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November 25, 2009

『イングロリアス・バスターズ』のトリビア

Inglourious

タランティーノの映画には、映画オタクだった彼が耽溺した映画(1本の映画のこともあるし、ハードボイルドとかヤクザ映画とかジャンル全体のこともあるけど)を元ネタに色んな仕掛けがちりばめられてて、今度は何だろうと想像するのがファンの楽しみにもなってる。

冒頭、一面の野原に『アラモ』の主題歌「遥かなるアラモ(The Green Leaves of Summer)」が流れたとき、おや、『キル・ビル2』に続いてまたしても西部劇かと思いましたね。後で『荒野の1ドル銀貨』の主題歌も流れてくるし、映画の感触としては出来の悪いハリウッド映画『アラモ』より遊び心たっぷりのマカロニ・ウェスタンに近いけど。

連合軍のナチ狩り秘密部隊「イングロリアス・バスターズ(原題:Inglourious Basterds)」の面々を紹介するシーンはハリウッド製ながらマカロニの味がする『荒野の7人』ふうだし、リーダーのレイン中尉(ブラッド・ピット)は愛用のナイフ(西部劇の定番アイテム)を手に、ナチを捕まえたら頭皮を剥げと命令する。白人が善玉、インディアンが悪玉と決まっていた時代の西部劇の、偏見にみちみちたセリフですね。タランティーノはそういうセリフを、コミカルなタッチでブラピにしゃべらせてる。

その上、今なら「ポリティカリー・インコレクト」と言われるに違いない皮剥ぎシーンを(ナチ相手とはいえ)実際に見せてしまうのは、「遥かなるアラモ」が流れてきた冒頭で、これはお遊びの映画なんですよと言っているからこそ許されるのかな。

ほかにも、田舎のバーでのカード・ゲームと銃撃シーンは西部劇そのものだし、家族をナチに殺されたショシャナ(メラニー・ロラン)が復讐に立ち上がるとき頬にインディアンふうな紅を差すのも、かつての西部劇でよく見た場面だった。オマージュであり、遊びであり、批評でもあるような引用。

そんなふうに西部劇をネタにしたシーンがそこここに現れるんだけど、見ているうちに、待てよ、これはそれ以上に『特攻大作戦』じゃないか、と思えてきた。米軍のはみだし集団がナチのど真ん中に潜入して、彼らをやっつける。設定そのものがロバート・アルドリッチ監督の快作『特攻大作戦(The Dirty Dozen)』をいただいてるじゃないか(と思ったら、タランティーノ自身がインタビューでこの作品に言及してた)。

リアリズムじゃなく荒唐無稽なお話であることも同じだから、タランティーノはこの作品というより、戦争アクションというジャンルそのものをそっくり頂戴してるんだな。

そういえば、『Inglorious Bastards』って、もともと1978年のイタリア映画『Quel Maledetto Treno Blindato』の英語題名なんですね。だからこれ、そのリメイク版なんだけど、僕は元の映画を見てない。プロットを読む限り、ナチ占領下のフランスを舞台にした戦争アクションという以外に共通点はなさそうだ。このタイトルは、だから先ほど言った戦争アクションってジャンルを拝借したって意味合いなんだろう。

と、ここまで書いてウィキペディア(英語)を見たら、面白いことが書いてあった。1978年版の英語題名は「inglorious bastards」だけど、タランティーノ版は「inglourious basterds」と、2語ともわざと綴りを間違えている。タランティーノは、この綴りの違いは1978年版のリメイクではなくオリジナル作品という意味だ、と語っているそうだ。いかにも彼らしい仕掛け。

ところで、この映画を『特攻大作戦』との比較で見はじめると、『特攻大作戦』がいかによくできた映画だったかが改めてわかる。『特攻』でブラッド・ピットの役に当たるのはリー・マーヴィンで、彼が率いる12人の部下は全員が軍規に反した囚人兵士。アーネスト・ボーグナイン、チャールズ・ブロンソン、テリー・サバラス、ジョン・カサベテスといったこわもての面々で、アルドリッチ監督はごく短いエピソードやちょっとしたセリフのやりとりでそれぞれの個性を見事に描きわけている。

