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January 07, 2009

『懺悔』の寓意

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この映画をいま公開する意味ってなんだろう? そんなことを考えてしまった。

言葉を換えると、こうも言える。政治映画は、状況が変わってしまうとその時代のリアリティを実感するのはむずかしい。とすると、時代が変わっても生き残る政治映画とはどんなものか?

『懺悔(英題:Repentance)』は1984年のグルジア(当時はソ連邦の構成員)の映画。1987年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受けている。

グルジアの架空都市の物語で、市長ヴァルラムは偉大な支配者と呼ばれる独裁者。だがヴァルラムの死後、埋葬された彼の遺骸が何者かによって掘り起こされる。その犯人である女性の裁判を通じて、ヴァルラムの恐怖政治が語られてゆく。

という大筋から分かるように、架空の町の市長という設定になっているけれど見る者は誰も、これはスターリンの恐怖独裁政治のことだな、と想像がつく。

ゴルバチョフがソ連邦共産党書記長に就任しペレストロイカが始まったのが1985年。この映画はそれ以前の1984年製作だから、ペレストロイカによる自由な雰囲気のなかでつくられた映画ではない。もっともグルジア共産党の第一書記は後にゴルバチョフ政権の外相になるシェワルナゼだったから、それなりに「雪解け」していたのかもしれない。

にしても、この時代でもスターリン批判が微妙なテーマだったことに変わりはない。グルジアはスターリン自身の出身地でもあるわけだし。もちろんスターリンは既にフルシチョフによって批判されていたけれど、スターリン後も共産党による一党独裁支配は続いていたから、権力批判そのものがタブーだった。

だからこそ、デンギス・アブラゼ監督は架空の町の市長という設定を選んだんだろう。しかもリアリズムではなく、幻想が入り混じる寓話スタイルを採用して。

市長の命令で市民を逮捕・監禁する獄吏は中世の騎士みたいな鎧兜に身を固め、槍を持っている。裁判の場面ではギリシャ神話ふうな身なりの女性が天秤を持ち、目隠しされている。ヨーロッパの図像学では天秤は審判を象徴してる。その女性が目隠しされているんだから、この裁判はインチキだという意味だね。かなりナマな比喩ではあるけど、ともかくも架空のお話という体裁を取っている。

死んだ市長には息子夫婦と孫がいる。10代の孫は裁判が進むにつれ、被告女性の父である音楽家が理由なく逮捕され、やがて母も逮捕され粛清されたことを知って激しいショックを受ける。その父である独裁者の息子は、父(独裁者)のやり方に何も言わず生きてきたが、やがて内面で激しい葛藤があったことを教会で懺悔する。

内面で葛藤しながら父に従って黙って生きてきた市長の息子の存在は、権力にもの言わず生きてきたソ連の多くの人々の思いに重なるのだろう。その「懺悔」が映画のタイトルになっている。

……ということは映画を見てて分かるんだけど、それがリアリティをもってこちらに迫ってこないんだなあ。自分の鑑賞力を棚にあげていえば、それは映画の出来そのもののせいなのか。時代が変わってしまったからなのか。

この映画はペレストロイカの時代にソ連国内で公開され、大きな反響を呼んだそうだ。当時のソ連の人々にはとてもリアルで、切実に受けとめられたんだろう。市長の息子や孫の存在は、なにがしか自分のことだと感じられたにちがいない。カンヌ映画祭審査員特別賞という信頼できる賞を取ったところを見ても、国内だけでなく国際的にもそのような感性はあったのだろう。

でも、それから四半世紀近くたったいま、少なくとも僕はそのようには受け止められなかった。映画の出来は、正直言ってさほどのことはないと思う。寓話といっても、隠喩暗喩をちりばめた幻想的なものでなく、中途半端にリアルで中途半端にファルスで中途半端に寓話的な映画に仕上がっている。

ある時代の空気を共有していれば受け止められることが、ソ連が崩壊し、ロシアがグルジアに侵攻するなどという、時代がまったく変わってしまったいま、時代の空気という共通項なしに映画の裸が試されることになったのか。

で、問いは最初の、時代をこえて生き残る政治映画とはなんだろう、というところに帰ってくる。僕はそのことを考えて、2本の映画を思い浮かべる。

1本はアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』。1979年にソ連でつくられたこの映画は、架空の国の立ち入り禁止地域「ゾーン」に踏み込む男たちを描いた、これも寓話的な物語。恐怖政治の下で暮らす日常とはどんなものかを、こんなに身に沁みるように感じさせる映画はなかった。当時のソ連の政治的な事柄には一切触れていないけれど、きわめて政治的なメッセージを持った映画だと思った。

もう1本はアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』。これは『ストーカー』と違って、戦後の社会主義ポーランドの現実をもろにテーマにした映画だった。社会主義政権に抵抗するテロリストの死を描いて、生涯忘れられない映画になっている。

荒っぽく結論だけ言ってしまえば、2本ともスタイルこそ違え激しい体制批判の映画でありながら、そうした政治的テーマを突き抜けて、映画として別の次元に達していたと思う。『懺悔』はそこまで達していないことが、四半世紀後に裸の状態で見ると露わになってしまった、と僕には思える。

うーむ、正月最初の映画選びは失敗だったか。でも行ったことのないグルジアの町の空気や、緑濃い木々や花々が印象的だったのに救われた。

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Comments

>ヨーロッパの図像学では天秤は審判を象徴してる。その女性が目隠しされているんだから、この裁判はインチキだという意味だね。
審判の女神は目隠ししているのが正しい形ですよ。
全体的に表層的な理解に過ぎないのが残念ですね。

Posted by: 通りすがり | February 14, 2009 at 11:03 PM

あ、ほんとだ。目隠しは公正を象徴してるんですね。うろ覚えで書いたので、失礼しました。ほかのブログを見ると、この映画を高く評価している方が多いので、『懺悔』をどのようにご覧になったか感想をお聞かせいただけるとありがたかったのですが。

Posted by: | February 15, 2009 at 10:36 AM

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懺悔 1984ソビエト(グルジア) 監督:テンギス・アブラゼ 脚本:ナナ・ジャネリゼ、テンギス・アブラゼ、レゾ・クヴェセラワ 出演:アフタンディル・マハラゼ、イア・ニニゼ、メラブ・ニニゼ、ケテヴァン・アブラゼ 他 グルジア映画「懺悔」を観ました。 80年代前半をかけて製作され、当時のソビエト体制下では公開できなかったものの、ペレストロイカの進展により86年にグルジアで、87年にモスクワでそしてソ連全土で公開された。 その後アメリカの会社が世界配給権を得たが、採算性無しと日本での公開を渋っていたた... [Read More]

Tracked on January 08, 2009 at 04:44 AM

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