上海の旅(1) 新しい街
ほんの4日ほどの旅で、上海に行ってきた。
以前に上海に行ったのは1981年だから、28年ぶりのことになる。まだ鄧小平の改革開放はおろか、文化大革命の余波が残っている時代だった。仕事で行ったんだけど、通訳は黒竜江省に下放され、運よく上海に戻って大学で日本語を学んだ文革世代の青年。彼の通訳で、文革で痛めつけられた老詩人に会って話を聞いた。
その後、テレビなどで見るにつけ、上海の変貌はすさまじい。どんなふうに変わったのか、一度行ってみたいと思っていた。
ホテルを出て、地下鉄の静安寺駅に向かって歩く。南京西路と華山路が交わるこのあたりは高層ビルが建設中で、繁華街に近い。金ぴかの静安寺の屋根が見える。
静安寺は朝からすごい人出。西暦247年創建と伝えられる真宗の古刹だ。もっとも建物は新しく、なかには巨大な釈迦と観音が坐している。革命後、仏教は保護されていたとはいえ、あまり大っぴらに人が集まる場所ではなかった。少なくとも1981年に来たとき、訪れた寺はひっそりしていたし、道教の道観は荒れ果てていた。当時と違って、まるで台北の寺や道観を思わせるにぎやかさ。人々が線香を手に、四方を拝んでいる。
上海の第一印象は、「工事中の街」。上海万博を来年に控え、建物、高速道路、地下鉄、すべてが工事中だ。まるで東京オリンピック前の東京状態、って言っても分かる人は少ないか。写真は繁華街の南京東路を一本裏に入った通りだけど、両側が建物がずらっと改築中。昔は足場が竹で組まれていたけど、さすがに鉄骨になっている。できあがれば洒落たショップになるんだろうか。
植民地時代の上海の象徴する外灘(バンド)へ。28年前に泊まったホテル、和平飯店は閉鎖され改築中だった。万博までに新しいホテルとしてオープンするらしい。バンドの植民地時代の建物は、和平飯店と同じように多くが改築中。
向かいの黄浦公園も工事中で入れなかった。黄浦公園からバンドの歴史的建造物と、黄浦江の向こう岸にそびえる高層ビル群を同時に眺めたらどんな気持になるだろうと思ってたんだけど、残念。
いくつかの建物は改装が終わっている。そのひとつ、外灘18号は元インド・オーストラリア・チャータード銀行。外観は新古典主義、内部はアール・デコ調の優美な建物だ。
カルティエなどのブランド・ショップやバー、レストランが入った複合施設。2006年のアジア太平洋文化遺産保護賞を受けている。
黄浦公園に入れなかったので、その上流にかかる外白渡橋まで行くと、対岸の浦東に建てられた高層ビル群が見えた。28年前、黄浦江の向こうに広がるこの地は一面の草原だった。外灘沿いの中山東路に車は少なく、朝晩は自転車でいっぱいだった。
僕の記憶では草原の地、浦東の地下鉄駅を出ると、中国各地や外国から来た観光客でいっぱいだ。いかにも中国的な建物、東方明珠塔なんかを写真に撮っている。
ここも、いたるところ工事中。埃っぽく、おまけに34度の暑さと肌にべとつく湿気がたまらない。東方明珠塔の展望台や、森ビルが建てた上海環球金融中心といった観光名所に行く気も起らず、早々に引き上げることにする。ここの風景は映画の『ダーク・ナイト』で堪能したから、まあいいか。
地下鉄は8ラインが営業し、さらに4ラインが工事中。乗客の服装は東京と変わらない。ニューヨークよりお洒落かも。と思ったら、一目で地方出身と分かる労働者が大きな袋をかかえて乗っていた。
夕方、ホテルに戻ろうと静安寺駅を出ると空が真っ黒。部屋へ入って5分後、ものすごいスコールと雷が来て2時間つづいた。雨が上がった後も、外の空気はねっとりと熱く、湿っている。
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