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September 27, 2009

大阪 上町街歩き

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仕事で大阪へ日帰りで出かけた。用事の合間に、ほんの15分ほど上町台地を街歩き。大坂城から南へ下ったあたり。土曜日の午後、繁華街ではないので、人通りは少ない。

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大阪らしい(?)派手な招き猫。

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谷町筋の表通りを一歩裏へ入ると住宅街。

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帰り際に梅田へ。大阪に2年ほど住んでいた20年前、時々行ったキタのお好み焼き屋が健在だった。阪急東通りの「美舟」。東京で男1人や男同士でお好み焼き屋に入るのは気が引けるけど、大阪なら当たり前の風景だ。店内では阪神・中日戦の実況(ラジオ!)が流れていた。阪神が負けているのも、いかにも。

僕の前に男2人の後ろ姿が見えるけど、ここは2人がけの「アベックシート」。いつごろできたんだろうなあ。今では男1人の専用席になってるみたいだ。戦後間もなくからやっている店で、こんな昭和の香りのする店が当り前に残っているのが大阪の好きなところだ。

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September 23, 2009

秋の収穫

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なぜか彼岸になって畑の収穫が増えてきた。夏にほとんど実らなかったゴーヤが毎日のように取れるし、トマトやエンダイブもまだいける。今年は種まきがいつもより1カ月近く遅れたせいかもしれない。でもこのままでは冬野菜が間に合わなくなるなあ。

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朝顔や夕顔もまだ咲いている。

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September 21, 2009

由比ヶ浜の夕焼け

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遠く小笠原諸島を台風が通過した翌日。鎌倉・由比ヶ浜の見事な夕焼け。鎌倉に住んでいるT君は、こんな景色を毎日のようにながめてるんだろう。

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September 20, 2009

『サブウェイ123 激突』 地下鉄6号線

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『サブウェイ123 激突(原題:The Taking of Pelham123)』は、去年夏まで毎日のようにニューヨークの地下鉄に乗っていた身には楽しい映画だったな。

ニューヨークの地下鉄は、マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスを26路線が縦横に走ってるから、地下鉄(とバス)を使えば市内のどこへでも行ける。しかも30日間72ドルのメトロカードで乗り放題(バスも)だから、日本の地下鉄やJR・私鉄の電車を利用して東京や大阪を歩きまわるよりずっと安い。

この映画で、ぺラム駅1時23分発の6号線ダウンタウン方面行きがサブウェイ・ジャックされたのは、42丁目・グランドセントラル駅近くに設定されているようだ。実際のロケも42丁目駅で深夜に行われたという(wikipedia)。アップタウン方面、ダウンタウン方面の2つのうち片側の線路とホームをロケに提供した。ニューヨークの地下鉄は24時間営業だから、いくら深夜とはいえ大変だったろう。

サブウェイ・ジャック犯ライダー(ジョン・トラボルタ)たちが脱出に使うルーズベルト廃駅は42丁目・グランドセントラル駅からの引き込み線で、ウォルドフ・アストリア・ホテルの下にある。これもちゃんとロケしてるみたい。東京でも銀座線に新橋廃駅があって、昭和初期に使われたホームが残っているから、こういうのを使えば面白い映画ができるんだけどな。

ところで地下鉄6号線はブロンクスのペラム・ベイパーク駅を始発に、マンハッタンに入ってレキシントン街を南下し、ダウンタウンのブルックリン橋・市役所駅までを走る。ブロンクスでは別の地域を走っていた4号線、5号線もマンハッタンで合流して、同じ線路を走る。マンハッタンで4、5号線は「急行」だけど、6号線は各駅停車だ。

セントラル・パークの東、アッパー・イーストサイドを走る地下鉄はこの4、5、6号線しかない。このあたりには、メトロポリタン美術館はじめ、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、フリック・コレクションなどが集まっている。僕が6号線を使うのは、たいてい美術館へ行くためだった。

