『Dr.パルナサスの鏡』 鏡の向こうは極楽?
ヒース・レジャーが死んだという電話を受けたとき、テリー・ギリアム監督は、「これでこの映画は終わった」と思ったそうだ。無理もない。ヒースの出演を条件に資金を調達していたからだ(wikipedia)。そして「終わった」と同時に、「またしても」と思ったに違いない。
テリー・ギリアムは10年前にも「ドン・キホーテ」の映画化を企画し、クランク・インしたものの、主役の病気と突然の洪水でセットが失われたことで、撮影開始後6日で中止に追い込まれている。そのいきさつはドキュメンタリー『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で見ることができる。監督の苦悩の表情が忘れられない。呪われた監督?
でも今回、テリーはあきらめなかった。何とか映画を完成させようと、まず撮影されたヒースの映像をCGで処理して残りをつくることを考えた。次に、代役の起用を考えた。幸い、現実と鏡の向こうの幻想世界とに大きく分かれた構成のなかで、現実の場面だけは撮影を終えていた。トム・クルーズが代役に興味を示したけれど、監督はヒースと関係が深い役者を起用することにこだわって、オファーを断った。
結局、『ラスベガスをやっつけろ』でギリアム作品に出たことのあるジョニー・デップ、ヒースと親しかったコリン・ファレルとジュード・ロウが役を引き継ぐことになった。いちばん大変だったのは『パブリック・エニミーズ』撮影中のジョニーで、監督は彼に1日と3時間だけ空けてくれ、と頼んだそうだ。だからジョニーの出演シーンはすべてワン・テイクの撮影。
そのせいではないだろうけど、完成した『Dr.パルナサスの鏡(原題:The Imaginarium of Doctor Parnassus)』、僕には圧倒的にヒースが出ている現実シーンのほうが面白かった。現代のロンドンに、怪しげな移動舞台を載せた旅芸人の馬車がやってくる。馬車が止まるのは、クラブがある高架鉄道脇の空地だったり、高速道路下の空虚な空間だったり、現代的な空間と19世紀の見世物みたいにいかがわしい移動舞台の取り合わせが面白い。
そんな異種混交の風景を背景に、ヒース(記憶喪失した謎の青年)はじめ、クリストファー・プラマー(1000歳になる不死のDr.パルナサス)、トム・ウェイツ(悪魔)、ヴァーン・トロイヤー(小人)といったクセのある役者たちが絡みあうグロテスクな楽しさ。
それに比べると鏡の向こうの世界は、最初の幻想シーン、空を漂う巨大クラゲに連れられて地球を見下ろす宇宙空間に行ったかと思うと、一瞬で地上に引き戻され、空想の城みたいなギーガー的風景に取り巻かれるあたりは新鮮だったけど、たび重なるうちに慣れてしまい、まあそんなものか、と驚きが少なくなってしまった。
こっちの感受性の問題かもしれないけど、僕の記憶では前作『ローズ・イン・タイドランド』や『ブラザーズ・グリム』の毒々しくエロティックな幻想世界のほうが刺激的だった。この映画の鏡の向こうの世界は、それに比べるとディズニーランドふうというか、極彩色のお気楽世界みたいな感じ。トム・ウェイツの悪魔も愛嬌あるし。もっとも、現実世界こそ怪しげで、鏡の向こうはけっこう能天気な極楽世界っていうのも悪くないか。
ともあれ、ヒースの死で中断されかかったこの作品を、ジョニーやジュード、コリンといった友人たちの協力で完成させたギリアム監督を寿ぎたい。そうでなかったら、莫大な借金を背負って再起不可能になったろうし、こうしてヒースの最後の姿を見られることもなかったんだから。

























































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