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January 27, 2010

『Dr.パルナサスの鏡』 鏡の向こうは極楽?

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ヒース・レジャーが死んだという電話を受けたとき、テリー・ギリアム監督は、「これでこの映画は終わった」と思ったそうだ。無理もない。ヒースの出演を条件に資金を調達していたからだ(wikipedia)。そして「終わった」と同時に、「またしても」と思ったに違いない。

テリー・ギリアムは10年前にも「ドン・キホーテ」の映画化を企画し、クランク・インしたものの、主役の病気と突然の洪水でセットが失われたことで、撮影開始後6日で中止に追い込まれている。そのいきさつはドキュメンタリー『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で見ることができる。監督の苦悩の表情が忘れられない。呪われた監督?

でも今回、テリーはあきらめなかった。何とか映画を完成させようと、まず撮影されたヒースの映像をCGで処理して残りをつくることを考えた。次に、代役の起用を考えた。幸い、現実と鏡の向こうの幻想世界とに大きく分かれた構成のなかで、現実の場面だけは撮影を終えていた。トム・クルーズが代役に興味を示したけれど、監督はヒースと関係が深い役者を起用することにこだわって、オファーを断った。

結局、『ラスベガスをやっつけろ』でギリアム作品に出たことのあるジョニー・デップ、ヒースと親しかったコリン・ファレルとジュード・ロウが役を引き継ぐことになった。いちばん大変だったのは『パブリック・エニミーズ』撮影中のジョニーで、監督は彼に1日と3時間だけ空けてくれ、と頼んだそうだ。だからジョニーの出演シーンはすべてワン・テイクの撮影。

そのせいではないだろうけど、完成した『Dr.パルナサスの鏡(原題:The Imaginarium of Doctor Parnassus)』、僕には圧倒的にヒースが出ている現実シーンのほうが面白かった。現代のロンドンに、怪しげな移動舞台を載せた旅芸人の馬車がやってくる。馬車が止まるのは、クラブがある高架鉄道脇の空地だったり、高速道路下の空虚な空間だったり、現代的な空間と19世紀の見世物みたいにいかがわしい移動舞台の取り合わせが面白い。

そんな異種混交の風景を背景に、ヒース(記憶喪失した謎の青年)はじめ、クリストファー・プラマー(1000歳になる不死のDr.パルナサス)、トム・ウェイツ(悪魔)、ヴァーン・トロイヤー(小人)といったクセのある役者たちが絡みあうグロテスクな楽しさ。

それに比べると鏡の向こうの世界は、最初の幻想シーン、空を漂う巨大クラゲに連れられて地球を見下ろす宇宙空間に行ったかと思うと、一瞬で地上に引き戻され、空想の城みたいなギーガー的風景に取り巻かれるあたりは新鮮だったけど、たび重なるうちに慣れてしまい、まあそんなものか、と驚きが少なくなってしまった。

こっちの感受性の問題かもしれないけど、僕の記憶では前作『ローズ・イン・タイドランド』や『ブラザーズ・グリム』の毒々しくエロティックな幻想世界のほうが刺激的だった。この映画の鏡の向こうの世界は、それに比べるとディズニーランドふうというか、極彩色のお気楽世界みたいな感じ。トム・ウェイツの悪魔も愛嬌あるし。もっとも、現実世界こそ怪しげで、鏡の向こうはけっこう能天気な極楽世界っていうのも悪くないか。

ともあれ、ヒースの死で中断されかかったこの作品を、ジョニーやジュード、コリンといった友人たちの協力で完成させたギリアム監督を寿ぎたい。そうでなかったら、莫大な借金を背負って再起不可能になったろうし、こうしてヒースの最後の姿を見られることもなかったんだから。


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別所沼の葦

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葦の穂が逆光の朝日に輝いていた。別所沼で。

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ロウバイの花。漢字では蝋梅と書き、「花弁が蝋のような色で、かつ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲く」(wikipedia)ことから、この名がつけられたという。

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根元から伐られた曙杉(メタセコイア)の株。

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January 24, 2010

浦和ご近所探索 与野の大カヤ

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わが家から往復1時間をメドにつくった散歩道4コースのひとつが、旧与野市の妙行寺境内にある大カヤを目標にする道。

根回り13.5メートル。樹高21.5メートル。応永年間(1394~1427)には、すでに「関東随一の巨木」として知られていた。樹齢約1000年。

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1000年前といえば平安時代。藤原道長が権勢をふるい、1010年には「紫式部日記」が書かれている。当時、このあたりは武蔵国の小さな村だったろう。以来、このカヤの木は人々の営みをずっと物言わず見つめてきたわけだ。

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大カヤに行くまでの県道は、北浦和駅前から荒川に向かう数キロにわたるケヤキ並木。冬、葉が落ちて裸になったケヤキの姿が好きだけど、大きくなりすぎ幹を剪定された様子は無残に見える。

