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February 05, 2009

桐野夏生浸り・5

Out_german
(『out』ドイツ語版)

桐野夏生の小説にはしばしば「毀れる」「壊れる」といったキーワードが出てくることを書いた。

村野ミロ・シリーズの第2作『天使に見捨てられた夜』には、その言葉こそ出てこないけれど、彼女の小説の主人公が「毀れる」とはどういうことかを暗示するシーンが出てくる。

行方不明のアダルト・ビデオ女優探しを依頼されたミロは、ビデオ制作会社の社長で魅力的な肉体をもった矢代と出会う。ミロは矢代にレイプまがいの脅しを受け、彼が女優の行方不明に絡んでいるかもしれないのに、結局は男の魅力に負けて関係をもってしまう。

その展開は、主人公の探偵が女に設定された「逆ハードボイルド」だから、読んでいて、おやおやとは思うけれど、ハードボイルドというジャンルにとっては「お約束」のうちとも言える。探偵が調査を続けるうちに、魅力的な女に出会う。探偵と女はいい感じになり、時には寝てしまう。

斎藤美奈子サンが喝破したようにハードボイルドが「男のハーレクインロマンス」である以上、そのストーリはしばしば男の通俗的な夢をなぞることになる。だから、これはありうる展開だ。そしてそのエピソードは、男にとっては「一瞬の夢」とか「束の間のアバンチュール」にすぎず、女が実は事件の犯人だったりして、物語の終わりに探偵が噛みしめる苦さをいっそう増すための香辛料として処理される。

ところがこの小説では、ミロが調査対象の男と関係を持ってしまったことが「一瞬の夢」「束の間のアバンチュール」として処理されることはない。

ミロはその後、徹底した屈辱を受けることになる。その関係を刑事に知られ、「仲良しさん、か」「あんたら女はいいねえ。からだ張って調査できるもんね」と薄ら笑いを浮かべた軽蔑を受ける。それだけでなく、やはり調査探偵の父親や、彼女が思いを寄せるゲイの男友達にまで知られてしまう。主人公の颯爽とした格好よさは地に落ちる。

なぜ桐野夏生はミロをここまで屈辱にまみれさせるのか。これは明らかにハードボイルドの「お約束」をはみ出している。読者にしてみれば、「お約束」で成り立っているエンタテインメントに安心して身を委ねていたら、いきなりその快さをぶち壊されたようなものだ。実際、この部分は発表後にファンの間で議論になったらしい。

桐野夏生が「毀れる」「壊れる」という言葉を使うのは、小説によって明示されていることも暗示にとどまる場合もあるけれど、たいていこういうシチュエーション、あるいは体験を指している。

一言でいえば、社会とか世間というものの掟に違反してぶちのめされ、屈辱を受け、人格がどこか深いところで変わってしまうことを、「毀れる」「壊れる」と表現しているように思う。桐野の小説で「毀れる」のはたいてい女性であり、しかもそのシチュエーションには性が絡んでいることが多い。

『天使に見捨てられた夜』は全体としては「お約束」にのっとったハードボイルドだから、ミロは屈辱に耐えて調査を続け、事件を解決する(結末は、ロス・マクドナルド以来の「家族の秘密」ものを踏まえた鮮やかなもんです)。

ではハードボイルドの「お約束」から自由になった他の作品で、「壊れた」主人公たちはどうなっていくのか。

『グロテスク』の語り手である「わたし」は、コンプレックスを抱いている「美人の妹・ユリコ」、高級娼婦から街娼におちぶれて殺された妹に対して嫉妬と憎しみの言葉を全編にわたって吐きつづけている。社会的には区役所勤めの、どこにでもいる平凡な女である「わたし」は、でも最後の章に来ていきなりそんな内面の「毀れ」を行動に表わす。

妹の息子で盲目の美少年・百合雄とともに、街娼として渋谷の街角に立つことになるのだ(皮肉なことに百合雄にばかり客がつくのだが)。初めてラブホテルの門をくぐりながら、「わたし」は内心でこうつぶやく。

「これから起きることを想像して心臓は激しく打っていましたが、それを上回る感情と意志がわたしを支配していたのです。わたしを侮り始めた百合雄に対する憎しみとわたしも変わりたいという欲望でした。わたしは男の体重に喘ぎ、優しさなど微塵もない男の愛撫を受けながら、きっとこう思うでしょう。和恵(注・同級生。殺された街娼)は醜くなった自分を晒し、そんな自分を男に買わせることによって、自分に、そしてこの世に復讐していたのだと。今、わたしも同じ理由で身を売るのです」

