浦和ご近所探索 調(つき)神社
(旧中山道に面した神社の入口。昔から鳥居がなく、狛犬の代わりにウサギの石像がある)
調(つき)神社というのは正式な名前で、旧浦和市民はみな「つきのみや」と呼ぶ。漢字を当てれば「調宮」か「月の宮」だろう。市民にいちばん親しまれている神社で、わが家の神棚にも調神社の神璽がある。
前回の「ご近所探索」で大宮の氷川神社に行ったのは数十年ぶりだったけど、ここには月に1、2度は行く。家から歩いて25分ほど。ちょうどいい散歩コースなのだ。
「書評 book navi」(LINKS参照)のために原武史『松本清張の「遺言」』と松本清張『神々の乱心』を読んでいたら、大宮の氷川神社だけでなく、この調神社も出てきた。
『神々の乱心』では、ツクヨミを祀る月辰会という新興宗教団体の本部が埼玉県にあると設定されている。その理由を原はこう推察している。
「中山道の浦和宿に近い岸村には、もともと『月読社』『月の宮』といわれた調神社がありました。……どうやら清張は、秩父のほかに、調神社が埼玉にあることから、月辰会の本部を埼玉に設定したようですね。……『月読社』『月の宮』といわれたことからもわかるように、月と関係のある神社であるのは間違いありません」
原武史が書いているように調神社は中世や江戸時代には「月読社」とか「月の宮」と表記されていた。中世以来、この地域で盛んだった月待信仰の中心地だったんだろう。近くには「二十三夜」など、月待信仰にちなんだ地名もある。月にウサギはつきもだから、境内にはウサギの石像、彫刻がたくさんある。
祭神はアマテラス、トヨウケビメ、スサノオの三神。氷川神社とはスサノオを祀ることで共通するけれど、こちらにはアマテラスが入っている。スサノオを祀る出雲系である氷川神社と調神社の関係はよくわからない。でも共に延喜式に記載された「式内社」だから、古くからの由緒ある神社であることは確かだ。
「調」というのは租庸調(そようちょう)と呼ばれた律令時代の物納税のひとつで、ここが調の集積所だったために調神社と呼ばれるようになった。入口に鳥居がないのは、調を運びいれるときに邪魔になったからだと言われる。
「調(つき)」は「月」であるとともに「槻=ヒノキ」でもある。境内には樹齢数百年のヒノキの並木がある。この下を歩くのが好きだ。
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