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近くの小学校の庭にある白梅は、もう満開だ。


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January 22, 2010

『板尾創路の脱獄王』 逆さ富士の刺青

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最近、テレビのバラエティやお笑いをほとんど見ない。だから板尾創路(いつじ)は顔に覚えがある程度で、名前も知らなかった。本屋で『板尾日記』をぱらぱら見たことはあったけど、買うほどの意欲は湧かなかった。

僕が板尾創路を初めて認識したのは映画『空気人形』。ファンからすれば、遅い、なにをいまさら、って言われそうだな。主演のペ・ドゥナが圧倒的な存在感で演じたダッチワイフの人形に、外見はおとなしい独身男の板尾がねっとりした愛をそそぐ。その変態ぶりがなかなかよかった。

『板尾創路の脱獄王』は板尾の主演・脚本・監督作品。時代設定は昭和初期とくれば、いやでも「日本の脱獄王」白鳥由栄を思い出す。つい数カ月前、亡くなった草森紳一の『「穴」を探る』で彼のことを読んだばかりだった。白鳥は、昭和10年に逮捕され昭和36年に仮出獄するまでの26年間に4回の脱獄を成功させた。

草森は書いている。「脱獄にくらべれば、いかに官憲の目が鋭かろうと、逃亡したまま一生を終えるほうが、はるかに楽である。ひょっとすると『脱獄』そのものにとりつかれ、わざと逮捕されるからではないのか。だとすれば、箱抜けの奇術師の情熱に近い」。

映画の「脱獄王」鈴木(板尾創路)も、脱獄すると必ず線路際を逃げて「わざと逮捕される」。とすれば、その「情熱」はどこから来るのか?

映画は、脱獄王・鈴木がどんな手口で脱獄し、どう「逮捕されるのか」、何回もの脱獄シーンを短編を連ねるように繰り返しながら、その「情熱」のありかを少しずつ明らかにしていく。もっともこの映画、タイトルからして『キートンの××』とか『チャップリンの××』とか無声映画時代の喜劇を思い出させるように、リアリズムに徹してるわけじゃない。

冒頭、脱獄した鈴木が刑務所の屋根に仁王立ちになり、稲妻に照らされた顔にタイトルが重なるあたり、ガキのころたくさん見た活劇映画のテイスト。カンフー・アクションでひらりひらりと刑務所内を逃げ回ったりもする。一言も言葉を発しない板尾創路はキートンみたいだし、かと思うと、懲罰に鎖で吊るされながらいきなり中村雅俊の「ふれあい」を歌いだし、ミュージカル仕立てになったのには笑ってしまった。

ラスト近く、脱獄を繰り返した鈴木が、絶海の孤島「監獄島」に島送りになるあたり、白い波の彼方に不気味な島影が揺れる映像も、ガキのころ似たようなショットを見た記憶がある。

その一方で、鈴木が獄中で受ける虐待はリアル。もっとも、そのリアルも度が過ぎて、手錠の擦過傷にウジが湧き、羽化するグロテスクなショットもあったりする。そんなふうに基本はリアリズムの顔をしながら、突然シュールになったり冒険活劇になったり、その落差がおかしい。その落差のおかしみを、板尾は無言のままわずかな表情の変化で演じてみせる。そのあたりが、この作品のキモになってるね。

(以下、ネタバレです)脱獄の「情熱」がどこから来たか? 逆さ富士の刺青(なぜ逆さ富士なのか、これも笑える)を伏線にして、ラストで「父恋い」が明らかになるけど、そこをもうひとつはずしてオチにするあたり、いかにも板尾らしい。けど、そこまではずすか? 

予告編には、本編に出てこない獄衣を着た女優とのラブシーンがある。しかも女優の背中には、映画のキーである富士の刺青が入っている。これって板尾の遊びなのか? それとも公開直前に編集しなおして削ったのか? 色んな思いを誘発する、おかしな映画ではあります。


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January 20, 2010

ソウルの旅(4)

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夕闇がせまるころ、ホテルの部屋から外を見ると、びっしりつづく家並みに灯りがともっている。繁華街からそう遠くないのに、下町の雰囲気。

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ホテル隣の狭い路地にはモーテルもあり、温泉マークのネオンが輝いている(写真には写ってないけど)。

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翌朝、起きると外は雪だった。ホテル周辺は、照明器具や家具の卸問屋が並ぶ。東京でいえば御徒町か田原町の感じかな。

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ホテルのある乙支路(ウルチロ)は、日本統治時代には黄金町という日本人街だった。当時、表通りは近代建築が建っていたが、裏通りには日本式木造住宅がたくさんあったらしい。戦後、そういうなりたちを残したまま市街地整理をしなかったために、こんなごちゃごちゃした町並みになったんだろう。

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幅2メートルもない路地が、右に左に迷路のようにくねっている。抜けようとすると、すぐ行き止まる。

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裏道を歩いていると、モツの串焼きを煮込んでいる店から暖かそうな湯気が立っていた。

