおいしいセリフやエピソードを上手にまとめてる。ただ、小説は淡々とした日常にある瞬間、亀裂が走るところが吉田修一らしいところだけど、映画はどちらかというと犯人探しのミステリーに力点がおかれる。映画化に当たってそれは正解だったかもしれないけど、風俗小説の体裁を取りながらその裏側に潜む凄みが魅力を感じさせる、原作の力はやや薄くなった。
行定監督は語りがうまい。あるいは、うますぎる。だからだろう。揺らぐ光をうまく使った不安な映像も、それが表現として突出せず、スムースな語りのなかにこじんまりと収まってしまう。すごい、というより、うまい映画だな、という印象。
先週見たパク・チャヌクなら、そこをごりごり押し出す。『パレード』は今年のベルリン映画祭国際批評家連盟賞を、パク・チャヌクの『渇き』はカンヌ映画祭で審査員賞を取った作品だけど、僕の好みはパク・チャヌク。
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