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January 31, 2009

桐野夏生浸り・3

Out_
(『out』ノルウェー語版)

それまでジュニア小説を書いていた桐野夏生が初めてミステリーを書いて江戸川乱歩賞に応募し、見事に賞を獲得したのが『顔に降りかかる雨』(1993)だった。主人公は女探偵の村野ミロで、以後、桐野はミロ・シリーズの続編やミロの父親を主人公に据えた作品で「女流ハードボイルドの旗手」と呼ばれる存在になる。

そんな評判にもかかわらず、彼女はハードボイルドの世界に長くはとどまらず、もっと広い場所へ出てゆく(ずっと後にミロ・シリーズが書き継がれるが)。そこで生まれたのが『out』(1997)、『柔らかな頬』(1999)といった傑作ミステリーだった。

日本のミステリーとして初めてエドガー賞にノミネートされ(『out』)、直木賞を受賞し(『柔らかな頬』)、高い評価とたくさんの読者を得たにもかかわらず、しかし桐野の小説はさらに変貌をとげて、もはやミステリーとも呼べないような作品へと変わってゆく。それは『玉蘭』(2001)を経由して、『グロテスク』(2003)で花開くことになる。『グロテスク』は見方によってはミステリーとも言えるし、そうでないとも取れる境界線上の作品かもしれない。

前のエントリーで、桐野夏生の小説が不安や嫉妬や憎悪に満ちているのに、読後にある種の解放感があるのはなぜかを考えてみたいと書いたけど、そこへ至る回り道として、彼女の書く作品がジャンルからジャンルへと移り行く、その経過を見てみる。

ハードボイルドはミステリーの一ジャンルだけど、ひとことで言えば「お約束」の世界である。

主人公は私立探偵か警官。事件が起き、主人公が調査に乗り出す。謎がある。ファム・ファタールを思わせる魅力的な女性が登場する。疑似恋愛。やがて謎が解かれ、真相が明らかになり、意外な犯人が判明する。残るのは、主人公の苦い思い。

ざっとこんなところが基本的な「お約束」だろうか。物語が主人公の一人称で語られることも多い。しゃれた会話と、舞台装置として都会的なファッションやジャズ。どの作家も、こういう「お約束」をベースに、そのなかでなんとか新味を出そうと知恵をしぼる。

時に「お約束」を裏切ったり、パロディにしたりするのも、あくまで「お約束」の掌のうちにある。読者も「お約束」を承知しているからこそ安心して、快く小説に身をゆだねることができる。

桐野夏生の『顔に降りかかる雨』や『天使に見捨てられた夜』『水の眠り 灰の夢』も、こういう「お約束」の上に成り立っている。彼女の場合、書き手も主人公も女性で、「お約束」の男女の役割がひっくり返されるのが新鮮だった(アメリカではたくさんあるけど)。読者にも女性が多かったらしい。

僕が読んだ3作はどれもよくできた、楽しめる小説に仕上がっている。主人公の村上ミロが魅力的だし、事件も1990年代の社会風俗をうまく取り入れている。『水の眠り』では資料を調べて1963年の東京、オリンピックと高度経済成長を目前にした東京(とりわけ銀座)の雰囲気が鮮やかに再現されている。いま読んでも上等のエンタテインメントだね。

ところで、ハードボイルドの「お約束」の上に成り立つ快さの正体をずばっと指摘した人が、僕の知るかぎり二人いる。

一人は『要塞都市LA』(青土社)を書いたマイク・デイヴィス。この本はロサンゼルスという都市を生成史、建築、都市社会学、セキュリティ論、文学、映画といった多角的な視点から論じた刺激的な一冊だ(読みにくいけど)。このなかでハードボイルドとノワールがロサンゼルスの都市文学として読み解かれている。

彼は言う。ハードボイルド作家が描く「彼らのプチブル・アンチヒーローは、まさに自伝的感情の表現であり」、「チャンドラーのマーロウも同じように、ギャング、悪徳警官、働かずにぶらぶらしている金持ちとの闘いに閉じこめられたちっぽけな自営業店主を象徴している――スタジオの大物や三流ライターと作家との関係の、ロマンチックなシミュラクラである」。要するにハリウッドに雇われたインテリ(作家)の嘆きと反抗のポーズ、つまりプチブル・アンチヒーローにすぎないと、さんざんな言われようだ。