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雪はすぐに止み、最後に明洞(ミョンドン)へ。O君が女友達から頼まれた化粧品HANSKINを探して3軒ほど回ったが、どこも品切れだった。日本人にすごい人気らしい。緑豆のピンデトック(お焼き)と参鶏湯(サムゲタン)を食べ、お茶を飲んで、ソウルとお別れ。

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January 19, 2010

ソウルの旅(3)

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奉天洞(ポンチャンドン)からは地下鉄・ソウル大入口に出て2号線に乗り、三成(サムソン)駅で降りた。江南(カンナム)駅からこのあたりにかけて、最近20年ほどで開発された漢江(ハンガン)南岸の新興繁華街だ。

三成駅の周辺には、高層のオフィス・ビルやホテルがいくつも建っている。目的は、そうしたビルのひとつ「コエックス・モール」(上の写真)。ショッピング・センターやデパート、水族館、シネコンが入ったアミューズメント・センターだ。

ショッピング・センターには大きなCDショップが入っている。そこへ行きたいというのが同行の音楽家、O君の希望だった。彼は以前にもこの店に来たことがある。

店を見つけると、O君は他に目もくれずK-popのコーナーに張りついたきりになった。彼はジャンルとしてはクラシックの作曲家だけど、ロック・グループでピアノを弾いたこともあり、今はK-popに入れ込んでいる。

O君は、女性歌手のキム・ウナ、waxのCDと、「ジャケ買い」で7、8枚買い込んだ。僕も経験があるけど、リスクの大きい「ジャケ買い」で当たりだったときの喜びは大きい。

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僕が買ったのは2枚。1枚はO君のお勧めで、ジャウリムというロック・グループの「ashes to ashes」。彼が買ったキム・ウナは、もともとジャウリムのリード・ヴォーカルなんですね。

「ashes to ashes」とは「灰は灰に」、キリスト教で死者を埋葬するときの祈祷の言葉だ。そのタイトルや黒いジャケット(上の写真の右)からも想像できるように、明るくダンサブルな音楽じゃなく、暗く、重い。ささやくように始まるブルージーな「seoul blues」。印象的なメロディが繰り返される「loving memory」。アルバムでいちばんポップな曲「you and me」には奇妙な魅力がある。「OH! MAMA」はジョン・レノンみたい。

いずれもキム・ウナの作詞作曲。他の曲もメンバーのオリジナルだ。僕はロックに詳しくないけど、ジャンル分けするならプログレッシブということになるのかな。

買ったもう1枚は、李美子(イ・ミジャ)の2枚組ベスト(上の写真の左)。李美子は「韓国の美空ひばり」と呼ばれた、韓国歌謡を代表する歌手だ。30年前に福岡のショーに来日すると聞いて、インタビューに出かけたことがある。

もう活動していないのかと思ったら、デビュー50周年を記念するCDボックスが出ていた。買ったのはそれとは別で、1曲目に僕のいちばん好きな「冬栢(トンベ)アガシ」が入っている。この曲、レコードで持っていたけどプレイヤーをしまいこんでしまったので、すぐに聞くことができない。

「冬栢アガシ」は、ゆったりと、悲しい恋唄。美空ひばりでいえば「哀愁波止場」に当たるかな。「真っ赤な太陽」から「川の流れのように」まで、いろんな曲を歌うひばりの幅はないけど、歌に込める感情の深さはひばり以上だと僕は思っている。なかでも「冬栢アガシ」は何度聞いても素晴らしい。この歌は発表当時、「倭色」、日本風だということで歌唱禁止曲になったことがある。

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ふたたび地下鉄に乗り、ホテルのある乙支路(ウルチロ)4街へ。これで外環状線の2号線を一周したことになる。山手線や大江戸線より大きな環状線で、ひとまわり乗っても4000ウォン(320円。2000ウォンと書いたけど、N君の指摘を受けて訂正しました)。環状線を一周し、Suicaに相当するTマネーカードの使い方もマスターして、同行のN君は興奮している。彼は東京の地下鉄全駅の全階段踏破をめざす「地下鉄巡礼団」の副団長なのだ。

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夕飯は鐘路と乙支路の間にある広蔵市場(クァンジャン・シジャン)に行くことにした。有名な南大門や東大門の市場には行ったことがあるし、ここならホテルから歩いて10分とかからない。

広蔵市場は1905年に常設市場として開かれた古い市場だ。衣料品、海産物、肉、干物、漬物と、日々の生活に必要なものなら何でも売っている。暗くなると、通路にずらりと屋台が店開きする。

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「ここにしよう」と決めて座ったのは魚介の屋台。韓国焼酎チャミスルを頼むと、お通しにアワビが出てきてびっくり。刺身はそのアワビに、ツブ貝、白身、赤身、タコなどを皿いっぱいに盛り合わせて2万ウォン(1600円)。アーケードはあるにしても寒いんじゃないかと思ったら、ベンチは電気毛布(?)で暖房してあり、ぽかぽか。ひとりで切り盛りしている、若く素敵なオモニ(お母さん)が膝かけも貸してくれた。

