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December 31, 2009

2009 MY BEST 10

The_wrestler

今年もたいして映画を見られなかったけど、自分の楽しみと記憶のためにベスト10をリストアップしてみました。邦画は10本挙げられるほど見ていないので、洋画邦画ごちゃまぜです。

1  レスラー
2  グラン・トリノ
3  空気人形
4  ウェディングベルを鳴らせ!
5  アンナと過ごした4日間
6  そして、私たちは愛に帰る
7  ザ・バンク
8  映画は映画だ
9  愛のむきだし
10  天使の眼、野獣の街

ミッキー・ロークの老いた肉体と、ニュージャージーの煤けた風景と、ブルース・スプリングスティーンのロックンロールが熱く哀しいダーレン・アロノフスキーの『レスラー』がベスト1。40歳の新鋭が1970~80年代のテイストあふれる映画をつくる。古さと新しさが共存する奇妙な魅力にあふれた映画だったな。本作のマリサ・トメイも今年いちばん記憶に残った女優。

『グラン・トリノ』。西部劇でも現代劇でもある、イーストウッドにしか撮れない映画だと思った。小品だけど心に残る。

『空気人形』。是枝裕和がただの「いい人」じゃないのが分かった。リ・ピンビン撮影の東京の風景が素晴らしく、ペ・ドゥナにはどきどき。

『ウェディング・ベルを鳴らせ!』。クストリッツァ映画の幸福感!

『アンナと過ごした4日間』。学生時代にはまったポーランド映画の香り。

『そして、私たちは愛に帰る』。社会派というよりロードムービーとして。

『ザ・バンク』。今年いちばん面白かったアクション映画。

『映画は映画だ』。キム・ギドクの代わりに。

『愛のむきだし』。このやりすぎがすごい。

『天使の眼、野獣の街』。今年のベスト香港ノワール。

『イングロリアス・バスターズ』『バーン・アフター・リーディング』『悲夢』『リミッツ・オブ・コントロール』は、それぞれの監督の作品としてはいまひとつ乗れず選外ということで。

ほかに面白く見た映画は『倫敦から来た男』『九月に降る風』『扉をたたく人』『湖のほとりで』『ウルトラミラクル・ラブストーリー』『チェイサー』『四川のうた』『サブウェイ123』といったところ。

今年もおつきあいいただいて、ありがとうございました。良い年をお迎えください。

(後記:正月休みが明けた後、『ぐるりのこと。』を見た。とてもいい映画で、ベスト10の次点としようかな。)

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December 27, 2009

嶋津健一トリオ『The Composers Ⅰ』

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新作『The Composers Ⅰ』(Roving Spirits)を出した嶋津健一トリオのライブを聴いた(12月26日、赤坂・Relaxin)。メンバーは嶋津のピアノに、加藤真一(b)、岡田佳大(ds)。

演奏したのは、その新しいCDからの曲が多い。CDに入っている10曲のうち6曲が嶋津のオリジナル。あとの4曲はミシェル・ルグランの曲だ。

いちばん好きなのは、この日のオープニングでも演奏した「I Will Wait You(シェルブールの雨傘)」。映画では甘美でスローなラブソングだけど、嶋津の演奏は軽快にスイングしてる。メロディーにアクセントがつけられてるから、何気なし聴いてると、どこかで聞いた曲だけど何だったけ? 黒い瞳? なんて迷ったりする。CDでは、甘いメロディの香りを残したままピアノのアドリブが次第に高揚していくのが手に取るように分かる。スタジオ録音だけど、20人ほどの客(小生もその一人だった)をスタジオに入れているから半分ライブみたいな空気。それが効いてる。

嶋津の曲「You! Name It」はバド・パウエルみたいな雰囲気の曲で、これも気持ちよくスイングする。こういうの好きだなあ。

「Tender Road to Heaven」はライブでもCDでも嶋津のソロ・ピアノで。栗本薫(中島梓)に捧げられた曲。嶋津は栗本のジャズ・ピアノの師匠で、それだけでなく栗本のミュージカルの音楽を担当したりもしていた。おだやかで優しいテーマが、変奏されるごとに一段づつ階段を上がって天に近づいてゆくような曲。栗本への感謝と祈りが込められている。