もう一人は斎藤美奈子サンで、彼女はもっと分かりやすく簡潔だ。曰く、ハードボイルドは男のハーレクインロマンスだ、と。

うーん。苦笑しながらうなずくしかないね。

実は小生、ハードボイルド大好きである。もっとも読むのはアメリカの小説ばかりで、だから桐野夏生も発表時には読んでない。ハメット、チャンドラーの古典からジェームズ・クラムリー、ローレンス・ブロックといった70~80年代のネオ・ハードボイルド、ジェームズ・エルロイやマイクル・コナリーなどノワールふうな90年代以降の小説まで、けっこう追いかけてきた。

ハードボイルドの始祖であるハメットもチャンドラーも、1930年代にロサンゼルスにやってきて、ハリウッド映画の原案作者や脚色家として生計を立てながら、パルプ・マガジンと呼ばれる大衆的な雑誌に小説を発表していた(今の日本でいえば『アサヒ芸能』か『日刊ゲンダイ』という感じか)。

彼らの関係する映画(その多くはノワールと呼ばれるギャングもの)も小説も多くの人に見たり読んだりしてもらわなければ成り立たない大衆的商品だから、かつての東映やくざ映画や寅さんがそうだったようにパターン化し、「お約束」の世界になってゆく。

作家としての意欲や矜持と「お約束」の間にねじれが起こり、そのねじれが作品に反映して、ハードボイルドやノワールの陰影という隠し味になる。デイヴィスが「アンチヒーロー」と言うのは、小説家が「お約束」にのっとってヒーローを描こうとして、そのねじれが否応なく単純な「正義の味方」でないアンチ・ヒーローを生みだしてしまったのだと僕は解する。

しかし一方でそのヒーローはあくまで大衆(ほとんどが男)に受け入れられるものでなければならないから、男の通俗的な夢をなぞった「ハーレクインロマンス」ともなる(ここからイデオロギー的な「フェミニズム批評」というやつなら、女性が男の差別的視線を倒錯的に内面化したものとしてミロ・シリーズを批判するかも)。

デイヴィスが言うようにハードボイルドはロサンゼルスの都市小説(もう少し一般化すればアメリカの都市小説)とも読める特殊なものだから、それを日本に移し替えようとすると色んな困難がある。そもそもアメリカのような私立探偵はいないわけだし。

大藪春彦や生島治郎の先駆的な小説の後、五木寛之や船戸与一、佐々木譲、逢坂剛あたりを読んだ1970~80年代に、日本のハードボイルドもこの国の風土に合わせて成熟したなあと思った記憶がある。

僕はその後、日本のミステリーをあまり読んでないけれど、今度読んだ桐野夏生の小説も明らかにそういう流れの上に成り立っている。

ハードボイルドの「お約束」をちゃんと踏まえ、それが日本の現実のなかで不自然さを感じさせないように消化されている。ハードボイルド小説の魅力のひとつは風俗小説としての面白さだと思うけど、死体愛好や異装といった倒錯世界やアダルト・ヴィデオ業界、ネオ・ナチなんかをからませるのもうまい。主人公・村上ミロ(この名前はクラムリーの主人公・ミロドラゴビッチから取ったもの)の服装や音楽の趣味もいい。

それにしても桐野夏生は、はじめっから文章がうまかったんだなあ。その艶っぽさと、イメージの鮮やかさにはうなる。いちばん印象に残ったのは『顔に降りかかる雨』、ミロが雨の鎌倉の邸宅で、裏世界の顔役が首を吊っているのを発見するくだり。

「一瞬、白いものが目に留まった。雨によって新緑の緑が冴え、だから白いものが目にとまったのだろう。何か布が風に煽られて揺れたかのようだった。
 私は濡れ縁に出て、ガラス戸越しに庭を眺めた。またちらっと白いものが見える。あれは着物のような、と思った瞬間、ぞっとするものが背筋を走った。……
 私は顔に雨を受けながら、庭石づたいにその白いもののそばに近づいていった。椿の木の裏。その横の大きな馬酔木の陰。青桐のすべすべした木の枝に何かがぶら下がっている。毛のない真っ白な脛がいきなり目に入った。ひらひらと白麻の着物の裾がはためいている」