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鍋に盛られた具。

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トウガラシの粉。

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もう一軒行こうよ、と座ったのがチジミやピンデトック(お焼き)の店。こちらは元気のいいお母ちゃんがやってます。焼酎よりマッコリを飲んでる人が多い。山盛りのピンデトックやチジミで一皿5000ウォン(400円)。魚介や肉の屋台よりこちらのほうが人が多いのはなんでかと思ったら、安いんですね。1人8000ウォン(640円)もあれば、たっぷり食べて酔っぱらえます。

「東京にこんなのがあったら毎日来ちゃうな」とN君。大満足でホテルまでそぞろ歩いた夜でした。

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January 18, 2010

ソウルの旅(2)

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この日はソウルを東西に流れる漢江(ハンガン)の南へ行くことになった。ソウル市の外辺をひとまわりする地下鉄2号線に乗ると漢江の手前で地上に出、川を渡る。漢江はすっかり凍結し、年末の雪が残っている。

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奉天駅で降りる。今日も-5度くらいか。寒い。駅前はいかにも新開地の雰囲気。

目指したのは奉天洞(ポンチャンドン)。実は1986年にも、前回書いた取材のためここに来たことがある。まだ漢江の南は開発されておらず、移転してきたソウル大学近くの丘に、地方から出てきた人々が暮らす小さな家がびっしり並んでいた。丘を下ってしばらく行ったところに市場があり、露店がたくさん並んでいた。

そのとき撮った写真が出てきたのでアップしておこう。

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これが1986年の奉天洞。斜面に、肩を寄せ合うように家が密集している。

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全羅道や済州島から来た人が多かった。この日は日本のお盆に当たる秋夕(チュソク)で、女の子はチマ・チョゴリで着飾っている。

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奉天洞の市場。

前回も書いたけど、このときはアジア大会が開かれるソウルの町の表情を取材に来た。延世大学の学生からは全斗煥政権への批判をずいぶん聞いたけれど(当時のことだから匿名を条件に)、奉天洞で話を聞いたアジュマ(おばさん)やハラボジ(じいさん)からは全政権への批判はなかった。アジア大会のメダルに期待する人もいたけど、多くはアジア大会にも2年後のソウル・オリンピックにも無関心だった。自分の生活で精一杯だったんだろう。

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その奉天洞へ行ってみようと、地下鉄・奉天駅で降りた。当時、むろん地下鉄はない。ガイドブックに詳しい地図が載っているはずもなく、ソウル全体図を見ると奉天駅とソウル大入口駅の間に小さく奉天洞の地名がある。それだけを頼りに、駅から北東へ、ともかく歩いてみた。

駅前の商店街を抜け、4車線の広い道をふたつ渡って裏町に入ると、商店と住宅やアパートが混在している地域になる。曲がりくねった道の両側に、昨日行った三清洞の韓屋のような伝統的な、あるいは立派な住宅ではなく、特徴のない韓国式建売住宅のような建物が並んでいる。道は北に向けて上り坂になっていて、その先の斜面には高層アパートの群れが見える。

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歩いてきたアジョシ(おじさん)に聞くと、ここは奉天洞だという。市場はどこにあるのか聞くと、あっちだと東を指差した。ということは、向こうに見える斜面の高層アパート群が86年に訪れた奉天洞の現在の姿だろうか。

確信が持てないまま東に歩くと、新しい4車線の道路があり、それを渡って裏へ入るといきなり市場が現れた。

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ここだ。23年前に来たのはこの市場に違いない、と思った。

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かつては露店が多かったけれど、今はきちんとした建物で、魚介類や肉や衣料品を売る店が並んでいる。

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市場のすぐうしろの斜面にも高層アパートが建設されている。市場から近い丘はここと、先ほど見た2カ所しかない。あのとき訪れた丘は市場から少し離れていたから、やっぱりさっきの高層アパート群が23年前に訪れた場所だったんだ!

都市が膨張すると、地方から多くの人々を吸い寄せる。多くは低所得者層に属しているから町なかには住むことができず、開発されていない郊外に同郷の人々を頼って集まり、ささやかな家を建てて住むようになる。さらに都市が大きくなると、郊外が再開発される。住んでいた人々は、お金があれば市の中心部へ移り住むかもしれない。再開発された高層アパートに入居できるかもしれない。でもお金がないと、さらに外へと追いやられる。

アメリカでは「ジェントリフィケーション」(高級化?)などと呼ばれるこういう事態が、世界中の多くの都市で進行している。ソウルも例外ではない。23年前、カメラに笑いかけてくれたチマ・チョゴリの少女は、いまどこでどう暮らしているんだろう。幸せになってるといいけど。


 

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January 17, 2010

ソウルの旅(1)

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ソウルへ小旅行してきた。一緒に行ったのは高校時代の友人2人。特に目的があったわけでなく、町歩きを楽しみ、安くておいしいものを食べようって程度。