この映画のオリジナル版『サブウェイ・パニック』は1974年につくられている(公開時に見たきりだけど、ウォルター・マッソーがいい味出してた)。ニューヨークの治安が悪化して、地下鉄も危険と言われていた時代だから、それなりにリアリティがあったかもしれない。今は当時よりずっと安全になって、僕も滞在していた1年間、地下鉄で危ない目に会ったことはないし、大きな事件もなかった。だから映画にリアリティを感ずるというより、純粋なフィクションとして楽しんだ。

もうひとつ懐かしかったのは、ラスト近くで出てくるマンハッタン橋。地下鉄運行司令室のオペレーター、ウォルター・バーガー(デンゼル・ワシントン)とライダーが対決するシーン。ウォルターは橋上を通過する地下鉄をやりすごしてライダーに銃をつきつける。この地下鉄はQラインで、僕はブルックリンのアパートからマンハッタンの語学学校に通うのに毎日のように乗っていた。

ライダーとウォルターが向かい合う歩道も何度も歩いたことがある。マンハッタン橋のマンハッタン側入口はチャイナタウンのはずれにある。チャイナタウンで食事や買い物をして、マンハッタン橋を歩いてブルックリンに渡ると40分ほどで僕が住んでいたアパートに着く。

この歩道を歩くのが好きだったのは、ここから見る景色が素晴らしかったから。下流にあるブルックリン橋の美しい石造橋とウォール街の摩天楼が、朝は逆光に輝き、夕方は夕陽に染まっているのを一望するのは、ニューヨークに暮らしているんだなあと実感できる瞬間だった。僕の個人的なニューヨーク・ベスト・スポットのひとつ。

Qラインに乗るときは、マンハッタン橋にさしかかると必ずこの風景に心を震わせたし、日本から友人が来ると、よくブルックリン側から歩道を渡ってチャイナタウンに食事に誘った。

デンゼル・ワシントン(主演)、トニー・スコット(監督)、ブライアン・ヘルゲランド(脚本)という組み合わせは『マイ・ボディガード』と同じ。小気味よいエンタテインメントをつくりながら、ちょっとした描写で人間の陰影を浮き彫りにするのも前作と似ている。

バーガーは次期車両を選定する任務で日本へ行き、ワイロをもらったとして告発されている。ライダーは乗客に銃をつきつけながら、収賄を否定するバーガーに、お前はやったんだろと迫る。ライダーは乗客の命を守るために、心ならずも嘘をついてワイロを受け取ったと答える、と観客には思わせる。

ところが事件が解決した後、バーガーと市長とのやりとりで、バーガーがワイロを受け取ったのかもしれないと思わせる言葉をしゃべる。本当はどうだったのか? よく分からない(と感じられた)まま、映画は終わる。だからこそ、大パックのミルクを手にアパートに戻るデンゼルの姿が心に残る。

ハリウッド流のハッピーエンドで終わらせないあたり、いかにもヘルゲランド(『LAコンフィデンシャル』『ミスティック・リバー』)の脚本だなあ。(後記:いくつかのブログを見ると、バーガーは嘘をついたのではなく、本当にワイロを受け取ったのだと理解している人もいる。そんなふうにどちらとも取れる描き方こそ、ヘルゲランド=スコットが狙ったところかもしれない。)

アクション映画としてゆるいところや無理もあるけど、個人的思い入れもあって楽しめた。

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September 09, 2009

宙に浮いた年金記録

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いまごろになって「年金確認記録確認票」が送られてきた。これまでにも2度ほど「ねんきん特別便」が来て、確認していたのに。今回送られてきたのは明らかに小生のではない。昭和39年から42年といえば高校~大学時代。働く人間が入っていた厚生年金には加入していない。

ということは、若くても60代後半、あるいはもっと高齢者のものだろう。これが宙に浮いた年金記録というやつか。働いて、年金を払って、もらえる年齢になってもそれが戻ってこない。これまでの経過にもあきれ果てていたけれど、身近(? かつてご近所に住んでいた同姓同名という意味で)にこんな例が出てくると、お年寄りへの酷い仕打ちに改めて怒りがこみあげる。