 雨中の緑と白の対照。風に揺られる着物の動き。読む者にも感じられる、顔に受ける雨の冷たさ。椿、馬酔木、青桐と映画のカメラのように移動してゆく視線。その先に現れる白い脚の不気味な感触。とてもミステリー作家としてのデビュー作とは思えない。

ミロ・シリーズは好評だったし、新しいハードボイルド・ヒロインの誕生として期待された。でもシリーズは、長編としてはひとまず2作で終わってしまう。どんなにうまく処理されていても、「お約束」が桐野にとっては不自由に、拘束として感じられたのだと思う。想像するに、「お約束」の上に成り立つ世界では自分の書きたいことが十分に展開できない、と考えたんじゃないかな(しばらくしてミロ・シリーズの続編が書かれたのは、もっと広い小説世界を確立し、「お約束」を楽しむ余裕ができたからだろう)。

船戸、佐々木、逢坂といった小説家がハードボイルドだけを書いたのではないように、日本の風土でアメリカ生まれの「お約束」の上に小説世界を展開するのはどこかで無理が生ずる。

桐野夏生は、ひとまずハードボイルドを離れ、もっと広いミステリーの世界へと転進してゆく。

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January 30, 2009

桐野夏生浸り・2

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(『out』中国語版)

桐野夏生の小説を何冊か読んでいると、どの作品にも共通するキーワードがいくつか出てくるのに気づく。そのひとつが「壊れる」、あるいは「毀れる」という言葉だ。

「壊れる」あるいは「毀れる」という言葉が発された瞬間に、桐野の小説世界はいちだん深い場所へと入ってゆく。そう感じられる。

たとえば『魂萌え!』の主人公。世間知らずの専業主婦だった敏子は、夫の死後、息子や娘との相続争い、夫の愛人との対面、自身の不倫などを経て、ひとりで生きていこうとする自分自身の胸に問いかける。

「壊れるのか、それとも新しい何かが生まれるのか」

あるいは『玉蘭』の医師・松村。彼は元恋人で娼婦まがいの生活を送っている有子と再会し、砂を噛むような思いで有子を抱きながら、こう考える。

「もっと感じてほしい。その願いは、有子にもっと壊れてくれ、と言っていることと同じだった。さっきはあれほど大事に壊れ物を扱うように抱いていたのに。有子はとっくに壊れていたのだ。松村は激しく上下に動きながら、有子に囁いていた。二人でどこまでも壊れよう」

この「壊れる」あるいは「毀れる」という言葉がとりわけ印象的な、それだけに凄まじいシチュエーションで使われているのが『out』だろう。

『out』はベストセラーになったから、今さらここで解説するまでもないけど、ちょっと詳しく見てみようか。いま読むと、こんな危ない小説がよくベストセラーになったね。

主人公は東京郊外に住む40代の主婦・雅子。彼女は自宅近くのコンビニ弁当工場で夜勤の期間労働者として働いている。彼女には工場でラインを組む3人の仲間がいるが、そのうちの1人・弥生がふとしたはずみで夫を殺してしまう。弥生に相談された雅子は、死んだ夫を行方不明に見せかけるために死体をばらばらにして処理することを提案する。

とここまで書いてきて分かるように、常識的に考えれば主人公・雅子の提案に説得力はない。弥生とそれほど深いつきあいがあるわけでもないのに、進んで死体損壊・遺棄という重大な犯罪に加担しようというんだから。しかも、そう決心した雅子の心のうちはなんにも説明されない。

「『どうして。じゃ、どうしてここまでしてくれるの』
弥生は健司(注・死んだ夫)の脇の下に膝を差し入れながら、雅子に訊ねた。
『後で考える』」

「後で考える」ってセリフがすごいね。雅子たち4人が弥生の死んだ夫をばらばらにして捨てる、その成り行きを読者に納得させるのは、彼女らの内面や心理描写ではなく、彼女たちが働いているベルトコンベアの弁当工場を描く、その描写のすごさにある。主人公の内面を描かず、その外面を描いて内面を暗喩させるハードボイルドの手法の応用とも見える。