もっとも町歩きには最悪の時期だったなあ。年末に105年ぶりの大雪が降り、歩道には融けずに凍った雪が残ってる。最高気温-7度、最低気温-16度って、一昨年いた真冬のニューヨークより寒い。つづけて外にいられるのは、せいぜい2時間だ。

初日は夕方、ホテル着。移動はすべて地下鉄なのでSuicaのようなTマネー・カードを買い(なぜかコンビニで売っている)、明洞(ミョンドン)に出る。風が氷のように冷たいけれど、繁華街の明洞は若い人でごったがえしている。若い女性は平気でミニスカートやホットパンツで歩いてる。

夕食は石焼ビビンバ発祥の店でユッケ、チジミと全州石焼ビビンバ。前菜に漬物や岩海苔の小皿がいくつも出てきて、おかわり自由なのは、韓国に来ていつも感激する。こういう習慣はなくなってほしくない。外へ出るとあまりに寒く、早々に引き揚げる。

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2日目は、伝統的な韓国式家屋「韓屋(ハンオク)」が残る三清洞(サムチョンドン)や北村(プッチョン)へ。

三清洞のメイン・ストリートは若者向けのカフェやショップが多いおしゃれな町になっている。そこから裏道に入ると、斜面に沿って韓屋の並ぶ道がつづいている。坂を上ると、屋根瓦の遠くに景福宮(キョンボックン)が見える(最初の写真)。

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三清洞は景福宮と昌徳宮(チャンドックン)というふたつの王宮にはさまれた丘陵にある。大統領官邸の青瓦台も近く、昔から支配階級が住む地域だった。支配層が住む韓屋は、屋根に瓦が使われていることで分かる。庶民の韓屋は藁ぶきだった。

どの家も手入れが良く、新しく建てられたらしい韓屋もある。韓屋は環境に優しいこと、アトピーなど健康にもよいということで見直されているようだ。「FOR SALE」とビラの貼られた韓屋もある。

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ヴェネツィア映画祭で最優秀監督賞を取った映画『うつせみ』(キム・ギドク監督)は、このあたりが舞台じゃないかと思う。この映画の原題は「空き家」。ソウルで空き家を見つけては忍び込み何日か過ごすことを繰り返している青年が、豪華な韓屋に入り込む。空き家だと思った韓屋には美しい人妻がいて、互いの存在を感じながら半日ほど過ごし、夜、ふたりは顔を合わせる。裕福で孤独な女と貧しく孤独な青年の、幻想的で痛い恋物語だった。

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北村の『冬ソナ』ロケ地などを横切って昌徳宮へ。小生、ソウルは4度目だけど、うち2回は仕事、1回はごく短い旅行だったので、ふつう観光客が行くところへあまり行ってない。ここも初めて。

昌徳宮は、景福宮に次ぐ朝鮮王朝第2の王宮。1592年、秀吉が朝鮮を侵略した文禄・慶長の役で燃失した後、再建され、景福宮が再建されるまでの270余年、ここで王が暮らし、執務していた。

仁政殿は、即位式や外国使節との接見など重要な国家的行事に使った正殿。現在の建物は1804年に再建されたもので、国宝になっている。

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煕政堂は王が日常を過ごした場所で、1920年に景福宮から移築された建物。

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楽善斎。妃のための住家。朝鮮王朝最後の皇太子・李垠の妃だった日本人皇族・方子(まさこ)が暮らした家でもある。2人の結婚は、朝鮮を併合した日本が「日韓融和」を装うための政略結婚だった。しかし夫妻の仲は良く、戦後、方子は韓国に帰化して障害者福祉活動の草分け的存在になり、1989年に亡くなった。

日本語でガイドしてくれた女性は、「文禄・慶長の役」について何も説明をしなかったし、朝鮮王朝の皇太子妃がなぜ日本人だったかも説明しなかった。日本から来た観光客に不快な思いをさせたくないという配慮からだろう。でも見学していた日本の若い子たちは、そういう歴史を知ってるんだろうか。「日帝」などと力むことはないけど(小生が初めて韓国に来た30年前には、何度か聞かされた言葉だ)、淡々と事実を説明してもいいんじゃないか。

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夜は新村の学生街へ。1986年にこの町へ来たとき、延世大学正門前は学生デモと警官隊が衝突した後で催涙弾の刺激が残り、涙が止まらなかった。

この年、ソウルでは2年後にオリンピックを控えてアジア大会が開かれた。開会式に出席するため訪韓した中曽根首相が、会談した全斗煥大統領と夜はカラオケを競った。そんなソウルの表情を取材するためにやって来たのだった。延世大学のキャンパスでは学生たちの話を聞いた。

それも遠い話。新村駅前は学生たちでにぎわっている。一軒の店に入り、おいしい牛カルビ、豚カルビをたらふく食う。おやじさんがつきっきりで焼くのを世話してくれた。3人で腹いっぱい飲み、食べて4万ウォン(約3500円)! いくら安いといっても、勘定を見て信じられず、一ケタ間違えて40万、「ボラれたかな」と一瞬思った。「お前、目が点になってたよ」と同行者。無口で穏やかなおやじさんを一瞬にしろ疑ってしまった。ごめん。