アルドリッチの、役者ひとりひとりに見せ場をつくり、彼らが米軍のお偉いさんの鼻を明かすエピソードを挿入して反骨監督の面目を見せつつ、ナチスが集まる古城に潜入していくストーリーをテンポよく進める職人技にくらべると、タランティーノの語りはもったり見えてしまうなあ。

『特攻』が12人を描きわけているのに対して、「イングロリアス・バスターズ」の面々は”ユダヤの熊”(イーライ・ロス)とヒューゴ(ティル・シュヴァイガー)の2人以外は、はしょられている。そのかわり、『キル・ビル』みたいな女性の復讐劇がもう片方の筋になっている。でもそれ以外にもうひとり、二重スパイの女優ブリジット(ダイアン・クルーガー)も重要な役どころで登場する。「バスターズ」のナチ追跡とショシャナの復讐という2つの筋が絡み合い、ましてもうひとりの女優が出てくるから、ラストへ向けての仕込みに時間がかかる。途中、やや退屈したのはそのせいかな。

だからナチス指導者をまとめて吹っ飛ばすラストは、歴史を捏造する荒唐無稽な痛快さを狙ったんだろうけど、『特攻大作戦』みたいな爽快感はなかった。

おまけに『国民の誇り』という劇中映画(映画監督でもあるイーライ・ロスが演出)をつくり、しかもその映画フィルムを燃やしてナチスをやっつけるという形で映画へのオマージュを捧げている。タランティーノ監督は欲張りすぎだよなあ。あれもこれもで、そんなトリビアを面白がってればこの映画、十分に楽しめるんだけど、作品としての完成度はいまひとつに感じられた。戦争アクションものの見本みたいなアルドリッチの職人技を煎じて飲ませたい。まあ、2人は狙っているものも立ち位置も違うと言えば、その通りですけどね。

タランティーノは大作を次々につくりながら、ハリウッド内抵抗派だったアルドリッチと異なり、ハリウッドに属してない。この映画でも、ナチス大佐を演ずるクリストフ・ヴァルツ(いいね)がドイツ語と英語をしゃべりわけ、ほかにもフランス語やイタリア語が飛び交って、言葉がストーリーの重要なカギをにぎっている。ハリウッド映画なら、すべて英語になっちゃう(『特攻大作戦』もそうだった)。そういうところが、タランティーノの映画をハリウッドの戦争アクションと語り口の巧拙だけで単純に比較できない理由なんだろうけど。

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November 24, 2009

奈良に寄り道

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仕事で大阪へ行ったついでに奈良へまわり、興福寺の「お堂でみる阿修羅」展へ。

朝早い近鉄で行ったのに、チケットを買うだけで30分の行列。ようやく売り場まで来ると、会場の仮金堂へ入るのに更に2時間かかるという。行列ぎらいなので普通ならあきらめるけど、既に30分並び、このために奈良まで来たと思うと意地になる。博物館や美術館で見る仏像(ふだん阿修羅が展示されてる興福寺国宝館も含めて)には違和感を覚えるので、この機会に見ようと思っていた。この混雑、考えてみれば3連休だし、会期最終日の前日だから当然か。

でも前に並んでいた地元の女性や、後ろの山梨から来たカップルと親しく話したり、互いに列を抜け出したり、「袖振り合うも他生の縁」を実感できたのが楽しかった。

阿修羅はじめ八部衆像は以前にも何度か見たことがあるけど、同時公開していた北円堂の弥勒如来、無著・世親菩薩立像(いずれも運慶作、国宝)が素晴らしい。

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五重塔の前で記念撮影する中国の若者たち。

彼らを見ていて思い出したけど、「奈良を歩くのは唐の長安にいるのと同じだ。長安は奈良にある」と書いたのは司馬遼太郎だった。

仏像が日本に入ってきたとき、それを納める建造物としてつくった「寺」は、もともと中国の官庁建造物がモデルだったという。「寺」には本来「仏教寺院」の意味はなく、「建物としての役所」を意味していた。漢の時代、中国に仏教が入ってきたとき、とりあえず「寺」に仏像を安置して拝んだことから「仏教寺院」を意味するようになった。それらの建造物はいま西安になく、奈良に残っている。役所の建物としての雰囲気をよく伝えているのは唐招提寺の金堂や講堂らしい。なるほど。あの素気ないほど装飾のない直方体がそうなのか。

はしゃいでいる彼らは、古の長安にいることを気づいているのかな?

