« 金木犀の香りにつつまれる | Main | 帰り道 »

October 17, 2009

『空気人形』 言葉なんか覚えるんじゃなかった

2

空気人形のペ・ドゥナがふわふわと不思議な抑揚で「わたしは心をもってしまいました」とつぶやいたとき、ひとつの詩が頭をかすめた。田村隆一の「帰途」。最後の一節を書き写そうと思ったけど、書いているうちに全文をうつしてみたくなった。そんなに長い詩じゃない。

言葉なんか覚えるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか

あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ

あなたのやさしい眼のなかにある涙
きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

若いころ愛唱した詩だけど、いま読んでも胸がつまる。映画のなかでは吉野弘の「生命は」という詩が、やはりペ・ドゥナによってひとりごとのようにつぶやかれる。吉野弘の柔らかな言葉は、この映画の空気にふさわしい。それでも僕は、田村隆一の突き刺すような言葉をこの映画に重ねてみたくなる。

ペ・ドゥナの人形が「こころを持ってしまいました」とつぶやくとき、それは「言葉をもってしまいました」と言うのに等しい。人のこころを持ってしまったとは、言葉を持ってしまったということなのだから。

「言葉のない世界」に生きていたころのペ・ドゥナは、人形の持主でファミレス店員・秀雄(板尾創路)を「ただそれを眺めて」いるだけだった。秀雄が人形のペ・ドゥナに倒錯した愛を寄せても、セックスの代用品にしても、空虚な目で秀夫を眺め、機械的に事後の処理をしているだけだった。「そいつは 無関係」なのだから。

でも、こころを持ってしまったペ・ドゥナは、死にかけている元教師(高橋昌也)の「沈黙の舌から落ちてくる痛苦」に寄り添う。あるいは、事件が起こるたびに「自分が犯人」と交番に名乗り出る老夫人(冨司純子)の「涙のなかに立ちどまる」。孤独なレンタル・ビデオ店の店員・順一(ARATA)の「きみの血のなかにたったひとりで帰ってくる」。

順一の血にまみれたペ・ドゥナは、こうつぶやいているように思える。「きみの一滴の血に この世界の夕暮れの ふるえるような夕焼けのひびきがあるか」。

それにしてもペ・ドゥナは美しい。眼をぱっちり見開いた人形メーク。大胆なヌード。是枝裕和監督は女優を美しく撮る監督だけど、『空気人形』のペ・ドゥナは際だってる。秀雄のベッドに横たわるペ・ドゥナを正面から捉えたカット。ペ・ドゥナがバスでシャワーを使うのを舐めるように捉えるカット。リー・ピンビンのカメラにためいきが出る。

なかでも、空気が抜けたペ・ドゥナに順一が息を吹き込んで生き返らせるシーンは、どんなセックス・シーンより官能的だ。順一がペ・ドゥナの人形の空気穴から息を吹き込むたびに、しおれていた空気人形のペ・ドゥナが蘇り、エクスタシーの表情を浮かべる。これが順一と人形のペ・ドゥナが結ばれる愛のかたちなのだ。

設定や物語はそんなふうに倒錯的だけれど、例えば乱歩もの(『陰獣』とか『屋根裏の散歩者』とか)や谷崎潤一郎映画(『刺青』とか『卍』とか)のような妖しさには行かない。官能的だけど変態的ではない。それは、これまでの作品を見ればわかる是枝監督(脚本も)のまっとうな人柄と、暖かみのある画面のせいだろう。東京のリアルな風景のなかで繰り広げられるファンタジーみたいな味わいを持っている。

中央区湊あたりでロケされてるみたいだ。隅田川に沿って古い日本家屋と空地と高層アパートが混在する今の東京の風景を、リー・ピンビン(ホウ・シャオシェンやウォン・カーウァイのお気に入り)のカメラが横移動で、あるいは俯瞰で捉える。とくにファースト・シーン、かすかにカメラを移動させたり、ズーミングしたり、微妙に視覚を揺らせながら物語のなかに見る者を引きこんでいくあたりは、ホウ・シャオシェンの『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の冒頭と同じで見事だ。

でもこの映画は、リー・ピンビンのでもなく、是枝監督のですらもなく、ペ・ドゥナの映画だね。彼女を好きになったのは『子猫をお願い』からだけど、この映画のペ・ドゥナは最高に美しい。欲をいえば、30歳になって成熟したペ・ドゥナでなく、まだ少女の面影を残した『子猫をお願い』のペ・ドゥナで見たかったけど。

|

« 金木犀の香りにつつまれる | Main | 帰り道 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41136/46457089

Listed below are links to weblogs that reference 『空気人形』 言葉なんか覚えるんじゃなかった:

» 空気人形/ペ・ドゥナ、ARATA [カノンな日々]
ドゥナちゃんの出演作はデビュー作の韓国版『リング』から全て鑑賞してるドゥナペンです。彼女のこの最新作は山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』に続いての日本映画。山下監督もそうでしたけど是枝裕和監督もドゥナちゃんのファンで出演を熱望されたそうですね。日本の....... [Read More]