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同行のO君は立原道造の詩に曲をつけた歌曲集のCDを出している作曲家だけど、自称ミーハーの彼は韓国ポップスにも入れ込んでいる。

弘益大(弘大=ホンデ)前のロックのライブ・ハウスへ行くつもりが、ネット上のHPの地図が間違っていたらしく、どうしても見つからない。ギターを背負った若者グループに尋ねたら、あっちだよと教えてくれたけど、初歩的会話しかできない悲しさ、細かいことが分からず、さらに20分ほど探したがだめ。寒さに負けてあきらめる。

近くにジャズ・ライブの店、de Soldaがあったので入った。ベースのチャ・ホンがリーダーのピアノ・トリオ。客は2組3人。寂しいなあ。まあ、平日の六本木のジャズ・クラブも似たようなもんだけど。「Take the A Train」やビートルズを演奏していた。

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外へ出ると軒先にこんなツララが。寒い。


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January 11, 2010

『海角七号⁄君想う、国境の南』 背後のテーマ群

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「コンサートもの」とでも呼べばいいのかな、主人公が紆余曲折をへてコンサートを成功させる音楽映画が流行ったきっかけは、1996年のイギリス映画『ブラス!』あたりだったろうか。群像劇プラス音楽映画の面白さがあり、どんな困難が待ち受けるかに社会背景がからむ。

日本でも『リンダ・リンダ・リンダ』『スイング・ガールズ』といった作品が記憶に残る。どちらも、とてもよくできた映画だけど、社会背景が希薄なのは良くも悪くもこの国の状況を反映しているんだろう。新しいところでは、ドキュメンタリーながら老年世代に光を当てた『ヤング@ハート』が素敵だった。『海角七号⁄君想う、国境の南(原題:海角七号)』は、そんな映画の台湾版。台湾映画史上No.1のヒット作になった。

これまで国際的に評価の高かったホウ・シャオシェンやエドワード・ヤン、ツァイ・ミンリャンの映画は、台湾では必ずしも多くの人々に見られていたわけではない。僕が15年前にホウ・シャオシェン・ロケ地ツアーのガイドをやったときも、彼の映画を見ている台湾人には、関係者を除けばほとんど出会わなかった。

台湾でインディペンデントに映画をつくる環境は貧しかったから、彼らは海外の映画祭に出品し、賞を得ることで日本やフランスから次回作の資金を調達するという戦略を取った。アート色が濃いそれらの映画、台湾での興行成績は、映画が台湾の政治を動かした画期的な作品『悲情城市』を除いてさほどよくない。

『海角七号⁄君想う、国境の南』は、質の高いエンタテインメントをつくることによって海外の映画祭で高い評価を得、台湾でも興行的に成功したことで、台湾映画に新しい局面を開いたと思う。

舞台は台湾最南端の町、恒春。台北でロックシンガーとして失敗し、夢破れた阿嘉(ファン・イーチン)がバイクで故郷に向かう。都会を離れ、バイクを走らせるにつれヤシなど南国の樹木が多くなる。冒頭のわずかなショットで、都市と地方というこの映画の主題のひとつをそれとなく示し、映画の背景となる南の風景を、これがこの映画の空気だよと教える。監督は長編1作目のウェイ・ダーション。

恒春では外部資本(台北資本?)のリゾート・ホテルが日本人歌手、中孝介のコンサートを企画している(中は実際に台湾で人気者)。町の実力者が横やりを入れてきて、前座に地元のバンドを使うよう強要する。公開オーディションが開かれ、阿嘉をリーダーに老若男女入り混じった臨時バンドが結成される。

恒春で仕事していた日本人モデル友子(田中千絵)が、バンドの面倒を見ることになる。友子はことあるごとに阿嘉に反発しながらも、彼に惹かれてゆく。そんなストーリーが時にコミカルなシーンを交えて語られる。

さらに、過去が重なる。郵便配達を始めた阿嘉が家に持ち帰った宛先不明の手紙は、植民地支配が終わった1945年、台湾から日本へ戻った日本人教師から、教え子で恋人だった台湾女性(彼女は小島友子という日本名を与えられている)に宛てたラブレターだった。朗読されるラブレターと引揚げ船の映像がインサートされ、現在の阿嘉と友子の心模様と二重映しになってくる。

そんな歴史意識の問題だけでなく、この映画には現在の台湾が抱えるいろんな主題が盛り込まれている。エンタテインメント映画だから深く掘り下げられるわけでないけれど、このあたりの描き方が日本の「コンサートもの」とは違う。

外部資本のホテル支配人と町の実力者が対立する、都市対地方というテーマ。バンド・メンバーの一人は漢民族ではなく少数民族として設定される、漢民族と少数民族の融和というテーマ(主役のファン・イーチンと、もうひとりバンド・メンバーになる役者は、実際に少数民族の血を引く)。

