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January 17, 2010

ソウルの旅(1)

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ソウルへ小旅行してきた。一緒に行ったのは高校時代の友人2人。特に目的があったわけでなく、町歩きを楽しみ、安くておいしいものを食べようって程度。

もっとも町歩きには最悪の時期だったなあ。年末に105年ぶりの大雪が降り、歩道には融けずに凍った雪が残ってる。最高気温-7度、最低気温-16度って、一昨年いた真冬のニューヨークより寒い。つづけて外にいられるのは、せいぜい2時間だ。

初日は夕方、ホテル着。移動はすべて地下鉄なのでSuicaのようなTマネー・カードを買い(なぜかコンビニで売っている)、明洞(ミョンドン)に出る。風が氷のように冷たいけれど、繁華街の明洞は若い人でごったがえしている。若い女性は平気でミニスカートやホットパンツで歩いてる。

夕食は石焼ビビンバ発祥の店でユッケ、チジミと全州石焼ビビンバ。前菜に漬物や岩海苔の小皿がいくつも出てきて、おかわり自由なのは、韓国に来ていつも感激する。こういう習慣はなくなってほしくない。外へ出るとあまりに寒く、早々に引き揚げる。

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2日目は、伝統的な韓国式家屋「韓屋(ハンオク)」が残る三清洞(サムチョンドン)や北村(プッチョン)へ。

三清洞のメイン・ストリートは若者向けのカフェやショップが多いおしゃれな町になっている。そこから裏道に入ると、斜面に沿って韓屋の並ぶ道がつづいている。坂を上ると、屋根瓦の遠くに景福宮(キョンボックン)が見える(最初の写真)。

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三清洞は景福宮と昌徳宮(チャンドックン)というふたつの王宮にはさまれた丘陵にある。大統領官邸の青瓦台も近く、昔から支配階級が住む地域だった。支配層が住む韓屋は、屋根に瓦が使われていることで分かる。庶民の韓屋は藁ぶきだった。

どの家も手入れが良く、新しく建てられたらしい韓屋もある。韓屋は環境に優しいこと、アトピーなど健康にもよいということで見直されているようだ。「FOR SALE」とビラの貼られた韓屋もある。

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ヴェネツィア映画祭で最優秀監督賞を取った映画『うつせみ』(キム・ギドク監督)は、このあたりが舞台じゃないかと思う。この映画の原題は「空き家」。ソウルで空き家を見つけては忍び込み何日か過ごすことを繰り返している青年が、豪華な韓屋に入り込む。空き家だと思った韓屋には美しい人妻がいて、互いの存在を感じながら半日ほど過ごし、夜、ふたりは顔を合わせる。裕福で孤独な女と貧しく孤独な青年の、幻想的で痛い恋物語だった。

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北村の『冬ソナ』ロケ地などを横切って昌徳宮へ。小生、ソウルは4度目だけど、うち2回は仕事、1回はごく短い旅行だったので、ふつう観光客が行くところへあまり行ってない。ここも初めて。

昌徳宮は、景福宮に次ぐ朝鮮王朝第2の王宮。1592年、秀吉が朝鮮を侵略した文禄・慶長の役で燃失した後、再建され、景福宮が再建されるまでの270余年、ここで王が暮らし、執務していた。

仁政殿は、即位式や外国使節との接見など重要な国家的行事に使った正殿。現在の建物は1804年に再建されたもので、国宝になっている。

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煕政堂は王が日常を過ごした場所で、1920年に景福宮から移築された建物。

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楽善斎。妃のための住家。朝鮮王朝最後の皇太子・李垠の妃だった日本人皇族・方子(まさこ)が暮らした家でもある。2人の結婚は、朝鮮を併合した日本が「日韓融和」を装うための政略結婚だった。しかし夫妻の仲は良く、戦後、方子は韓国に帰化して障害者福祉活動の草分け的存在になり、1989年に亡くなった。

日本語でガイドしてくれた女性は、「文禄・慶長の役」について何も説明をしなかったし、朝鮮王朝の皇太子妃がなぜ日本人だったかも説明しなかった。日本から来た観光客に不快な思いをさせたくないという配慮からだろう。でも見学していた日本の若い子たちは、そういう歴史を知ってるんだろうか。「日帝」などと力むことはないけど(小生が初めて韓国に来た30年前には、何度か聞かされた言葉だ)、淡々と事実を説明してもいいんじゃないか。

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夜は新村の学生街へ。1986年にこの町へ来たとき、延世大学正門前は学生デモと警官隊が衝突した後で催涙弾の刺激が残り、涙が止まらなかった。

この年、ソウルでは2年後にオリンピックを控えてアジア大会が開かれた。開会式に出席するため訪韓した中曽根首相が、会談した全斗煥大統領と夜はカラオケを競った。そんなソウルの表情を取材するためにやって来たのだった。延世大学のキャンパスでは学生たちの話を聞いた。

それも遠い話。新村駅前は学生たちでにぎわっている。一軒の店に入り、おいしい牛カルビ、豚カルビをたらふく食う。おやじさんがつきっきりで焼くのを世話してくれた。3人で腹いっぱい飲み、食べて4万ウォン(約3500円)! いくら安いといっても、勘定を見て信じられず、一ケタ間違えて40万、「ボラれたかな」と一瞬思った。「お前、目が点になってたよ」と同行者。無口で穏やかなおやじさんを一瞬にしろ疑ってしまった。ごめん。

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同行のO君は立原道造の詩に曲をつけた歌曲集のCDを出している作曲家だけど、自称ミーハーの彼は韓国ポップスにも入れ込んでいる。

弘益大(弘大=ホンデ)前のロックのライブ・ハウスへ行くつもりが、ネット上のHPの地図が間違っていたらしく、どうしても見つからない。ギターを背負った若者グループに尋ねたら、あっちだよと教えてくれたけど、初歩的会話しかできない悲しさ、細かいことが分からず、さらに20分ほど探したがだめ。寒さに負けてあきらめる。

近くにジャズ・ライブの店、de Soldaがあったので入った。ベースのチャ・ホンがリーダーのピアノ・トリオ。客は2組3人。寂しいなあ。まあ、平日の六本木のジャズ・クラブも似たようなもんだけど。「Take the A Train」やビートルズを演奏していた。

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外へ出ると軒先にこんなツララが。寒い。


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