社会保険庁の誰もが、いずれこういう事態になることを分かっていたという。関係していた政治家がそれを知らなかったはずはないし、「最後のひとりまで明らかにする」などと白々しいセリフを吐いて、自民党がぼろ負けしたのも当然か。

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September 06, 2009

『ちゃんと伝える』 微かなやりすぎ

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すべてが過剰でやりすぎだった『愛のむきだし』の園子温(その・しおん)監督の新作『ちゃんと伝える』は、前作が信じられないくらい普通の映画だったなあ。

素材からして、今はやりの「余命もの」と園監督が名づけたジャンル。難病で「余命あと○カ月」と宣告されることでドラマが始まるやつだ。

もっとも『愛のむきだし』も素材それ自体はボーイ・ミーツ・ガールの青春ものだったけど、男の子と女の子が出会うまでのそれぞれの過去を映画1本分ずつの時間を使って描くという「非常識」な映画だった。『むきだし』は上映時間237分と普通の映画2本分だったけど、『ちゃんと』は常識の範囲内に収まってる。

主人公と彼を取り巻く人物も、『むきだし』は特異なキャラクターが多かったけど、『ちゃんと』は誰もが普通の人々だ。

史郎(AKIRA)は地方都市のタウンマガジン誌で働いている。父(奥田瑛二)がガンで入院し、それまで父とろくに話もしなかった史郎は病院にかけつけるが、ついでに受けた検診で自身もガン、それも父親より悪いと宣告される。史郎には結婚を約束した恋人の陽子(伊藤歩)がいる。史郎は、父にも陽子にもちゃんと向き合い、ちゃんと伝えることを決心する……。

ストーリーだけでなく、映像もクローズ・アップがやたら多かった『むきだし』に比べて、ごく普通。『おくりびと』と同じように地方の風景を取り込んだ引きの画面をたくさん使ってる。『むきだし』にあった観念的なイメージ・カットもない。

メジャーな資本から「余命」ものをと声がかかったわけではなさそうだから、こういう「普通」の映画を園子温監督は意識的につくってる。エンドロールで「父に捧ぐ」と出るから、父親の死を悼む個人的動機がこういうスタイルを取らせたんだろうか。

その結果は、ちょっと面白みのある、よくできた映画。

最後に史郎が父との約束を果たすシーンまで、画面は抑制がきいている。見る者の感情をわざと揺さぶったり、涙を強要しない姿勢はいいなあ。

でも、「よくできた映画」と言ってしまえば、それ以上つけくわえることもない。僕が面白いと思ったのはそこではなく、ごく当たり前の映画のなかにも微かに感じられる「やりすぎ」の部分だった。

史郎が家を出て職場までジョギングで通勤する。母親(高橋恵子)が夫が入院する病院に通うため、決まった時間にバスに乗り、いつも同じ運転手と挨拶をかわす。史郎と陽子は商店街を歩き、昭和ふうに懐かしい金鳥の看板がかかった四つ辻で分かれる。

そんなシーンが繰り返される。常識的な編集なら、こうしたショットは1度か、せいぜい2度で処理される。それで観客には説明できるからだ。ところが園監督は、同じショットを3度、4度と繰り返す。

その繰り返しは『むきだし』のようにあからさまな過剰でなく、映画全体の「よくできた」感を壊すことはないけれど、微妙ななにものかをにじみ出させる。それは、日常の繰り返しのなかに密かにしのびこんでくる死の影、とでも言ったらいいか。

もっとも、そのにじみ出てくるものも微かで、「よくできた」感を突き抜けて映画を別次元に持っていってしまうほどのものではないように思えた。園子温監督は、やっぱりやりすぎが似合うなあ。

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September 02, 2009

『九月に降る風』 鞄の中の飯島愛

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『九月に降る風』の原題は「九降風」。映画の舞台になる海辺の都市・新竹で9月に吹く季節風のことだそうだ。台湾では入学と卒業の季節でもある。

