「聖地チベット」展 異形の仏像
「聖地チベット」展(上野の森美術館)に行ってきた。「ポタラ宮と天空の至宝」というサブタイトルで、チベット仏教の仏像や曼荼羅図など124点が展示されている。
チベットの仏像は去年、ニューヨークのスタッテン島にある小さなチベット美術館でも見たけど、いちばん驚くのはやはり日本の仏像とチベットの仏像のあまりの差だよね。
10日前に興福寺で見た阿修羅や運慶の弥勒如来と、チベットの十一面千手千眼観音(上)やカーラチャクラ父母仏(下)とは、同じ仏像といっても表情も体の線も細部のつくりも、そもそも美意識がまったく違う。僕は日本人だから、どうしても日本の仏像を美しいと思ってしまうけど、(僕らからは)仏とも思えない俗な表情、女天の誘うような眼や肉感的な官能は何なんだろう。
平凡社大百科によると、どうも日本の仏像とチベットの仏像はまったく異なる経路をたどって生まれたみたいだ。
よく知られているように、インドで生まれた仏教ははじめ仏像を持っていなかったけど、西方へ広がりガンダーラでギリシャ文明・ペルシャ文明と出会って仏像が生まれた。仏像(仏教)は西アジアから中国、朝鮮を経て日本にやってきた。帰化人である止利仏師のつくった法隆寺の仏はまだ異国ふうな面差しをしてるけど、阿修羅になるともう日本の仏になっている。
一方、ガンダーラとは別に北インドのマトゥラーでも神像がつくられていた。こちらには仏教に限らず、ジャイナ教などインド土着の宗教のいろんな種類の神像がある。なかでも仏教・ジャイナ教に共通する豊饒・多産の女神ヤクシー(夜叉女)はほとんど全裸で「マトゥラー彫刻の官能的な一面を代表している」という。
マトゥラー様式の彫像はインド全土に広まり、その後、ヒンドゥー教が活発になるとさらに色んな神像がつくられた。そのなかには男女抱合像(ミトゥナ)もある。13世紀はじめ、インドで仏教が滅ぶと、インド仏教はネパール、チベット、東南アジアに伝えられた。チベット仏教は、インド仏教にチベットの民族宗教ボン教が習合してラマ教と呼ばれるようになった。
なるほど、チベット仏教の肉感的・官能的な仏像はインド・マトゥラー様式の伝統を引いた、こっちの系統なんだな。
この「カーラチャクラ父母仏」はじめ、男天と女天が抱き合った「父母仏」もいくつも展示されている。男天が牛頭人身の父母仏なんか、牛の憤怒の相にぎょっとするような迫力があるし、男根までリアルに表現されている。
これらの仏は、チベット仏教がタントラ仏教とも呼ばれる密教であることと関係している。
密教っていうのは結局のところ何なのか、読めば読むほど分からなくなるところがある。要するに仏典を学ぶなど言葉で表現できる思惟によってではなく、何らかの神秘的な儀式や修行によって一気に悟りなり即身成仏を達成する、ということなんでしょうね。
タントラ仏教の場合、世界の女性原理を表わす般若波羅蜜を実在化した大印と性的に合一することによって悟りを得ようとする。…と大百科を書きうつしてもよく分からないけど、父母仏はこの「性的合一による悟り」を象徴しているんでしょう。大地母神を崇拝するインドの(というより世界各地に共通する)土俗信仰と原始仏教(小乗仏教)が混交したものなのかな。
チベット仏教は中国にも広がり、元や明の宮廷(後宮)に入り込んで、皇帝にまで影響力を持った。そのため中国仏教からは淫祠邪教のように見られたこともある。チベット仏教はその後、15世紀に教義から一切の性的実践を切り離した。
密教の一部は、真言密教として日本にももたらされた。男女抱合像といえば思い出すのは、後醍醐天皇が崇拝した大聖歓喜天像ですね。この像は象頭人身の男女天が抱き合っている。密教僧・文観に帰依した後醍醐天皇は、歓喜天像を前に自ら護摩をたいて幕府調伏の祈祷をした。文観の密教は立川流として、後々まで淫祠邪教とされた。
「こうした本尊を前に、密教の法服を身にまとい、護摩を焚いて祈祷する現職の天皇の姿は異様としかいいようがない。まさしく後醍醐は『異形』の天皇であった。極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然─セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた」(網野善彦『異形の王権』)
男女抱合の父母仏は、こんなふうに仏教が妖しい力を持ち、政治をかきみだした過去の記憶をもまとっているんだな。



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