『風の馬』 チベットの山と街
チベットのラサに住むチベット人兄妹を主人公に、彼らがヒマラヤを越えて亡命するまでを描いた『風の馬(原題:Windhorse)』は、1998年、舞台になるラサと亡命チベット人コミュニティがある隣国ネパールのカトマンズで撮影された。まず、そのことに驚く。
生きる目的を失って酒びたりの兄と、ナイトクラブの歌手で中国人の恋人をもつ妹が、やがて過酷な現実に向き合わされ中国政府に追われる身となるストーリーを持ったアメリカ資本の映画が、現地での撮影を許可されるはずもない。
監督はアメリカのインディペンデント系ドキュメンタリストのポール・ワグナーと、フリー・チベット運動にかかわる亡命チベット人2世のテュプテン・ツェリン。2人はラサへビデオカメラを持ち込んで密かに街の風景を撮影し、小道具となる警官の衣装や中国製ビールなどを集めてネパールに持ち込んだという。
ネパール政府も中国に気兼ねして亡命チベット人の動向に敏感だから、ここでもドキュメンタリーとミュージック・ビデオをつくるという名目で撮影許可を得た。
亡命チベット人コミュニティには政府への密告者もいるから、主人公の従妹である尼僧が雑踏を歩きながら「チベットに自由を!」と叫ぶシーンを撮影すれば、映画の内容はすぐ政府に知られてしまう。そこでこの大がかりなシーンの撮影は最後に行われ、撮影されたテープはその日のうちに国外に持ち出された。翌日にはネパール情報省と警察がクルーの宿舎にやってきてテープ引き渡しを求めたという。
そんなふうにして撮影されたリアルさが、この映画に命を吹き込んでいる。フィクションなんだけれど、チベットの風景と街と人々の表情は、どちらかといえばドキュメンタリーに近い。
同時期にハリウッドで『セブン・イヤーズ・イン・チベット』や『クンドゥン』といったチベットを舞台にした作品がつくられた。実際にはアンデス山脈やモロッコで撮影されたそれらハリウッド映画は、風景も人もカネにまかせてフィクションとしてつくられている(劇映画だから、フィクションはフィクションで構わない。ただ、その「質」は問われる)。だからこの映画は善くも悪くも同じ次元では考えられない。
『風の馬』は、役者にもすべて亡命チベット人が起用されている。主役の歌手を演ずるダドゥンは、アメリカに住む亡命チベット人シンガー。彼女はラサのディスコで人気の歌手だったが、友人が中国政府に抗議して逮捕され、自身の立場も危なくなって亡命したという、映画の役とよく似た経歴をもつ。兄役のジャンバ・ケルサンはネパールのチベット難民コミュニティで育ったロック・ミュージシャンだそうだ。
逮捕され拷問を受ける尼僧役の女優はアメリカに住む亡命チベット人だが、チベットに残る家族の安全を考えてだろう、名前を出していない。本名を出せないなら芸名をつけてもよさそうなものだが、そうしないところがドキュメンタリストであるポール・ワグナー監督のセンスであり、この映画の精神でもあるんだろう。
中国語を解さず、中国人に反感を隠さない祖母。中国語を話し、中国人と妥協しながら生きている両親。友人から抗議運動に誘われても加わらず、ビリヤード場やナイトクラブに入り浸る兄。実力を共産党幹部に認められ、友好的なチベット人歌手として中国全土にテレビ中継されることになった妹。従妹の尼僧はダライ・ラマを崇拝している。
監督たちが亡命チベット人に取材して構成したというこの物語、いわばラサに住むチベット人家族の「典型」なんだろう。近所に住む僧侶は密告者だし、従妹を拷問する警官もチベット人だ。これもまたチベットの現実に違いない。それらが「お話」でなく、映画がつくられて10年後の今も続いていることは、去年の大規模な抗議行動と鎮圧が物語っている。
僕はその目的がどんな正当なものであれ、プロパガンダの匂いのする映画が好きになれない。共同監督のひとりがフリー・チベットの関係者であることからも明らかなように、『風の馬』はその運動に沿ってつくられている。とはいえ、この映画にプロパガンダ映画の空虚と大げさな身振りはない。フィクションとしての出来は、いくつもの悪条件を考えれば、よくここまでつくった、といったところだが。
例えば『カサブランカ』や『戦艦ポチョムキン』のようにプロパガンダ映画でありながらプロパガンダの彼方まで行ってしまった映画にはひれ伏すしかない。『風の馬』は、プロパガンダ以前で、ラサの街や人々やヒマラヤの高山に掲げられたチベット仏教の旗が風にはためいている風景に思わず引き込まれてしまう。そのドキュメンタリーの感触に好感を持てた映画だった。
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