自動車工場やアパートや一戸建てや空地が混在する大都市近郊。弁当工場に深夜に出勤してゆくのは、彼女らのような主婦や日系ブラジル人労働者だ。その風景描写と、工場内でフォード・システムでコンビニ弁当をつくる描写がなんともリアルなんだなあ。

読んでいくうちに、このコンビニ弁当工場が現在の日本社会の比喩であることがだんだん実感されてくる。ちなみにこれは桐野夏生がしばしば使う手で、『グロテスク』で主人公たちが通う有名女子高の同質性と異分子排除の世界もこの社会の縮図だったし、無人島に漂着した日本人男女がミニ社会をつくる『東京島』はタイトルからして東京=日本を意味していた。

この都市近郊と弁当工場の生々しいリアリティが、4人の仲間による死体バラバラ処理という荒唐無稽なシチュエーションを読者に納得させてしまう。

「いつの間にかラインの向こう側で『肉均し』に就いた弥生がこちらを見ている。
『何? どうしたの』
『こうなっちゃえばわかんないね』
弥生は何度も肉に目を落として言った。その目に狂躁とでもいえる光があった」

その後、死体処理の細密描写が桐野独特の濃密な文章で延々と続くのもすごいけど、物語は途中から大きく思わぬほうへ方向転換してゆく。

『out』は最初、社会派ミステリーのような顔をしている。主人公たちによる殺人と死体バラバラ処理。バラバラ殺人の部分だけ取り出せば、現実に起こっている事件(最近も)であり、その意味で読者はリアルな思いを持つに違いない。

その上で、読む者は、主人公たちの行為はきっと失敗するに違いない、でもどこでどんなふうに暴かれてゆくんだろうとハラハラ(期待)しながら読み進むことになる。僕も途中まではそういうミステリーとして、宮部みゆきを生々しくしたような小説だなと思いながら読んでいた。

ところが、健司殺しの犯人と間違えられ警察に追及される男・佐竹が登場するあたりから、小説はがらりと様相を変える。男は犯人と間違えられた復讐をするために、雅子を追う。男にはかつて快楽殺人とも言える犯罪を犯した過去がある。追う男と追いつめられる雅子、そのあたりからまだ会わぬ2人の妄想の恋愛(官能)小説とでも呼べそうな展開になってくる(一方、日系ブラジル人労働者を脇役に配することで、この国の現実に錘を垂らすことも忘れていない)。

男の殺人の記憶。

「佐竹は自分で刺した女の腹に指を入れてみた。指はずぶずぶと付け根まで入った。だが女は何も感じない様子で、口をぱくぱく開いては囁くように『びょういん』と言い続けている。佐竹の指が手首まで鮮血に塗れた。佐竹はその血を女の頬で拭いた。自分の血で赤く頬を染めた女はこの世のものと思われないほど綺麗だった」

一方、追いつめられ、男の影を感ずる雅子の見る悪夢。

「締めつける指の温かさが、首筋にかかる男の荒い息が、次第に雅子を暗い衝動に突き動かしていく。そのまま強い力に身を委ね、縊り殺されてしまいたいという衝動に。その瞬間、雅子の恐怖が無重力状態に入ったかのようにかき消えた。代わりに、信じ難い恍惚が雅子を襲い、雅子は驚きと愉悦の声を漏らした」

追う男の記憶と追われる女の悪夢が遠く離れて感応し、雅子は男を恐れ、逃げ回りながら、男との出会いを心の底で期待するようになる。彼女は男への激しい憎しみに燃えながら、男に殺されることを願っている。

「毀れる」という言葉は、物語の終わり近く、弁当工場の隣にある廃工場で深夜、遂に2人が顔を合わせたところで登場する。男が雅子を拉致し、暴行した後の会話。

「『あんたは毀れてる!』雅子はまた叫んだ。
『そうだよ。おまえも毀れてるんだ。俺は最初に見たときからわかってた』
自分の毀れは、そんな佐竹に惹かれていることだ」

この暗闇の廃工場で繰り広げられる、2人の現実とも妄想ともつかないくだりはこの本の最高の場面であると同時に、桐野夏生の全作品(まだ全部読んでないけど)のなかでも屈指の美しい場面だね。しかも雅子の視点からと男の視点からと、細部が微妙に異なる同じシーンが2度繰り返され、どこまでが現実でどこまでが妄想なのか読者にも(あるいは作者にも)判断がつかないのがすごい。