嶋津健一が弾くスローバラードの美しさはファンなら誰でも知っている。この日も、新作に納められたバラードから何曲か。知り合いの女性は「涙が出そうになった」と言ってた。そのうちのいくつかは、メロディーとリズムがいわゆるジャズからはみだしかけているようにも聞こえる。アメリカに10年いて第一線で活躍し、帰ってきた嶋津が、自分にしか弾けない独自な世界を求めた結果なのだろう。

来年は『The Composers』の第2弾が出るらしい。楽しみだ。

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December 19, 2009

『倫敦から来た男』 夢魔のような

The_man_from_london

夜。霧が流れる港。カメラが海面からゆっくり上昇しながら、光と影にくっきり分かれた船の船首をなめるように映し出す。カメラの前をアウトフォーカスになった窓枠らしきものの影が下方に横切るから、どうやらカメラは室内に、それもかなり高い位置に置かれているらしい。室内では男が後ろ姿を見せて窓の外を見ている。カメラは男の肩ごしにデッキに近づいて、船上でのある出来事を映しだす。上へと移動してきたカメラが今度は水平に移動すると、窓の外の桟橋に列車が横づけされ、発車を待っているのが見える。逆光で真っ黒になった男の歩き去る影が長く伸びている。

『倫敦から来た男(原題:The Man from London)』冒頭の十数分間、ゆっくり移動しながらの長回し。ここまで2カットだったか3カットだったか。音は不安げな弦楽の繰り返し。モノクロームの夢を見ているような感触に釘づけにされる。はて、これらの出来事を目撃している男が、そしてカメラが置かれている空間はどんなところだろう。

それが明らかにされるのは、男がその空間から出てゆき、また戻ってきたとき。そこは港に隣接した鉄道駅の管制室だった(上のポスター)。夜と霧。港と船。鈍く光る線路と列車。湾の向こうに遠く光る町の灯り。闇に輝く管制室。ざわざわと見る者の胸を騒がせる夢魔のようなイメージ。タル・ベーラ監督はこれを撮りたかったんだろうな。

この外界から閉ざされた「ガラスの檻」は、この映画の核となる出来事が、その男マロワン(ミロスラヴ・クロボット)の孤独な心のなかで生起することの比喩とも言えそうだ。映画は、男の心理描写を一切しないけれど。

初老の鉄道員マロワンが、ある夜、管制室から殺人を目撃する。彼は殺人の原因になった、大金の詰まったカバンを手に入れる。やがて、彼の周りにカネを探す殺人者や、殺人者を追う刑事が姿を現してマロワンを脅かす。

片隅で実直に生きてきた男が、ふとしたはずみで犯罪に巻き込まれる。メグレ警視シリーズで有名な、いかにもジョルジュ・シムノンらしい物語。北西フランスの寂しい港町を舞台に、暗く重苦しい空気をタル・ベーラ監督は余分なものを一切省いて再現している。

原作がどうなっているのか知らないけど、結末はすとんと腑に落ちるようにはつくられていない。いろいろ忖度はできるけど、疑問は残る。それもシムノンの世界ということかな。寂しい港のロケ地はコルシカ島、そこに管制室はじめセットをつくったらしい。

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December 18, 2009

庭園美術館のカフェ

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日暮れ時、目黒の東京都庭園美術館カフェでお茶を飲んでいたら、いきなり窓の外がライトアップされた。今年は紅葉があまりきれいじゃなかったけど、小さなもみじの赤が印象的。写真では色がうまく出てないけど。

庭園美術館の展示は「パリに咲いた古伊万里の華」。景徳鎮を模してヨーロッパに輸出された古伊万里のコレクション。もともとヨーロッパの宮殿に置かれたオリエンタル趣味の輸出品だから大型だし、日本家屋のなかで茶道具などに使われたものとはかなり美意識が違う。

それでも柿右衛門はいかにも柿右衛門だなあ。空間恐怖症的に空白を埋めていく景徳鎮に対して、空白の「間」を美と感ずる柿右衛門はヨーロッパ人にどう感じられたんだろう。

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December 16, 2009

神保町そぞろ歩き

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(神保町で必ず寄る映画・演劇書の矢口書店。脇へ回ると、なかなか洒落た建物じゃないですか)