男子7人、女子2人の高校生が卒業までの日々に友達として、あるいは恋人として交わった友情とその終わり――青春映画の永遠のテーマだね。遠くからは同じように見える青春もひとりひとりに眼をこらせばそれぞれの色があるわけだから、あらゆる国あらゆる世代で瑞々しい青春映画は次々に生まれる。トム・リン(林書宇)監督が自分の体験を基にしたデビュー作『九月に降る風』も、そんな1本だった。

台湾ならばエドワード・ヤンの『クーリンチェ少年殺人事件』やホウ・シャオシェンの『風樻の少年』『恋恋風塵』といった青春映画の傑作がある。『九月に降る風』はそれら80年代の台湾ニュー・ウェーブを十分に意識しながら、でも先行世代の2人ほどスタイルの冒険はせず端正な作品に仕上げたのはリン監督の意図したことか。

ヤン、ホウ両監督の作品を踏まえていると言えば、少年少女の群像劇という構造は『クーリンチェ少年殺人事件』に似ているし、登場人物を見詰める静かな視線はホウ・シャオシェンに近い。主人公イエン(リディアン・ヴォーン)とガールフレンドがビデオルームで見ている映画はホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』だ。『恋恋風塵』の印象的なアコースティック・ギターのメロディを、次のシーンではこの映画の同じアコースティック・ギターのメロディが引き継ぐ。2本の映画が共鳴している。

青春映画は、いつもその背景になる時代と密接にからんでる。『九月に降る風』でも1990年代の台湾の事件や風俗が取り入れられている。軸になっているのは台湾プロ野球。主人公はイエンを中心にした竹東高校の悪がき(といっても、たばこ吸ったりビール飲んだりする程度の)グループで、彼らは野球場へ出かけて時報イーグルスを応援する熱心なファンだ。映画の時間として設定された1996年、イーグルスのスター、リャオ・ミンシュン(寥敏雄)が野球賭博事件で追放された。

スポーツ用品店の息子イエンは、偽造したリャオのサイン・ボールをたくさん持っていて、親友のタン(チャン・チエ)にもわける。下級生のチョンハンはリャオのベースボール・カードを集めている。そんなリャオとイーグルスへの思いが映画の最後で裏切られ、それがひとりは死に、ひとりは退学になり、ひとりは(おそらく)逮捕され、恋人たちは別れ、ほのかな思いは届かず、9人がばらばらになる彼ら自身の蹉跌に重なってくる。リャオ本人が登場するラストシーンが台湾人にどんな感慨を呼び起こすのかは、外国人の僕らには本当のところよく分からない。

もうひとつ90年代の風俗といえば、グループの優等生、タンがカバンに入れているのは飯島愛の写真集だった(僕は90年代に3度台湾に行ってるけど、この時代、のりピーも大人気だった)。

タンは、グループのリーダー格で女の子にもてるイエンのガールフレンド、ユンにほのかな思いを寄せている。タンはユンの勉強を見てやっているのだが、ユンが、タンのカバンのなかに飯島愛の写真集を見つけてしまったり、タンがユンに勉強を教えながら彼女の胸元にそっと視線をやるあたり、高校時代の誰にもでもある思い出で、切ないリアリティがあるなあ。携帯ではなくポケベルで連絡しあうあたりも時代を感じさせる。

台湾の青春映画の舞台として定番になっているビリヤード場も登場するし、ガジュマルの大樹の下に悪がきがたむろしているのもホウ・シャオシェン映画でおなじみだ。教室の窓の外に火焔樹の赤い花が咲いている風景が印象深いし、繰り返し登場する、高校の屋上から見る低い山並みに囲まれた新竹の変哲もない風景も忘れがたい。

こういう古典的とでも言えそうな青春映画は、今の日本ではなかなかできない。その意味でも、ノスタルジーを感じるなあ。トム・リン監督はカリフォルニア芸術大学で映画を学んだ後、ツァイ・ミンリャン監督の『西瓜』で助監督を務めている。『海角七号』が大ヒットし(日本でも来春公開予定)、この映画もいくつかの賞をもらい、沈滞していた台湾映画に活気が出てきたようで嬉しい。


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