小説の冒頭で、夫を殺した弥生に対し、雅子がなぜ犯罪に加担すると申し出たのか。その理由を問われた雅子は「後で考える」と言っただけで、作者は何も説明していない。それは最後まで説明されないけれど、ここまでくると分かってくる。

家庭の主婦であり、弁当工場で期間労働者として働いている(つまり一見ごく普通の市民である)雅子は、この小説が始まった時点でもう「毀れていた」のだ。だから理由なんてどうでもよかったのだ。それを読む者におかしいと感じさせず、風景や人物のリアルな描写で納得させてしまうところが桐野夏生の力なんだと思う。

もしかしたら雅子は、「壊れるのか」と自問した『魂萌え!』の主人公・敏子の、その後の姿(年齢は違うけど)なのかもしれない。そう思うと、ホームドラマに終始する『魂萌え!』が実はとんでもなく怖い小説にも見えてくる。

桐野夏生はこんなふうに、この現実のなかに生きて否応なく「壊れる」(「毀れる」)ほかに途がない女を描きつづけている。その世界は不安と孤独と憎しみと性的妄想に満ちている。でも、彼女の小説を読んだ後には、そんな暗い世界を経由した果てなのに、ある種の解放感を感ずることが多い。

5年前に『グロテスク』の書評で、こう書いたことがある。

「これは現実の事件に沿った小説ではなく、あくまで『処女の姉(注・語り手のわたし)と娼婦の妹』が主人公なのだ。そこには最後のどんでん返しが用意されているが、それを明かしてはルール違反になる。でもそこで読者は、これは『転落』の物語ではなく『解放』の物語だったのだと、改めて気づくことになるだろう」

ここで「転落」という言葉は、名門女子高を卒業した登場人物たちが一流企業に就職したりモデルになったりした末に娼婦になったことが、通常社会的にはそう受けとめられる、という意味で使っている。一方、「解放」という言葉についてはまったく説明しなかった。

『out』もそうだけれど、彼女の小説を読み終わって『グロテスク』の解放感に近いものを感ずることがしばしばあるのに気づいた。そのことについて考えてみたい。

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January 29, 2009

桐野夏生浸り・1

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(『out』英語版)

年末から桐野夏生を読み耽っている。

デビュー作といっていい『頬に降りかかる雨』に始まり、『水の眠り 灰の夢』、直木賞を受けた『柔らかな頬』、さらに『玉蘭』『out』『残虐記』『魂萌え』『東京島』と来て、最新作『女神記』と、『錆びる心』『ジオラマ』などの短編集。これは読んだ作品を刊行された時系列で並べたんだけど、実際には目についたものから手当たり次第に読みつづけ、そして飽きることがない。

彼女を読むのは初めてではなく、何年か前、『グロテスク』を読んで感想めいたものを書いたことがある(書評book-navi、LINKS参照)。そのときから、いつかちゃんと読んでみようと思っていた。

『グロテスク』も発表当初から話題になった小説で、ぐいぐい引き込まれるストーリー・テリングと濃密な描写に圧倒されたけど、彼女の主な長編をまとめて読んでみるとその印象はいよいよ強まる。だけでなく、『グロテスク』でも予感されたけれど、爽やか草食系が多い今のエンタテインメント系の作家には珍しく黒々とした地下水脈を湛えた、スケールのでかい小説家だなあと思った。

「東電OL殺人事件」や少女誘拐・長期監禁事件といった現実の出来事に触発された作品もあるから、桐野夏生の小説は社会派みたいな顔をしていて、それはその通りだし、この国の現実とその中に放り出された女性の姿に深い関心を持っていることは間違いないけれど、彼女の小説のすごいところはそんな社会性を突き抜けた<反社会>性にあるというのが、僕の今のところの感想だ。

彼女の小説を読んでいて連想するのは、大正期の谷崎潤一郎の妖しい世界か。あるいは桐野夏生のヒロインは、夫を戦争に取られまいとその脚を鉈で切り落とした増村保造映画のミューズ、若尾文子の化身なのか。