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近鉄特急の車窓から見えた平城宮跡。以前は何もない野原だったけど、遷都1300年祭のために朱雀門が復元されている。


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November 19, 2009

近藤史人『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』

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「アッツ島玉砕」(『藤田嗣治展』図録<2006、NHKなど刊>から)

近代日本の洋画というやつに心を動かされたことがない。高校時代にブリジストン美術館で初めて見た青木繁「海の幸」とか画集で知った岸田劉生「切通しの写生」とか記憶に残ってるものもあるし、その後熱心に日本人の洋画を見たわけでもないので他人に同意を求めるつもりはないけど、個人的経験としてはそうだ。

そのほとんど唯一の例外が藤田嗣治「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」。3年前の藤田嗣治展(国立近代美術館)で見て、その異様な迫力に、立ちどまったまましばらく足を動かすことができなかった。ともに2メートル×3メートル近い大作。悪名高い戦争絵画である。

それ以来、藤田の戦争絵画が気になっていたけど、だからといってなにか調べたわけでもない。4日ほど前、散歩の途中に寄った古書店で近藤史人『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』(講談社文庫)を見つけて買った。著者はNHKのディレクターで、「空白の自伝・藤田嗣治」などの番組をつくった人。この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。

戦後、「日本に捨てられ」(藤田の言葉)、フランス国籍を取って日本を捨てた藤田は、亡くなってからも日本で大規模な展覧会が開かれたり画集が出版されることはなかった。それらを拒みつづけた未亡人と、著者は15年ものあいだ接触して番組をつくり、それが僕が見た回顧展開催につながった。

この本は残された藤田の日記や未亡人の談話、未発表の自伝などをふんだんに使って、彼の生涯を追っている。

パリで名声を得た藤田が2度と帰らないと誓った日本に戻ったのは1933年、2.26事件の年だった。南京虐殺があった翌年の1938年、軍部は美術家の戦争協力を求め、戦意高揚を目的とした戦争絵画の制作がはじまる。藤田もこれに応じた。

藤田がノモンハン事件に取材して1941年の「聖戦美術展」に発表した「ハルハ河畔戦闘図」は、「日本に油絵が入って以来の最大なる作品」と絶賛され、藤田は「聖戦美術の巨匠」と呼ばれるようになる。生涯で初めて日本画壇に受け入れられた藤田は、戦争画に傾斜していく。

僕が見た「アッツ島玉砕」は、藤田の戦争画の代表作。近藤が「ただ『死』だけが画面を支配する地獄絵」と描写するように、日本兵とも米兵とも定かでない戦士が銃剣をかざして殺し合い、死体が重なりあっている。異様に暗い画面の背後には、雪を抱いた山々がそびえている。少なくとも、この画を見て「戦意高揚」する人間は誰一人いないだろう。

藤田は、青森の巡回展で見た光景について記している。年老いた男女がこの絵の前に「膝をついて祈り拝んでいる」、また「御賽銭を画前になげて画中の人に供養を捧げて瞑目していた」と。絵画愛好者でもなんでもない、でも家族や友人を戦場に送った普通の人々に訴えるものを、この絵はもっていた。しかもお賽銭をあげ、祈り拝むという宗教的な所作を引き起こすなにものかを。

戦後、藤田は戦争画を描いた代表として責任を負うよう、画壇のなかで追及される。GHQが画家の戦争責任を追及することはなかったが、再び裏切られた(というのは、パリで名声を得たとき、画壇の反応は異国趣味を売り物にした宣伝屋だと冷ややかだった)と感じた藤田は日本を捨て、カソリックに改宗してフランスに永住することになる。老年の藤田は、少女の絵とともに宗教画に熱中した。

