『空気人形』 言葉なんか覚えるんじゃなかった
空気人形のペ・ドゥナがふわふわと不思議な抑揚で「わたしは心をもってしまいました」とつぶやいたとき、ひとつの詩が頭をかすめた。田村隆一の「帰途」。最後の一節を書き写そうと思ったけど、書いているうちに全文をうつしてみたくなった。そんなに長い詩じゃない。
言葉なんか覚えるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
若いころ愛唱した詩だけど、いま読んでも胸がつまる。映画のなかでは吉野弘の「生命は」という詩が、やはりペ・ドゥナによってひとりごとのようにつぶやかれる。吉野弘の柔らかな言葉は、この映画の空気にふさわしい。それでも僕は、田村隆一の突き刺すような言葉をこの映画に重ねてみたくなる。
ペ・ドゥナの人形が「こころを持ってしまいました」とつぶやくとき、それは「言葉をもってしまいました」と言うのに等しい。人のこころを持ってしまったとは、言葉を持ってしまったということなのだから。
「言葉のない世界」に生きていたころのペ・ドゥナは、人形の持主でファミレス店員・秀雄(板尾創路)を「ただそれを眺めて」いるだけだった。秀雄が人形のペ・ドゥナに倒錯した愛を寄せても、セックスの代用品にしても、空虚な目で秀夫を眺め、機械的に事後の処理をしているだけだった。「そいつは 無関係」なのだから。
でも、こころを持ってしまったペ・ドゥナは、死にかけている元教師(高橋昌也)の「沈黙の舌から落ちてくる痛苦」に寄り添う。あるいは、事件が起こるたびに「自分が犯人」と交番に名乗り出る老夫人(冨司純子)の「涙のなかに立ちどまる」。孤独なレンタル・ビデオ店の店員・順一(ARATA)の「きみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」。
順一の血にまみれたペ・ドゥナは、こうつぶやいているように思える。「きみの一滴の血に この世界の夕暮れの ふるえるような夕焼けのひびきがあるか」。
それにしてもペ・ドゥナは美しい。眼をぱっちり見開いた人形メーク。大胆なヌード。是枝裕和監督は女優を美しく撮る監督だけど、『空気人形』のペ・ドゥナは際だってる。秀雄のベッドに横たわるペ・ドゥナを正面から捉えたカット。ペ・ドゥナがバスでシャワーを使うのを舐めるように捉えるカット。リー・ピンビンのカメラにためいきが出る。
なかでも、空気が抜けたペ・ドゥナに順一が息を吹き込んで生き返らせるシーンは、どんなセックス・シーンより官能的だ。順一がペ・ドゥナの人形の空気穴から息を吹き込むたびに、しおれていた空気人形のペ・ドゥナが蘇り、エクスタシーの表情を浮かべる。これが順一と人形のペ・ドゥナが結ばれる愛のかたちなのだ。
設定や物語はそんなふうに倒錯的だけれど、例えば乱歩もの(『陰獣』とか『屋根裏の散歩者』とか)や谷崎潤一郎映画(『刺青』とか『卍』とか)のような妖しさには行かない。官能的だけど変態的ではない。それは、これまでの作品を見ればわかる是枝監督(脚本も)のまっとうな人柄と、暖かみのある画面のせいだろう。東京のリアルな風景のなかで繰り広げられるファンタジーみたいな味わいを持っている。
中央区湊あたりでロケされてるみたいだ。隅田川に沿って古い日本家屋と空地と高層アパートが混在する今の東京の風景を、リー・ピンビン(ホウ・シャオシェンやウォン・カーウァイのお気に入り)のカメラが横移動で、あるいは俯瞰で捉える。とくにファースト・シーン、かすかにカメラを移動させたり、ズーミングしたり、微妙に視覚を揺らせながら物語のなかに見る者を引きこんでいくあたりは、ホウ・シャオシェンの『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の冒頭と同じで見事だ。
でもこの映画は、リー・ピンビンのでもなく、是枝監督のですらもなく、ペ・ドゥナの映画だね。彼女を好きになったのは『子猫をお願い』からだけど、この映画のペ・ドゥナは最高に美しい。欲をいえば、30歳になって成熟したペ・ドゥナでなく、まだ少女の面影を残した『子猫をお願い』のペ・ドゥナで見たかったけど。
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