桐野夏生の小説群は大雑把に言って3つの時期に分けられる。

『頬に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞して一躍その名を知られ、女流ハードボイルドの旗手と言われた時代。ハードボイルドからもっと広いミステリーに進出し、同時に多くの読者も獲得した『柔らかな頬』や『out』の時代。そしてそれ以後の、もはやミステリーとも呼べずただ小説としか言えないさまざまな作品を発表している、現在にいたる時代。

まだ途中経過だけど、桐野夏生の小説を読んで感じたことをメモしておこうと思う。

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January 27, 2009

浦和ご近所探索 仕舞屋

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歩いて5分ほどのところに旧中山道が走っている。

ふつう中山道といえば国道17号を指すけれど、17号線はこのあたりでは昭和初期に蕨市から旧浦和、旧大宮にかけて旧中山道に沿ってつくられたバイパスのことで、お年寄りはこの道を「新国道」と呼ぶ。東京と上信越方面を行き来するトラックは新国道や、1970年代につくられたバイパスのバイパスを通り、旧中山道は町なかの生活道路として残っている。

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浦和駅周辺の旧中山道は繁華街だけれど、少し離れて小生の家近くまでくると、商店もとぎれとぎれになってくる。駅周辺はすっかり新しい建物に建て替わったが、このあたりになると街道に面して戦前の商家建築がぽつんぽつんと残っている。そのうちの何軒かは、普通の民家に改造した仕舞屋(しもたや)になっている。

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(上の仕舞屋の側面。間口に比べ奥行きがずっと深い)

僕が1970年代に住みはじめたころはこういう商家建築がたくさんあって、まだ商売している家が多かった。今はなくなってしまったけれど、白壁に装飾をほどこした、保存しておきたいような立派な商家もあった。

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(上の仕舞屋の奥にある蔵)

そんな商家が1980年代あたりからどんどん商売を止めて仕舞屋になり、今はその仕舞屋も姿を消して新しいビルやマンションに変わりつつある。

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仕舞屋は、もともと商店だから街道に面した間口が広い。仕舞屋になるとそこにガラス戸を嵌め、戸を開けると土間で自転車置場や物置になっているところが多い。この仕舞屋は間口の半分を仕切って温室にしている(あるいは2軒なのか)。

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写真に撮った4件の仕舞屋の隣はいずれもマンション。ここもいつまで残っているか。

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こちらはまだ営業中。どうも変な建物だなと思ったら、もともと長屋の商家建築で2軒入っていたのが、1軒が商売を止め、真ん中からすぱっと切り落してしまったらしい。

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January 17, 2009

『チェ 28歳の革命』 ドキュメンタリーの感触

Che

『チェ 28歳の革命(原題:Che Part1)』と『チェ 39歳 別れの手紙(Che Part2)』は原題からも分かるように、本来1本の映画としてつくられている。カンヌ映画祭でもパート1、パート2が4時間30分の1本の映画として上映された。

だからパート1だけ見て、何かを言うのもちょっとはばかられるなあ。まして、この作品はもともとボリビアを舞台にチェ・ゲバラの死に至るパート2に当たる部分の映画として構想され、途中からパート1がつけくわえられたと聞くと、なおさらだ(と言いながら書いちゃうんだけど)。

プロデューサーの言によると、アルゼンチン出身の医師チェ・ゲバラがどのようにフィデル・カストロに共鳴してキューバ革命運動に参加し、バティスタ政権を倒したかというパート1を描いておかないと、革命後になぜゲバラがボリビアへ旅立ち、孤独なゲリラ闘争を続けたかがうまく理解されないからだという。

その言い方を借りるなら、チェ・ゲバラがなぜカストロの革命に参加する共鳴盤を持っていたのか、さらにその前史を描かないと、そもそもパート1もうまく理解できないなあ。というのが『チェ 28歳の革命』を見ての感想。まあ、映画好きなら『モーターサイクル・ダイアリー』を見てるはずで、これこそその前史に当たるから、『モーターサイクル』と『チェ 28歳の革命』を1本の映画と考えればいいのかも。

