『湖のほとりで』 穏やかな目線
ゆっくり移動するカメラが、緑濃い谷に白壁の家が点在する小さな村を見下ろしている。すぐにカメラは村のなかに入っていき、石畳の道を同じようにゆっくり移動しながら、住民の姿と声を捉える。小学生らしい女の子が歩いている、その後ろ姿を追いかける。
村にはいつものように、静かな時間が流れている。と、女の子を追いかけるカメラがいきなり犯罪者の目になったように、カメラの背後から車が忍び寄り、運転手と女の子が言葉を交わしたかと思うと女の子は車に乗り込んでしまう。事件が起こる。
見事なプロローグ。最初の数分で、『湖のほとりで(原題:La Ragazza del Lago)』の底を流れる静かな目線を印象づける。穏やかな村と、そこに起こる犯罪。もっとも行方不明になった女の子はすぐに見つかり、その代わり、もうひとつの殺人事件が明らかになる。
湖のほとりで、女子高生アンナの死体が発見される。裸の上にジャケットをかけられ発見された彼女を殺したのは誰か。サンツィオ刑事(トニ・セルヴィッロ)が村の人々に話を聞いてまわる。彼女の死に絡んでいるかもしれない、何人もの人々がいる。
山間の静かな村。水辺で発見される若い女性の裸の死体。一見平和な町の人々が、内にかかえているさまざまな秘密。……とくれば、どうしてもデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』を思いだしてしまう。ツイン・ピークスに似た、岩肌のごつごつした山も映し出される。でもこの映画は、人間の闇の部分に好奇心たっぷりに入り込んでゆく『ツイン・ピークス』とはまったく逆のほうを向いている。
女の子を連れて行った、知的障害をもつ男と、そのことに悩む父親。仕事をさぼりがちな、アンナのボーイフレンド。アンナがベビーシッターをしていたアンジェロが事故死し、それが元で別居したアンジェロの両親。
疑わしい村人が次々に登場するけれど、カメラは彼らから一定の距離をおき、節度をもって眺めている。デヴィッド・リンチみたいに、ぐいぐいと彼らの内側に入り込んでいくことをしない。その程のよさ、品のよさは、この映画の底を流れる、暖かで穏やかなカメラ目線からくるものだろう。
その距離感は主人公サンツィオ刑事に対しても変わらない。サンツィオもまた若年性アルツハイマーの妻をもち、病院に入れた妻を娘に会わせる決心がつかないでいる。それが明らかにされることで、事件を追う刑事と、疑われる村人という構図が崩れ、この時点で『湖のほとりで』は刑事もの映画ではなくなってしまう。刑事も村人も、それぞれが色んな問題を抱えながら生きている、ごく当たり前の人間にすぎない。そんな彼らにそっと寄り添うカメラの距離感が、この映画の見事なスタイルになってる。
事件はあっけなく解決される。リアルというよりメルヘンふうな結末で、事件映画ではないから、それもまあいいか。この終わり方を見れば、カメラが人々の内面に無遠慮に踏み込まなかったのもなるほどと思えてくる。
原作はノルウェーのフィヨルドを舞台にしたミステリーで、それを北イタリアに置きかえている。ベネツィアの北東、アルプスに近い山の空気が、北ヨーロッパとも通ずるんだろうか。その風景を見ているだけでも楽しい。
アンドレア・モライヨーリ監督は、これが長編第1作。オメロ・アントヌッティ(『アレクサンダー大王』『エル・スール』)はじめ、すごい役者がちょこっと出てくるのも嬉しい。ヨーロッパ映画には、ときどきこういう印象的な小品があるのが素敵だね。
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