映画の時間まで2時間ほど空いたので、神保町の古書店街をそぞろ歩き。

最近は神保町交差点からすずらん通りや駿河台下に向かって歩くより、専修大学や水道橋方面に歩くことが多い。そのほうが僕が興味を持ってる分野の専門店が多いから。

でもここはそぞろ歩きのつもりが、ついつい買ってしまうのが悩みの種なんですね。今日も3冊ほど買ってしまった。

菊地成孔・大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』。サブタイトルは「バークリー・メソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史」。小生、ジャズ・ピアノをちょっとかじったけど、限りなく専門書に近い本なので歯が立たないかも。レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』。村上春樹の新訳。春樹訳『ロング・グッドバイ』も楽しめたので。もう1冊は雑誌、『散歩の達人』「浦和・与野・大宮」特集号。9年前の雑誌だから店はだいぶ変わってるけど、地元がどう見られてるか気になって。

予算オーバーで、いかんなあ。おまけに、矢口書店で見つからなかった虫明亜呂無『女の足指と電話機』がほしくなり、帰ってからアマゾンで注文してしまった。でもこれで正月休みはたっぷり楽しめる。

そうそう。小生が16年前に編集したムック『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)』に2000円の値づけがされていた(定価1400円)。古書の値づけと中身に相関関係があるわけじゃないけど、定価より上がっているのは嬉しい。というより、自分のつくった本が定価より安く売られてるのを見るのは悲しいもんです。自分の買いたい本が安くなってると、やった!と思うのにね。

でも16年前、ムックに1400円の定価をつけていたんだなあ。今年、編集に加わったムックの定価は980円だった。定価は刷り部数との関係で決まるから一概には言えないけど、ムックや本の値段がこの十数年、ちっとも上がっていない。

ていうか、今、ムックに1400円の定価はつけにくい。『侯孝賢』はマニアックな本だから部数を絞って定価を高くする方向で決めたけど、今こういう映画本をつくろうとしたら1200円以内に収めたいと考えるだろう。

このムック、小生の趣味でつくったに近い。カメラマン、ライターを含めスタッフ3人が台北に10日以上滞在したから、編集費もそれなりにかかっている(航空チケットもらうのと引き換えに、侯孝賢ロケ地ツアーのガイドをやったのも楽しい思い出)。結果、熱烈な侯孝賢ファンが買ってくれてそこそこ売れ、さすがに黒字にはならなかったけど、小さな赤字に収まった。


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December 14, 2009

『チャイルド44』 旧ソ連の掟

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このところミステリーにご無沙汰していたら、なんだか無性に読みたくなってきた。以前はハードボイルドや警察ものをけっこう読んだんだけど、本家のアメリカでもハードボイルドが下火になって面白い小説が少なくなった。今も新作が出るとすぐ読むのはマイクル・コナリーくらい。

新幹線で大阪へ往復する仕事もあったので、車中で読もうと選んだのがトム・ロブ・スミス『チャイルド44』(上下、新潮文庫)。作者のデビュー作だけど、去年の「このミス」で1位になっている。ローレンス・ブロックの訳者・田口俊樹の訳だから、はずれないだろうとの読みもあった。

いちばん惹かれたのは、スターリン時代のソ連を舞台にしていることだ。旧ソ連を素材にしたミステリーといえば『ゴーリキー・パーク』や『レッド・フォックス』が記憶に残るけど、秘密警察と密告者の網が隅々まで張られた社会は、それだけでミステリーの要素をたっぷりはらんでる。作者がイギリス人というのも納得がいく。ナチス時代を舞台にしたフィリップ・カーの「ベルリン三部作」のように、近過去に材を取った歴史ミステリーの流れがある。

こういう小説は「入り」が勝負だね。プロローグで、どう読者を小説の空気に引っ張り込むか。1933年のウクライナ。飢餓で全滅しそうな真冬の村。近所の飼い猫を捕らえて食べようと森に入った兄弟が、逆に「獲物」として狙われ、離れ離れになってしまう。寒くて、飢えて、全員が全員の敵である世界。

物語は一転して20年後のモスクワになる。主人公レオは国家保安省の捜査官。スパイ摘発に失敗して田舎の民警に左遷され、少女惨殺事件に遭遇する。捜査するうち、広範囲で同じ手口の事件が数十件起きていることを知り、レオはそれが同一犯の犯行であることを確信する。

