ソウルの旅(2)
この日はソウルを東西に流れる漢江(ハンガン)の南へ行くことになった。ソウル市の外辺をひとまわりする地下鉄2号線に乗ると漢江の手前で地上に出、川を渡る。漢江はすっかり凍結し、年末の雪が残っている。
奉天駅で降りる。今日も-5度くらいか。寒い。駅前はいかにも新開地の雰囲気。
目指したのは奉天洞(ポンチャンドン)。実は1986年にも、前回書いた取材のためここに来たことがある。まだ漢江の南は開発されておらず、移転してきたソウル大学近くの丘に、地方から出てきた人々が暮らす小さな家がびっしり並んでいた。丘を下ってしばらく行ったところに市場があり、露店がたくさん並んでいた。
そのとき撮った写真が出てきたのでアップしておこう。
これが1986年の奉天洞。斜面に、肩を寄せ合うように家が密集している。
全羅道や済州島から来た人が多かった。この日は日本のお盆に当たる秋夕(チュソク)で、女の子はチマ・チョゴリで着飾っている。
奉天洞の市場。
前回も書いたけど、このときはアジア大会が開かれるソウルの町の表情を取材に来た。延世大学の学生からは全斗煥政権への批判をずいぶん聞いたけれど(当時のことだから匿名を条件に)、奉天洞で話を聞いたアジュマ(おばさん)やハラボジ(じいさん)からは全政権への批判はなかった。アジア大会のメダルに期待する人もいたけど、多くはアジア大会にも2年後のソウル・オリンピックにも無関心だった。自分の生活で精一杯だったんだろう。
その奉天洞へ行ってみようと、地下鉄・奉天駅で降りた。当時、むろん地下鉄はない。ガイドブックに詳しい地図が載っているはずもなく、ソウル全体図を見ると奉天駅とソウル大入口駅の間に小さく奉天洞の地名がある。それだけを頼りに、駅から北東へ、ともかく歩いてみた。
駅前の商店街を抜け、4車線の広い道をふたつ渡って裏町に入ると、商店と住宅やアパートが混在している地域になる。曲がりくねった道の両側に、昨日行った三清洞の韓屋のような伝統的な、あるいは立派な住宅ではなく、特徴のない韓国式建売住宅のような建物が並んでいる。道は北に向けて上り坂になっていて、その先の斜面には高層アパートの群れが見える。
歩いてきたアジョシ(おじさん)に聞くと、ここは奉天洞だという。市場はどこにあるのか聞くと、あっちだと東を指差した。ということは、向こうに見える斜面の高層アパート群が86年に訪れた奉天洞の現在の姿だろうか。
確信が持てないまま東に歩くと、新しい4車線の道路があり、それを渡って裏へ入るといきなり市場が現れた。
ここだ。23年前に来たのはこの市場に違いない、と思った。
かつては露店が多かったけれど、今はきちんとした建物で、魚介類や肉や衣料品を売る店が並んでいる。
市場のすぐうしろの斜面にも高層アパートが建設されている。市場から近い丘はここと、先ほど見た2カ所しかない。あのとき訪れた丘は市場から少し離れていたから、やっぱりさっきの高層アパート群が23年前に訪れた場所だったんだ!
都市が膨張すると、地方から多くの人々を吸い寄せる。多くは低所得者層に属しているから町なかには住むことができず、開発されていない郊外に同郷の人々を頼って集まり、ささやかな家を建てて住むようになる。さらに都市が大きくなると、郊外が再開発される。住んでいた人々は、お金があれば市の中心部へ移り住むかもしれない。再開発された高層アパートに入居できるかもしれない。でもお金がないと、さらに外へと追いやられる。
アメリカでは「ジェントリフィケーション」(高級化?)などと呼ばれるこういう事態が、世界中の多くの都市で進行している。ソウルも例外ではない。23年前、カメラに笑いかけてくれたチマ・チョゴリの少女は、いまどこでどう暮らしているんだろう。幸せになってるといいけど。
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