植民地時代に日本名を名乗らされていた台湾女性の姓は「小島」。監督は、この姓に小さな島である台湾を重ねたとインタビューに答えている。本人として出演する中孝介も奄美大島出身で島唄を基本とする歌手だから、「島」というのもテーマのひとつ。ホテルの女性従業員は日本嫌いで友子に冷たいのだけれど、その理由は遂に明らかにされない。

それらが重なって全体として台湾が置かれている現在が浮かび上がってくる。それが台湾の観客にとってもリアリティとして感得されたんじゃないかな。台湾語、北京語、日本語と3つの言語が飛び交うのも、現実をそのまま反映している。

監督のウェイ・ダーションはエドワード・ヤンの助監督を務めていた。そんな気配は見せず、エンタテインメントに徹した作品に仕上げたのは、キム・ギドクの助監督チャン・フンが壮絶なアクション『映画は映画だ』をつくったのに似ている。

もっとも、次回作は霧社事件をテーマにした『賽鄹克・巴莢』だという。『海角七号』は全体として親日的な空気に包まれているけど、霧社事件は日本植民地時代に少数民族が蜂起した事件だ。どう転んでもエンタテインメントにはならない。『海角七号』でさらりとスケッチされたテーマ群が、反転して前面に出てくるのだろうか。興味がある。


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January 10, 2010

浦和ご近所探索 別所沼・1月

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わが家から20分ほど歩いたところに別所沼がある。よく歩く散歩コースが4つあり、そのひとつ。20年ほど前には小さかった子供を連れて、よくフナやクチボソを釣りに行った。

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別所沼へは常盤緑道と呼ばれる遊歩道を歩いていく。小生がガキだった1950年代、ここには別所沼まで細い川が流れていた。もっとも生活排水が流れ込むドブ川で、ザリガニもいなかったけれど。その後、60年代に川に蓋がされ、遊歩道がつくられた。

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市が管理する遊歩道には緑が植えられ、季節ごとに色んな花を咲かせる。それだけでなく、住民が勝手に草花を植えて世話をしているみたいだ。

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別所沼は灌漑用水として人工的につくられた。それがいつごろなのか定かでないが、明治以後ではないようだから、低地だったこのあたりの新田開発が進んだ江戸中期かもしれない。

別所沼は、浦和の市街地がある台地の際に位置している。ガキのころは、台地から坂を下ると一面の水田で、フナやザリガニを釣って遊んだ。埼京線が通ってからは、宅地開発が進んでいる。

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正月休みが明けた週末。みな、おだやかな日差しを楽しんでいる。

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January 05, 2010

『パブリック・エネミーズ』のフェティッシュ

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1930年代、大恐慌下のアメリカで悪玉ヒーローになった銀行強盗ジョン・デリンジャー(ジョニー・デップ)が、恋人ビリー(マリオン・コティヤール)に初めて会ってダンスするシカゴのクラブ。バンドづきの歌手が「バイ・バイ・ブラックバード」を歌っている。20年代のヒット曲で、後にマイルス・デイヴィスの名演でジャズ・ファンにはおなじみになった曲。おや、聴いたことのある歌声だなと思ったら、ダイアナ・クラールのカメオ出演じゃありませんか。

誰も僕を分かってくれない、と恋人に訴える内容の「バイ・バイ・ブラックバード」が、ラスト・シーンで泣かせる仕掛けとして使われている。

その直前、デリンジャーが密告されているのも知らずに入る映画館では、クラーク・ゲーブルの『マンハッタン・メロドラマ』が上映されている。劇中のゲーブルが「バイ!」と告げる別れの挨拶がジョンの気持ちに重なるのを、見ている者は感じてしまう。

そんな仕掛けや、30年代を象徴する大道具小道具の使い方が憎いほどうまいなあ。本物のスチュードベーカーの車が動いてメタリックな輝きを放ってる。無数のランプが灯り、コードが絡み合う電話交換室のビジュアルも見応えがある。フェティッシュな映像。デリンジャーが襲うファースト・ナショナル銀行や、銃撃戦の舞台リトル・ボヘミア・ロッジ、映画館のバイオグラフ・シアターなんかも、当時のまま残っている建物を使ってロケしている。

TVの『マイアミ・バイス』で名を上げたマイケル・マンを、けっこう面白い映画つくるなあと見直したのは『コラテラル』だった。それまではデ・ニーロとアル・パチーノ2大スター共演の『ヒート』はじめ、凡庸な監督って印象しかなかったからなあ。『コラテラル』ではじめて、激しいアクションのなかにトム・クルーズ演ずるクールな殺し屋の虚無をさらりと描いてみせる、独特のスタイルをつくったように思えた。映画版『マイアミ・バイス』や、この『パブリック・エネミーズ(原題:Public Enemies)』でも、その基調は変わらない。