そんな藤田の生き方や、絵を前にした人々の反応からして、「アッツ島玉砕」は戦争画というより宗教画、鎮魂の図だったんだろうな。いずれにしても、作者の行為の是非や正義不正義の20世紀的問題設定が無意味になるかもしれない遠い将来、この絵は近代日本の絵画を代表する作品になるような気がする。

とはいえ、藤田が戦争に協力した事実は残るし、藤田を含めた画家(だけでなく芸術家)の戦争責任の問題は、戦後半世紀以上たつのにまだきちんと議論されていない。

十数枚ある藤田の戦争画のうち藤田展に出品されたのは5点だけだし、米軍が集め、後に日本に「永久貸与」された藤田、藤島武二、中村研一、川端龍子、橋本関雪、宮本三郎、小磯良平、向井潤吉らの戦争画が国立近代美術館に大量に眠っている。

ぜひ「戦争美術展」をやってほしい。大部分は作品として見るに耐えないものかもしれないけど、戦争期にこういうものがあったときちんと公開するのは公的施設の義務のはずだ。関係者のほとんどが亡くなった今、感情的な、あるいはイデオロギー的な反応から離れて、絵そのものにきちんと向き合えるはずだから。

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November 17, 2009

『脳内ニューヨーク』の生と死

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『脳内ニューヨーク』の原題は「Synecdoche, New York」って、見たこともない単語だなあ。synecdoche(シネキドク)を辞書で引くと「提喩」とある。「部分で全体を、全体で部分を表わす修辞法」なんだって。例として、breadでfoodを表わし、sailでshipを表わす、というのが挙げられてる。

莫大な賞金を手にした劇作家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、ニューヨークの巨大倉庫のなかにニューヨークの町並みの巨大セットをつくりあげ、この町に生きる自らの生をそのまま芝居にしようとしている。一方、ケイデンと別れた元妻の画家アデル(キャスリーン・キーナー)は、高倍率の拡大鏡を使わなければ見えない小さなミニチュア画のなかに自分やケイデンの肖像を描いている。

ニューヨークに生きる彼らの現実と、現実の「部分」を切り取った芝居やミニチュア画。芝居のセットやミニチュア画のキャンバスに閉じこめられた「部分」が、ニューヨークという都市とそこに生きる人々の「全体」を表わす。

セットのビル群の背後には、吹き抜け天井の骨組が見えている(ポスター)。ミニチュア画の肖像で顔の部分には、何も描かれていない欠落がある。そんな極大あるいは極小のフレームに閉じこめられた「部分」のほうが、実は「全体」の隠された姿を露わにしているのかもしれない。原題には、そんな意味合いが込められているような気がする。

『脳内ニューヨーク』って邦題は悪くないし、よく考えたと思うけど、ちょっとニュアンスが異なるようだ。日本の公式サイトやポスターに使われているイメージ──シーモア・ホフマンの頭蓋にニューヨークの町と人が詰まっている──も邦題に合わせてつくられたみたい。

「脳内」って言葉は、この映画の監督チャーリー・カウフマンが脚本を書いた『エターナル・サンシャイン』や脳科学ブームからの発想だろうけど、映画はカウフマン流のユーモアはあるものの全体に沈鬱で、青空にシーモア・ホフマンの頭蓋が浮かぶ宣伝や「驚嘆と感動のライフ・エンタテインメント」というキャッチとは差がある(製作費2000万ドルに対し現在までの興行収入313万ドルと、興行的には失敗作みたいだから、配給会社が明るいイメージで売りたいのは分かるけど)。

アメリカの公式サイト入口のイメージは、死体らしきものが累々と重なる彼方にニューヨークの巨大セットが見えるというもので、いやでも9・11を連想させる。この映画に描かれた生と死、絶望と希望は、アメリカ人、なかでもニューヨーカーには9・11を下敷きにしていると感じられんじゃないだろうか。

そう考えると、ケイデンの恋人ヘイゼル(太めのサマンサ・モートン)が買おうとするのが燃えている家という現実にはありえない設定で、ケイデンはそれが気に入り、炎のなかに住んでいるというのも、意味深に思えてくる。