「一度落下してしまえば、その後の道行は案外、楽しいのかもしれません。……だとしたら、憎しみも混乱もすべてを背負って、船出いたしましょう。わたしも怖れずに参ります。まあ、わたしの勇気を称えて、あちらで、ユリコと和恵が手を振っているではありませんか」

区役所勤めをしている女が街娼になる。妹のユリコや同級生の和恵(「東電OL殺人事件」の被害者をモデルにしている)と同じ道筋をたどって社会的な網からこぼれ落ちた「わたし」は、小説のなかで初めての解放感を味わっている(斎藤美奈子サンも文庫版解説で「爽快」「不思議な解放感」という言葉を使っていて、小生の感じ方もあながち間違いではなかったと嬉しくなった)。その解放感は、この件で使われる別の言葉でいえば「意志」的に実現した「変わりたいという欲望」から来ている、ということになるだろうか。

『out』のラストシーンはこうなっている。

ばらばら殺人事件の犯人と間違えられた男・佐竹は、死体処理を実行した雅子を追いつめる。佐竹には快楽殺人を犯した過去がある。「毀れて」いる雅子は、いつか佐竹に出会い、滅ぼされたいと願うようになる。2人は物語の最後で出会う。佐竹は雅子を拉致し、深夜の廃工場で乱暴するが、2人の間には愛とも憎しみともつかない奇妙な感情が生まれる。

「雅子は佐竹と自分の不思議さを思い、自分の中で動く佐竹にもっと強い意志的な憎しみを抱いた。……何とかこ男をこの刃で貫いてやりたい」

雅子は一瞬のすきを突いて佐竹の頬をえぐり、死にゆく佐竹とこんな会話を交わす。

「『死なないで』雅子は静かに言った。
『自由になろうぜ』佐竹がつぶやいた。
『うん』
佐竹が腕を伸ばし、雅子の頬にそっと触れた。その指の先は冷たかった」

佐竹が死んだ後、ラストシーンで雅子はこうつぶやく。

「佐竹とも、ヨシエや弥生(注・犯罪の仲間)とも違う、自分だけの自由がどこかに絶対にあるはずだった。背中でドアが閉まったのなら、新しいドアを見つけて開けるしかない」

ここでも「意志的」という言葉が使われている。雅子の行動は制御できない感情の結果でなく、あくまで「意志的」なものとして描かれている。また「自分だけの自由」という言葉が使われている。

『グロテスク』の「わたし」も、『out』の雅子も、物語の最後に来てすっくと立ち上がる。社会や世間の網の目からこぼれ落ち「壊れた」主人公たちが「自分だけの自由」を求めて「意志的に」立ち上がる。もっともそれは社会的に見れば、「わたし」は街娼になったということであり、雅子は殺人・死体損壊遺棄犯として逃亡するということである。

言葉にしてしまえば「意志」とか「自由」という単語になるけれど、それらの言葉を背後から支える感情の深さを、桐野はそこへ来るまでに、これでもかとばかりに描いている。だからこそ読者は主人公の最後のすっくとした立ち姿に解放を覚えるのに違いない。

主人公たちは売春や犯罪に加担するわけだけれど、主人公のなかにも、それを描く作者のなかにも、社会秩序をつくる法への意識が微塵もない。イデオロギー的な反体制というのではなく、法の規範意識や世間の「お約束」がきれいさっぱり消えうせているのだ。そこにひっかかると、もしかしたら主人公の解放感を共有できないのかもしれないが。

桐野夏生の読者に女性が多いのは、作者が女性だというばかりでなく、売春や犯罪とまではいかなくとも、女性が世間の掟にそむいて屈辱を受け「壊れる」体験が、大なり小なりこの社会のありふれた出来事だからだろう。だからこそ、屈辱の底から立ち上がる主人公に共感を覚えるのだろう。

最後に桐野夏生の想像力について。

彼女の小説は、何度も書いたように「東電OL殺人事件」とか少女誘拐・長期監禁事件とか、実際に起こった事件に素材を求めることが多い(『東京島』も戦争中に起こった事件をヒントにしている)。

でもそれはあくまで素材で、小説の中身は現実の事件とはかけ離れ、事実を追うのではなく妄想に妄想を重ねたものになる。それは作家の想像力なんて整除された言葉ではなく、桐野夏生は事件の当事者に憑依するのだ、とでも言いたくなる。まるで殺された女に憑き、その女になりかわって語りつづける巫女みたいに。

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