本文の合間に、ソ連社会に生きる掟や登場人物の独白が書体を変えて挿入されるのが効いている。

「この社会には犯罪は存在しない」(犯罪は存在してはならない。理想社会なのだから)
「自分たちが信用する者たちこそ調べるべきだ」(スターリンの言葉)
「職員は鍛錬し、自らの心を無慈悲にしなければならない」(秘密警察の祖、ジェルジンスキーの言葉)
「きみの名前を覚えていれば、いずれきみを糾弾することができる」
「それが夜眠れるようにするためのあなたのやり方なの? その日起きたことを記憶から消し去るというのが」(レオの妻でスパイ容疑をかけられたライーサが、妻を調査している夫の寝姿につぶやく言葉)

友人や家族ですら、いつ告発しあうことになるか分からない社会の恐怖と緊張が小説を貫いている。ミステリーの探偵役はいつも単独行動だけど、この社会ではそれもご法度だ。「それ(単独行動)は国家が定めたシステムが機能しなかったことを意味し、場合によっては、国家にできなかったことを個人が成し遂げてしまうかもしれないからだ」。後半、逃亡して単独行動するレオを助ける村人たちが登場して、この暗い社会のなかにも一筋の灯りが灯っていたことを暗示するのも気持ちいい。

少年少女の大量惨殺事件は、1970~80年代に実際に旧ソ連であった事件を過去に移しかえている。そこに「カインとアベル」的な兄弟物語を重ね、身内の敵対者を倒すことでスパイ容疑と国家への忠誠が紙一重で逆転するどんでん返しが繰り返されて、これは面白いぞ。

続編も翻訳されてるみたいだけど、この結末は初めからそのつもりで書かれたんだろうか。妻をスパイと疑ったレオと、夫の権力を恐れて結婚したと告白したライーサの夫婦は、続編ではどういうコンビになっているんだろう。最初悪役として登場した田舎の民警署長ネステロフは、レオの相棒になりそうだ。

この小説、リドリー・スコット監督で映画化されるらしい。楽しみだな。


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December 07, 2009

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール

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菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴いた(12月4日、Bunkamuraオーチャード・ホール)。2日続きのコンサートの初日。2日目は菊地成孔ダブ・セクステットで、ジャズのこちらは秋に聴きに行った。

ペペ・トルメント・アスカラールの音楽を、何と表現したらいいんだろう。「伊達男(ペペ)・拷問(トルメント)・砂糖漬け(アスカラール)」ってバンド名から想像できることは、第一にスペイン語圏の音楽らしいこと、第二に互いに無関係なものを接合しているらしいこと。

編成はハープ、ラテン・アフロ・パーカッション、弦楽四重奏、バンドネオン、ピアノ、ベースに、サックス+ヴォーカルの菊地で11人。この日はゲストとしてクラシックからソプラノの林正子が加わった。

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(会場に展示されてた菊地の楽譜)

最初は現代音楽ぽく始まり、これで突っ走られたらつらいなあと思っていたら、次はバンドネオンをフィーチャーしてサルサかタンゴみたいになる。菊地がごりごり吹きはじめるとジャズになる。ソプラノサックスを吹くコルトレーンみたいにもなる。

このバンドの音、サルサとタンゴとジャズの三角形を基礎に、現代音楽やクラシックやガムランや雅楽や歌謡曲や色んな音楽の断片が出入りする感じ、と言ったらいいのかな。といって実験音楽というわけでもなく、ダンサブルなクラブ音楽を意識してるみたい(もっともポリリズムというのか変拍子というのか、普通のノリで踊れるわけじゃないけど)。なにより、菊地のサックスがよく唄ってる、その唄ごころが心地よい。鋭い高音、身体が共振するような低音、音色も素晴らしい。

アンコールで、スタンダードの「時さえ忘れて」をチェット・ベイカーばりに(チェットほどうまくないけど)ささやき声で歌ったのはご愛嬌。

今年は菊地成孔を山下洋輔トリオ、ダブ・セクステット、そしてこのペペ・トルメント・アスカラールと3度、別々のバンドで聴いたことになる。唄心があって、音色がよくて、しかも彼以外誰もやってない音楽をやってて。来年も追っかけることになるかな。


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December 02, 2009

「聖地チベット」展  異形の仏像

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「聖地チベット」展(上野の森美術館)に行ってきた。「ポタラ宮と天空の至宝」というサブタイトルで、チベット仏教の仏像や曼荼羅図など124点が展示されている。