Tracked on October 17, 2009 at 09:36 PM

» 『空気人形』 [かえるぴょこぴょこ CINEMATIC ODYSSEY ]
空気の空は空虚の空、空疎の空?空気は風になり、息になる。人々も街も地球も呼吸をするのだ。2009年の日本映画のベスト1ほぼ確定。今年も是枝! 秀雄と暮らす空気人形ののぞみは、「心」を持ってしまう。 原作は、業田良家の短編コミック「ゴーダ哲学堂空気人形」是枝裕和監督は現代日本の中ではマイ・フェイバリットのNO2に位置する映画監督なので、当然のことながら楽しみにしていた今作なんだけど、期待どおりのとてもステキな映画であった。いつもオリジナルものを手がけていた是枝監督が、今回は初めて原作のあるもの... [Read More]

Tracked on October 17, 2009 at 11:34 PM

» 『空気人形』 [Rabiovsky計画]
映画『空気人形』 公式サイト 監督・プロデューサー・脚本・編集:是枝裕和 原作:業田良家 出演:ぺ・ドゥナ 、ARATA 、板尾創路 、オダギリジョー 、高橋昌也 2009年/日本/116分 おはなし Yahoo!映画 レトロなアパートで秀雄(板尾創路)と暮....... [Read More]

Tracked on October 18, 2009 at 11:55 PM

» 『空気人形』 [・*・ etoile ・*・]
'09.10.09 『空気人形』@新宿バルト9 これは見たかった。ペ・ドゥナは好き。板尾さんも出てるし! オダジョーも出てるので、オダジョーファンのbaruを誘って行ってきた。 *ネタバレありです。 そして熱弁です 「"男性の性の処理をする代用品"の空気人形ノゾミは、ある朝心が芽生えてしまった。一人街へ出た彼女は様々な体験をする。ふと立ち寄ったレンタルビデオ店の店員純一に恋をした彼女は、店で働き始めるが…」という話。これは良かった。是枝監督の作品は『花よりもなほ』しか見ていない。史... [Read More]

Tracked on October 19, 2009 at 01:35 AM

» 【映画】空気人形 [新!やさぐれ日記]
▼動機 掘り出し物感 ▼感想 絵本のような世界 ▼満足度 ★★★★★★☆ いいかも ▼あらすじ レトロなアパートで秀雄(板尾創路)と暮らす空気人形(ペ・ドゥナ)に、ある日思いがけずに心が宿ってしまう。人形は持ち主が仕事に出かけるといそいそと身支度を整え、一人で街歩きを楽しむようになる。やがて彼女はレンタルビデオ店で働く純一(ARATA)にひそかな恋心を抱き、自分も彼と同じ店でアルバイトをすることに決める。 ▼コメント しっとりとした大人のおとぎ話。 いや「絵本」のような映... [Read More]

Tracked on October 19, 2009 at 11:16 PM

» 「空気人形」とてもおもしろかったが [TWO 2 SIXTY]
おもしろかった。 リンダ・リンダ・リンダで好きになったペ・ドゥナがこの映画でもやっぱりとてもよかった。片言の日本語がナチュラルということも含めてとても似合った。元々空気人形っぽい、、 ってことはないか。でもペ・ドゥナの魅力は強い感情を表現しても生々しくならないで役とわずかに距離感を保つところにあると思っている。だからやっぱり心を持ってしまった空気人形というのがほんとに適役だった。やっぱり映画は配役でっせ。大成功。えらい。変な歩き方も好き。... [Read More]

Tracked on October 24, 2009 at 12:07 AM

» 『空気人形』〜ペ・ドゥナ人形/人間振りにて相勤め申し候〜 [Swing des Spoutniks]
『空気人形』公式サイト空気人形O.S.T(Amazon)監督:是枝裕和出演:ぺ・ドゥナ ARATA 板尾創路 オダギリジョー 高橋昌也ほか【あらすじ】(goo映画より)古びたアパートで持ち主の秀雄と暮らす空気人形は、ある朝、本来は持ってはいけない「心」を持ってしま....... [Read More]

Tracked on October 24, 2009 at 10:39 PM

» 『空気人形』  [京の昼寝〜♪]
□作品オフィシャルサイト 「空気人形」□監督・脚本 是枝裕和 □原作 業田良家(「ゴーダ哲学堂 空気人形」) □キャスト ペ・ドゥナ、ARATA、板尾創路、高橋昌也、余貴美子、岩松了、星野真里丸山智己、奈良木未羽、柄本佑、寺島進、オダギリジョー、富司純子■鑑賞日 10月25日(日)■劇場 チネチッタ■cyazの満足度 ★★★(5★満点、☆は0.5)<感想> 是枝裕和脚本・監督作品 前作の『歩いても 歩いても』では、ある家族が息子の死を中心に据え、 家族のそれぞれの持つ内面的な苦悩と表情を、まるで... [Read More]

Tracked on October 30, 2009 at 12:51 PM

» 映画「空気人形」 [おそらく見聞録]
監督:是枝裕和(昔の作品も観てみようと思いました) 出演:ぺ・ドゥナ(☆)ARATA 板尾創路(◎)高橋昌也(◎)余貴美子(何気に効いていた) 出演:岩松了 星野真里 寺島進 柄本佑 オダギリジョー 丸山智己 奈良木未羽  中年の男が所持していたラヴドールが... [Read More]

Tracked on October 31, 2009 at 09:54 PM

« 金木犀の香りにつつまれる | Main | 帰り道 »