『九月に降る風』 鞄の中の飯島愛
『九月に降る風』の原題は「九降風」。映画の舞台になる海辺の都市・新竹で9月に吹く季節風のことだそうだ。台湾では入学と卒業の季節でもある。
男子7人、女子2人の高校生が卒業までの日々に友達として、あるいは恋人として交わった友情とその終わり――青春映画の永遠のテーマだね。遠くからは同じように見える青春もひとりひとりに眼をこらせばそれぞれの色があるわけだから、あらゆる国あらゆる世代で瑞々しい青春映画は次々に生まれる。トム・リン(林書宇)監督が自分の体験を基にしたデビュー作『九月に降る風』も、そんな1本だった。
台湾ならばエドワード・ヤンの『クーリンチェ少年殺人事件』やホウ・シャオシェンの『風樻の少年』『恋恋風塵』といった青春映画の傑作がある。『九月に降る風』はそれら80年代の台湾ニュー・ウェーブを十分に意識しながら、でも先行世代の2人ほどスタイルの冒険はせず端正な作品に仕上げたのはリン監督の意図したことか。
ヤン、ホウ両監督の作品を踏まえていると言えば、少年少女の群像劇という構造は『クーリンチェ少年殺人事件』に似ているし、登場人物を見詰める静かな視線はホウ・シャオシェンに近い。主人公イエン(リディアン・ヴォーン)とガールフレンドがビデオルームで見ている映画はホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』だ。『恋恋風塵』の印象的なアコースティック・ギターのメロディを、次のシーンではこの映画の同じアコースティック・ギターのメロディが引き継ぐ。2本の映画が共鳴している。
青春映画は、いつもその背景になる時代と密接にからんでる。『九月に降る風』でも1990年代の台湾の事件や風俗が取り入れられている。軸になっているのは台湾プロ野球。主人公はイエンを中心にした竹東高校の悪がき(といっても、たばこ吸ったりビール飲んだりする程度の)グループで、彼らは野球場へ出かけて時報イーグルスを応援する熱心なファンだ。映画の時間として設定された1996年、イーグルスのスター、リャオ・ミンシュン(寥敏雄)が野球賭博事件で追放された。
スポーツ用品店の息子イエンは、偽造したリャオのサイン・ボールをたくさん持っていて、親友のタン(チャン・チエ)にもわける。下級生のチョンハンはリャオのベースボール・カードを集めている。そんなリャオとイーグルスへの思いが映画の最後で裏切られ、それがひとりは死に、ひとりは退学になり、ひとりは(おそらく)逮捕され、恋人たちは別れ、ほのかな思いは届かず、9人がばらばらになる彼ら自身の蹉跌に重なってくる。リャオ本人が登場するラストシーンが台湾人にどんな感慨を呼び起こすのかは、外国人の僕らには本当のところよく分からない。
もうひとつ90年代の風俗といえば、グループの優等生、タンがカバンに入れているのは飯島愛の写真集だった(僕は90年代に3度台湾に行ってるけど、この時代、のりピーも大人気だった)。
タンは、グループのリーダー格で女の子にもてるイエンのガールフレンド、ユンにほのかな思いを寄せている。タンはユンの勉強を見てやっているのだが、ユンが、タンのカバンのなかに飯島愛の写真集を見つけてしまったり、タンがユンに勉強を教えながら彼女の胸元にそっと視線をやるあたり、高校時代の誰にもでもある思い出で、切ないリアリティがあるなあ。携帯ではなくポケベルで連絡しあうあたりも時代を感じさせる。
台湾の青春映画の舞台として定番になっているビリヤード場も登場するし、ガジュマルの大樹の下に悪がきがたむろしているのもホウ・シャオシェン映画でおなじみだ。教室の窓の外に火焔樹の赤い花が咲いている風景が印象深いし、繰り返し登場する、高校の屋上から見る低い山並みに囲まれた新竹の変哲もない風景も忘れがたい。
こういう古典的とでも言えそうな青春映画は、今の日本ではなかなかできない。その意味でも、ノスタルジーを感じるなあ。トム・リン監督はカリフォルニア芸術大学で映画を学んだ後、ツァイ・ミンリャン監督の『西瓜』で助監督を務めている。『海角七号』が大ヒットし(日本でも来春公開予定)、この映画もいくつかの賞をもらい、沈滞していた台湾映画に活気が出てきたようで嬉しい。
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