そんなふうに現実と虚構を行き来し、主人公たちは、彼らの役を演ずる劇中の主人公たちとドッペルゲンガーみたいに重なりあい、劇作家の日常を主題とした芝居は17年たっても始まらず、始まらないんだから永遠に終わらず、ケイデンの死で断ち切られるしかない。

なんとも不思議な映画だった『マルコヴィッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品(無論、脚本も)。『マルコヴィッチ』『エターナル』の脚本家らしく現実と非現実が入り混じり、ひねりの効いた構成だけど、そんな仕掛けを別にすれば、作品の感触はロバート・アルトマンの群像劇のテイストとウッディ・アレンの心情告白をミックスした感じ。アルトマン亡く、アレンがアメリカを去ったいま、こんなふうに笑いや悲しみ織り交ぜてニューヨークを語ってくれる作り手が出現したのが嬉しい。

ニューヨークの巨大セットの1シーンで、僕が住んでいたアパートの近く、ブルックリンのDUMBO(ダンボ)がロケに使われていた(と思う)。元は港だった地域の、古い建物が立ち並ぶ倉庫街。石畳の道路に、かつての路面電車の線路が残る。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でロケに使われた場所といえば、分かってもらえるか。ニューヨーカーが「ありうべき(あるいはかつてあった)ニューヨーク」を想像するとき、レンガ積みと鉄骨と石畳のこういう風景になるんだな。


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November 09, 2009

『母なる証明』の痛覚

Mother

『母なる証明(原題:マザー)』の最初のシーンと最後のシーンで、母(キム・ヘジャ)が踊る。最初のシーンは秋枯れの草原。ひとり歩いてきた母が立ち止まり、最初おずおずと両手を上げ韓国の伝統的な踊り方で体を動かしはじめ、やがてそれに熱中する。見る者は、こんな場所でなぜ彼女がひとり踊っているのか分からない。ふつう踊りだすのは何か嬉しいことがあったときだけど、何が嬉しくて踊るのかも分からない。

映画の終わり近く、この草原を母が歩くシーンが再び呼び出される。このとき見る者は、母が息子トジュン(ウォンビン)のために何をしたかを知っている。映画の最後にファースト・シーンに戻るのはよくある手だから、あ、これで母は踊りだすんだと思う。ところがポン・ジュノ監督は、もうひとつのエピソードをつけ加える。

(以下ネタバレです)母は、殺人犯で捕らわれた息子の無実を証明するために、現場に居合わせたクズ拾いの男を問いつめながら、実は殺人を犯したのは息子だったことを知ってしまう。その瞬間、ためらいもなく母は男を殺し、放火する。母が草原を歩くのは、その次のシーンだ。

釈放されたトジュンは男のバラックの焼け跡で、母のものである治療用の鍼の容器を拾う。母が放火殺人に関係していた証拠になりうるその容器を、トジュンは母に返す。なぜそれがそこにあったか、トジュンは母に聞かないし、母も何も言わない。

そしてラストシーン。母は仲間とバス旅行に出かける。バスの座席に座った母は鍼の容器を取りだして1本の鍼をつまみ、自らの太腿にその鍼を打つ。見る者は、鍼を打たれる一瞬の痛覚を母と共有する。母が踊りだすのはその後だ。物見遊山の旅で早くも踊りだした仲間にまじって、(たぶん)太腿に鍼を刺したまま母は踊る。カメラはシルエットになった彼女をクローズアップで捉えている。

ここがポン・ジュノだね。最後に草原のシーンに戻って母が踊るところで終わっては、よくある映画、になってしまう。母が鍼を自分の身体に打つ痛覚。その痛覚とともに踊ることで、この母と子、2人の殺人者の思い思われる関係がいっそう凄味を増す。

映画の舞台は韓国の地方都市に設定されているが、町の名前は明らかにされない。ロケもどこか1ヵ所ではなく韓国各地でやっているらしい。どこか1ヵ所でロケをすれば、韓国の観客にはだいたいの場所が分かってしまうだろう。複数の場所でロケをしているのは技術的理由もあるだろうけど、それだけでなく、見る者に場所を特定させないという意図も監督にあったかもしれないと思う。

