『チェ 39歳 別れの手紙』のビスタ・サイズ
あれれ、この画面はビスタ・サイズじゃないか。確かパート1の『28歳の革命』はシネマスコープだったよな。映画が始まってまず驚いたのはそのことだった。なぜ?
グーグルで探すと、スティーブン・ソダーバーグ監督のインタビューが見つかった。そのなかでソダーバーグはこんなことを言っている。
「(画面サイズの違いは)チェの声の質の違いによる。第1部はハリウッド的で、革命の大勝利を俯瞰的に描いている。第2部ではチェの内なる声に迫った。それにはハンディカメラがいい」
なるほどね。前に書いた『28歳の革命』のエントリーで、「まるでメキシコを舞台にした50~60年代の西部劇でも見ているような気分になる」と記した。パート1も普通のハリウッド映画に比べると客観的な、ドラマチックとは程遠い演出がされていたけれど、列車襲撃・転覆とかサンタクララ市街戦とかのアクション・シーンがあった。
シネマスコープ(縦横比1:2.35)は1950年代に20世紀FOXが開発したもので、60年代には公開される映画の多くがシネマスコープ(か類似のワイド画面)だったから、ソダーバーグがシネスコ・サイズを選んだのは、今では懐かしい「ハリウッド・アクション」の映画的記憶を計算してのことだったかもしれない。
それにしても、なぜビスタ・サイズなのか。ビスタビジョンはやはり1950年代にパラマウント社が開発したもので、このサイズ(1:1.85)は、人間が2つの目でモノを見ている普段の視覚にいちばん近い比率だと言われる。
ビスタ・サイズで思い出すのは、台湾のホウ・シャオシェン監督のエピソードだ。
ホウ監督は、初期に雇われ監督でつくったシネスコの歌謡映画を別にすれば、すべての映画をビスタ・サイズで撮影している。日本企業に頼まれてTVコマーシャルをつくったときも、最初、TV画面の比率に近いスタンダード・サイズ(1:1.33)で撮りはじめたけれど、途中どうにも気に入らなくてビスタ・サイズに変えたという。その理由をホウ監督は「スタンダードでは遠くを見ることができないから」と言っていた(朝日ワンテーマ・マガジン『侯孝賢』朝日新聞社)。
スタンダード・サイズは、人間の目が近くの人やモノに焦点を合わせて見つめるとき背景の風景がほとんど意識されないような、いわばクローズアップ的な視覚に近い。一方、シネマスコープは「もっと大画面を」という要請からつくられたサイズだから不自然で、いかにも人工的な視覚という印象がぬぐえない。その意味で、ビスタ・サイズは人間の生理にいちばん近いサイズだと言える。
そう考えると、ソダーバーグ監督がパート2にビスタ・サイズを選んだ理由が納得できる。
実際、『チェ 39歳 別れの手紙』の画面には終始、親密で、個人的な感情が滲みだしている。まるでチェと親しい人間が、彼のそばに影のようにつきそい、チェの行動を彼(彼女)が個人的にカメラで記録した、そのフィルムを見ているような気分になる。それは沈鬱なトーンを基調としている。
カメラは手持ちでカットを細かく刻まない。会話シーンでも、しゃべっている人間を交互にクローズアップする「お約束」の切り返しもなく、たいていチェの背後から顔も見せずに、距離をおいてカメラを回している。それは劇映画ではなくドキュメンタリーの作法であると同時に、素人が技巧を弄せず撮っている素人臭さを意図したようにも感じられる。
チェが銃撃戦で負傷し捕虜になるシーンも、遠くからただ素っ気なくカメラを回しているだけだ。それが逆に、現実はこのように進行してゆくのだというリアリティーを醸し出す。
ゲバラのボリビアでの341日は、いろいろな原因はあるにせよ、ゲリラ戦の基本である民衆(インディオ)の支持を得られない絶望的な戦いだった。風にそよぐ森の木々を見上げるショットは、孤立した戦いをつづけるチェの末期の眼のようだし、最後に銃殺されるシーンでは、カメラがチェの目線そのものになる。
一言でいえば沈鬱なドキュメンタリーのように撮られた映画。ハリウッドのエンタテインメントを基準にすれば説明的でなく映画的興奮もないけれど、監督の意図からすれば、パート1よりずっと完成度の高い仕上がりになっていたと思う。
もうひとつ、個人的に満足したのはボリビアでロケされていたこと。『ゲバラ日記』を読んだのは40年も前のことだけど、そのとき、ボリビアがどんな風景をもつ国なのか、まったく知識がなかった。その欠落したイメージを、40年ぶりにこの映画が補ってくれた。
Comments
こんにちは。
興味深いお話をありがとうございます。
そういう具体的な理由があって、きちんとしたこだわりがあって、そのサイズを選んでいるというのは嬉しくなります。
Posted by: かえる | February 12, 2009 08:55 PM
パート1とパート2は原作が違い(どちらもゲバラの著作ですが)、一方は公的な回顧録、一方は私的な日記という「声の違い」が画面サイズの違いになったようですね。
このところソダーバーグは「オーシャンズ11」とか期待を裏切ることが多かったですが、この作品のための資金稼ぎだったんでしょうかね。
Posted by: 雄 | February 13, 2009 01:18 PM