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February 21, 2010

『抱擁のかけら』 赤いノワール

Broken_embraces

色彩あふれる官能的な映像で、ファンにはおなじみの愛と裏切りの物語が展開される。今回もアルモドバル節全開だなあと楽しんでいて、ふと、この映画、ノワールやハードボイルドの語りを意識してると気づいた。

『抱擁のかけら(原題:Los Abrazos Rotos)』は冒頭から謎や秘密がちりばめられている。盲目の脚本家ハリー・ケイン(ルイス・オマール)は、ある出来事をきっかけに、それ以前の名前を捨てた男。そのハリーのもとに、何かを秘めているらしい男、ライ・Xが訪ねてくる。これはハードボイルドのオープニングの定番。ライはハリーに、「父の記憶に復讐する息子の物語」の脚本に協力してくれるよう求める。

ハリーのそばには、かつて妻か恋人だったらしいエージェントのジュディットと息子のディエゴがいて、身の回りを世話している。家族のようにも見える3人の関係も、冒頭からしばらくは謎。

ライの訪問は、ハリーに過去を思い出させる。ハリーの机の奥には、美しい女の写真が隠されていた。ディエゴの興味に答えて、ハリーは過去を語り始める。この一人称の語りというスタイルもハードボイルドの定番。写真の女は、ハリーのかつての恋人レナ(ペネロペ・クルス)だった。

高級娼婦だったレナは、大企業のオーナー、エルネスト・マルテル(ホセ・ルイス・ゴメス)の愛人で、当時、映画監督だったハリーが企画する映画のオーディションに応募してきた。レナが初めてハリーを訪ねるシーン、ジュディットはハリーに、「美しすぎる女が来た」と伝える。ファム・ファタールの登場にふさわしい。

レナと、彼女を主役に抜擢したハリーは、映画の撮影が始まるとすぐに愛し合うようになる。それに気づいたエルネストは、映画に出資して2人を抑えにかかる。その上、父親に複雑な感情を持っている息子のライ・Xにビデオを持たせ、映画のメイキングをつくりながら2人を監視させる。

このあたりで見る者は、3人の愛がいずれ破局を迎え、ハリーが盲目になり名前を変えたのはそのせいだなと見当がついてくる。事故か、犯罪か? 

ノワールやハードボイルドの定石を踏まえた展開なんだけど、一見そう見えないのは、ひとつには華麗な色彩のせい。

ノワールやハードボイルドはモノクロームで光と影を際立たせ、カラーでも漆黒の描写を多用したものが多い。でもこの映画はそうではなく、撮影監督ロドリゴ・プリエト(『アモーレス・ペロス』『8mile』『バベル』)の撮るカラー映像が明るく、なんとも官能的だ。

スペインの風景、特にカナリア諸島の黒ずんだ大地に緑が散在する荒野を車が疾走するシーンなんかも美しい。ハリーとレナが車の中でキスしているメイキング映像の最終シーンに、現在のハリーの手が重なってくるショットや、小さく引きちぎられたハリーとレナの写真の切れ端が散乱しているショットも魅力的だ。また、ペネロペのスーツやハリー愛用の車、カーテンなど、アルモドバルの映画ではいつもそうだけど赤が意識的、かつ効果的に使われている。官能的な赤色。形容矛盾だけど、赤いノワールとでも呼びたいほどだ。

一見ノワールやハードボイルドに見えないもうひとつの理由は、アルモドバルらしく劇中映画をめぐる色んな仕掛けがほどこされていることかな。ハリーがレナを主演に撮っている映画は『謎の鞄と女たち』ってコメディなんだけど、この劇中映画はアルモドバルの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(未見)を下敷きにしているらしい。

この劇中映画の撮影中、ライ・Xはハリーとレナを執拗に追ってもう1本の劇中映画、メイキング映像をつくっている。それを見たエルネストが2人への嫉妬を燃えあがらせ破滅を招くんだけど、このメイキングはそれだけじゃなく、ライ・Xとエルネストの父子関係をも照らしだしている。

冒頭、ライが盲目になったハリーを訪れて、「父の記憶に復讐する息子の物語」を撮りたいと言ったのは、金持ちで抑圧的な父に対する感情に加えて、ライもまたレナに惹かれ、執着していたことを示してるんだろう。外見はヤワ、でも偏執的なこの脇役の存在が、映画の味付けになってる。

ほかにも映画による仕掛けがされている。ハリーとレナが部屋で見ているのはロッセリーニの『イタリア旅行』だ。イングリッド・バーグマンが美しい。彼女は、ポンペイで抱き合ったまま火山灰に埋もれた男女のミイラが掘り出されるのを見ているけれど、この抱き合ったまま死んだミイラはハリーとレナの愛の行方を暗示しているだろう。僕は気づかなかったけど、エンド・ロールにノワールの古典『ガン・クレイジー』もクレジットされていた。ハリーの部屋にポスターでも貼られていたんだろうか。

それにしてもアルモドバルの語り口はうまい。いかにもアルモドバルらしい愛と裏切りのストーリー・テリングは巧みだし、映像は美しいし、音楽もいかにもスペインふうだし。しかも最後には家族の再生に映画の再生を重ね、ファム・ファタール、ペネロペへの愛をハリーの記憶のなかにきちんと埋葬してみせる。かつてのアルモドバル映画の激情やバランスを無視したこだわりは薄くなったぶん、良くも悪くも成熟したんだろうか。

ペネロペをマリリン・モンローふうにブロンドにしてみたり、オードリー・ヘップバーンふうな髪型にしてみせたり、アルモドバルの彼女への偏愛だけは変わりませんが。


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