それは母に名前が与えられていないことに対応している。特定の場所、特定の母ではなく、どこにもない場所の、誰でもない、ということは誰でもありうる母の物語なのだ。

ポン・ジュノは『ほえる犬は噛まない』でも『殺人の追憶』や『グエムル』でも、作品としてのまとまりを崩してでも自分のこだわりを執拗に描写する監督、という印象を受ける。この『母なる証明』でも、そのこだわりは一層強まっている。だからカンヌで賞を取れなかったのかもしれないけど、やはりこのほうがポン・ジュノらしい。


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Yの墓参

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亡くなって9年になる友人Yの墓参りに高尾へ出かけた。高尾駅から低い山をふたつ越えた谷あいにある寺。5年ほど前につくられた霊園で、どれも新しい墓石に午後の鈍い光が射している。

Yとは仕事仲間だっただけでなく、一緒に草ラグビーをやったり、皇居一周マラソン大会を走ったりした。山のベテランだった彼に誘われて八ヶ岳を縦走したこともある。なにより、新宿で、麻布十番で、よく飲んだ。掌を見せてもらうと真赤だったから、肝臓が悪いんだよ、医者に行ったらと勧めたけど、Yは構わず飲んでいた。

墓参の帰りにかつての仕事仲間、ラグビー仲間5人と軽く飲み、13回忌でまた顔を会わす日まで、なんとか生き延びようと言い合って別れた。

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November 05, 2009

アラン・トゥーサン みずみずしいピアノ

Bright_mississippi

こんなセロニアス・モンク、聞いたことなかったなあ。ニューオリンズ・スタイルで演奏されるモンクの「ブライト・ミシシッピ(Bright Mississippi)」。アラン・トゥーサン(Allen Toussaint)の演奏だ。

モンク右手の独特のタッチと、時に不協にもなる左手の和音を消し、アラン・トゥーサンの快いピアノをニューオリンズ・スタイルのバックが支えると、まるでストーリーヴィルの路上で演奏されているみたいに陽気なモンクになる。モンクの斬新な音が、実はこういう伝統のなかから出てきたことがよく分かる。

アラン・トゥーサンはニューオリンズのR&Bシーンで活躍するピアニスト、歌手、作曲家。オーティス・レディングやローリング・ストーンズ、Dr.ジョンなんかが彼の曲をカバーしている。僕はほとんど聞いたことがなかったけど、最新アルバム『ブライト・ミシシッピ』(Nonesuch)を、ここんとこ毎日のようにかけている。ニューオリンズのR&Bとニューヨークのジャズが出会うとこんな音になるんだ。

ベテランのアラン・トゥーサン以外、ニューヨークのジャズ、ロックの若い腕っこきが周りをかためている。ニコラス・ペイトン(tp)、マーク・リボット(acoustic g)といった連中に、ブラッド・メルドー(p)、ジョシュア・レッドマン(ts)も1曲ずつ加わる豪華メンバー。

僕はモダン・ジャズ好きなので、ニューオリンズ・ジャズを聞くとどうもモダンジャズ前史をお勉強するみたいな気分になってしまう。去年、ニューオリンズでセント・ピーター・ストリート・セレナーダーズというバンドを聞いたときも、ニューヨークでウィントン・マルサリスのニューオリンズ・スタイルの演奏を聞いたときも、それなりにいいとは思ったけど、心が浮き立つような満足感はなかった。

でもアラン・トゥーサンのピアノは聞いてて本当に楽しい。70代とは思えないみずみずしいタッチに、優しい音色がたまらない。なかでも「セント・ジェームズ診療院(St. James Infirmary)」のトゥーサンとリボットのかけあいは泣ける。

「エジプチアン・ファンタジー(Egyptian Fantasy)」などシドニー・ベシェやデューク・エリントンの曲をニューオリンズ・スタイルで、あるいはブルースでやっていながら、伝統的なニューオリンズ・ジャズやブルースそのままではない。古いけど新しい、新しいけど古い、不思議な音。このメンバーならそれも当然か。ストリート・ミュージックの香りがするのもいいな。


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