細かく揺れる手持ちカメラで、時には近づきすぎて顔がゆがむほどクローズアップを重ねる画面。対照的に空や森が美しいロング・ショット。闇の艶やかさも素敵だ。発射音がずしんと響く銃撃戦も迫力があって、ノワール系アクション映画のツボを心得てる。撮影は『ヒート』『LAコンフィデンシャル』のダンテ・スピノッティ。

ビリーとの愛を絡めながら、銀行を襲い、捕まっても脱獄するデリンジャーと、彼を追うFBIのハーヴィス捜査官(クリスチャン・ベイル)との追跡劇が快いテンポでラストに向かってゆく。アクション映画として、たっぷり楽しめる。ただし、マイケル・マンのことだからスタイルが先に立ち、肝心のデリンジャーをはじめとする人物造形はいかにも弱い。

1973年にジョン・ミリアスが監督し、ウォーレン・オーツが主演した『デリンジャー』を見てるからなあ。ミリアス版の、殺伐とした時代のリアルな空気、何かに追われるように逃げつづけるデリンジャーの姿は忘れがたい。それに比べれば、マイケル・マン版はラブロマンスの色が濃く、甘い空気が強すぎる。ミリアス版に比べれば美男美女のカップルだし、名優ウォーレン・オーツとジョニー・デップの差も大きいかも。

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January 04, 2010

正月の庭

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新春に、わが家の庭でただひとつ咲いている花がイワザクラ(と祖母から教えられたけど、違うみたい)。

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梅はまだ固い蕾。


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January 03, 2010

正月から『東京大学のアルバート・アイラー』

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

「本と映画とジャズ」というブログをやってるのに、年末と正月は映画にもジャズにも縁遠い日々でした。せいぜい一昨年ニューヨークではまったテレビ映画「コールドケース」の特集を4本見たくらい。

せめて本くらいというわけで、菊地成孔・大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録 歴史編・キーワード編』(文春文庫)を読みふけりました。

この本については、毎月、書評を書いている「ブック・ナビ」で相方の<正>氏がていねいに論じているので、詳しい内容はそちらにお任せするとして、昨年ライブを追いかけた菊地成孔が自分について語っている面白い言葉があったのでピックアップしておこうかな。このブログは公開してるから他人さまに読んでいただくのが前提だけど、自分のためのメモ代わりでもあるので。

菊地がメンバーだったバンドONJOのリーダー、大友良英との対話から。
「O(大友) 俺ね、阿部薫はフリー・ジャズって言われてるけど、阿部薫はパンクだと思ってる。
K(菊地) 俺もブギャブギャーとか吹くじゃない?(注・菊地がアドリブしながら出すフリージャズのノイズみたいな音)  それ聴いて俺がこれ(注・阿部薫の音)と同じだと思う人もいるんだよね。
O ナルちゃん(注・ナルちゃん!て呼ばれてるんだ)の『ブギャーッ』は全然違うよね。醒め切ってるもん。
K そうそう。全然違うモノで、俺のはポルノっていうか、AVで女優が喘ぎ声出してるようなもんで(笑)。言うなれば洋ピンだよ」

大友のアルバムに菊地を呼んだ理由について。
「O 単にね、ナルちゃんのエロいサックスが必要だったから呼んだだけですね。
K 洋ピンが必要で(笑)」

「洋ピン」には説明がいるかもしれないなあ。「洋ものピンク映画」のこと。小生の高校時代にも、『アバター』も真っ青、赤青の眼鏡をかけて見る飛び出す洋ピン『パラダイス』なんてのがありました。それにしても、菊地成孔の音を「エロいサックス」とは言いえて妙だなあ。いま、あんなに艶っぽい音を出すサックスはいませんもの。しかもそれが「AV女優の喘ぎ声」=フェイクだって自ら言うんですから。

最高に艶っぽくて、しかもフェイク。ホットとクールがどちらがどうと識別できないほど密に絡みあったウロボロスの環みたいな音が、菊地成孔の秘密なのかもしれない、なんて、この本を読んで思ったことでした。

こうも言っている。「音楽家としての僕っていうのは自意識としても客観的な評価としても、かなりオールド・ファッションドなポップ&ファンク・メイカーであり、ブルースメンでもあるわけです。即興演奏家ではなくあくまでもジャズメンであって」。

「オールド・ファッションド」とはまた韜晦じみた発言だけど、「ブルースメン」であることは確かでしょうね。ウィントン・マルサリスみたいなフェイクと違って、それがエロになり艶にもなるでわけです。

ほかにも、自分のことを「ダンス・ミュージックのクリエイター」と呼んでいて、踊れる音楽を志向してることを表明してます。クラブでのライブが多いのも、そのせいでしょう。もっとも、彼のジャズ・グループであるダブ・セクステットは50年代マイルス・デイビスという、踊りから最も遠い音を光源にしている。そこもまたウロボロスなんですね。

なんて書いてたら、ああ、菊地成孔を聴きたくなってきた。CDを数枚持ってるけど、フリージャズと同じで、彼の音楽は聴くものでなく参加してこそ、その魅力にひたることができます。次のライブは確か2月だったか。

 

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