チベットの仏像は去年、ニューヨークのスタッテン島にある小さなチベット美術館でも見たけど、いちばん驚くのはやはり日本の仏像とチベットの仏像のあまりの差だよね。

10日前に興福寺で見た阿修羅や運慶の弥勒如来と、チベットの十一面千手千眼観音(上)やカーラチャクラ父母仏(下)とは、同じ仏像といっても表情も体の線も細部のつくりも、そもそも美意識がまったく違う。僕は日本人だから、どうしても日本の仏像を美しいと思ってしまうけど、(僕らからは)仏とも思えない俗な表情、女天の誘うような眼や肉感的な官能は何なんだろう。

平凡社大百科によると、どうも日本の仏像とチベットの仏像はまったく異なる経路をたどって生まれたみたいだ。

よく知られているように、インドで生まれた仏教ははじめ仏像を持っていなかったけど、西方へ広がりガンダーラでギリシャ文明・ペルシャ文明と出会って仏像が生まれた。仏像(仏教)は西アジアから中国、朝鮮を経て日本にやってきた。帰化人である止利仏師のつくった法隆寺の仏はまだ異国ふうな面差しをしてるけど、阿修羅になるともう日本の仏になっている。

一方、ガンダーラとは別に北インドのマトゥラーでも神像がつくられていた。こちらには仏教に限らず、ジャイナ教などインド土着の宗教のいろんな種類の神像がある。なかでも仏教・ジャイナ教に共通する豊饒・多産の女神ヤクシー(夜叉女)はほとんど全裸で「マトゥラー彫刻の官能的な一面を代表している」という。

マトゥラー様式の彫像はインド全土に広まり、その後、ヒンドゥー教が活発になるとさらに色んな神像がつくられた。そのなかには男女抱合像(ミトゥナ)もある。13世紀はじめ、インドで仏教が滅ぶと、インド仏教はネパール、チベット、東南アジアに伝えられた。チベット仏教は、インド仏教にチベットの民族宗教ボン教が習合してラマ教と呼ばれるようになった。

なるほど、チベット仏教の肉感的・官能的な仏像はインド・マトゥラー様式の伝統を引いた、こっちの系統なんだな。

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この「カーラチャクラ父母仏」はじめ、男天と女天が抱き合った「父母仏」もいくつも展示されている。男天が牛頭人身の父母仏なんか、牛の憤怒の相にぎょっとするような迫力があるし、男根までリアルに表現されている。

これらの仏は、チベット仏教がタントラ仏教とも呼ばれる密教であることと関係している。

密教っていうのは結局のところ何なのか、読めば読むほど分からなくなるところがある。要するに仏典を学ぶなど言葉で表現できる思惟によってではなく、何らかの神秘的な儀式や修行によって一気に悟りなり即身成仏を達成する、ということなんでしょうね。

タントラ仏教の場合、世界の女性原理を表わす般若波羅蜜を実在化した大印と性的に合一することによって悟りを得ようとする。…と大百科を書きうつしてもよく分からないけど、父母仏はこの「性的合一による悟り」を象徴しているんでしょう。大地母神を崇拝するインドの(というより世界各地に共通する)土俗信仰と原始仏教(小乗仏教)が混交したものなのかな。

チベット仏教は中国にも広がり、元や明の宮廷(後宮)に入り込んで、皇帝にまで影響力を持った。そのため中国仏教からは淫祠邪教のように見られたこともある。チベット仏教はその後、15世紀に教義から一切の性的実践を切り離した。

密教の一部は、真言密教として日本にももたらされた。男女抱合像といえば思い出すのは、後醍醐天皇が崇拝した大聖歓喜天像ですね。この像は象頭人身の男女天が抱き合っている。密教僧・文観に帰依した後醍醐天皇は、歓喜天像を前に自ら護摩をたいて幕府調伏の祈祷をした。文観の密教は立川流として、後々まで淫祠邪教とされた。

「こうした本尊を前に、密教の法服を身にまとい、護摩を焚いて祈祷する現職の天皇の姿は異様としかいいようがない。まさしく後醍醐は『異形』の天皇であった。極言すれば、後醍醐はここで人間の深奥の自然─セックスそのものの力を、自らの王権の力としようとしていた」(網野善彦『異形の王権』)

男女抱合の父母仏は、こんなふうに仏教が妖しい力を持ち、政治をかきみだした過去の記憶をもまとっているんだな。


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