ハリウッドの職人的な監督なら、若きチェ・ゲバラが南米の貧しい人々を目の当たりにして革命に目覚めるその前史に当たるエピソードを短くはさみこんで観客を安心させるはずだけど、スティーブン・ソダーバーグ監督はそういうことをやらない。その姿勢が彼らしいといえば彼らしいし、それが(パート2を見ずにこう言うのもなんだけど)あまりうまくいってないのもまた彼らしい。

ソダーバーグ監督は、ドキュメンタリー・タッチでふたつの時間を交錯させながらチェの行動と言葉を描いてゆく。ひとつは、カストロとともにキューバに渡り、山岳ゲリラ戦を経て重要都市サンタクララを陥落させる過程。もうひとつは、革命成功後、カストロ政権の代表としてニューヨークの国連本部で演説するためにしたアメリカ訪問。こちらは国連での演説やインタビュー、歓迎パーティでの言動などがモノクロで、あたかもニュース映像のようなスタイルで描かれてゆく。

アメリカ訪問をひとつの軸にしたのは、ゲバラとアメリカとの唯一の接点だからアメリカ映画としては当然だろうし、演説やインタビューによってゲバラの考えを明らかにしようという意図もあるだろう。そんなニュース映像的シーンを差し挟みながら、映画はゲリラ戦の推移を追いかける。

指揮官として戦いつつ医師としてケガ人や住民を診察し、学校をつくり、兵士に読み書きを教える、その一方で、ゲリラから離脱し住民に危害を加えた元兵士を処刑するチェの姿が、その行動を通して描かれてゆく。チェの心理描写はない。

並みのハリウッド映画なら、後に妻となる女性ゲリラ兵士との交流などロマンチックに描きそうなものだけど、ソダーバーグはここでもそういうことをしない。それらしいセリフを交わすことはないし、感情をこめて見つめあったりもしない。

山岳での銃撃戦やサンタクララでの市街戦というアクション・シーンがあって、これがパート1のヤマ場になるんだけど、昨今のSFXを基準にするとなんとも牧歌的だし、画面のテンポもゆったりしていて、まるでメキシコを舞台にした50~60年代の西部劇でも見ているような気分になる。

ソダーバーグは『トラフィック』でテンポ早く短い映像を積み重ねる流行りの映画づくりもしているから、このゆるりとしたリズムもまた彼の意図したことに違いない。でも、そのためにエンタテインメントとしてのドラマの盛り上がりにはいまひとつ欠ける。もっとも、これはあくまでパート1なのだから、パート2のための前奏かもしれず、通して見なければ断言はできない。作品の評価もそれまではしないでおこう。

この映画で印象的なのは、暗い森でのゲリラ戦が実にリアルに撮られていることだね。メキシコでロケしたらしいけど、熱帯の緑の濃さ、闇の深さと、そのなかでの銃撃戦が素晴らしい。

プロダクション・ノートを見ると、この映画ではRED ONEというデジタル・ビデオ・カメラが使われたそうだ。従来は携帯電話やトイ・カメラに使われていたCMOSという受像素子を改良し、35ミリ・フィルムのクオリティとデジタル・ビデオの簡便さを兼ね備えた最新鋭のカメラだという。

そのため、多くのシーンをほとんど照明なしに自然光で撮影できたらしい。うーむ。スチールでも、デジタル・カメラは暗闇に強いからなあ。それがこの映画のドキュメンタリーのような感触を支えているんだな。あるいは、ソダーバーグはこのカメラがあったからこそ、こういうスタイルを選んだのかもしれない。

それにしても、ベニチオ・デル・トロは仕草やしゃべり方に至るまでゲバラによく似てる。さすが、この映画に入れ込んだだけのことはある。


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January 14, 2009

浦和ご近所探索 文化住宅・2

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(ファサードが洋風な文化住宅)

わが家の近所に「和風住宅の玄関脇に1室洋間」の文化住宅が2軒残っていることは前のエントリーで書いたけど、戦前からの住宅街のなかに1軒だけファサード(正面)が完全に洋風な文化住宅が残っている。

ここは古い開業医のお宅。昔、一度だけ行ったことがあるけれど、待合室や診察室など医院としての空間が当然のことながら洋風になっている。でもその奥の自宅部分は和風になっているようだ。脇の塀越しにこの医院を見ると、和風住宅としか思えないし、庭も和風になっている。

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(脇から見ると和風住宅)

「(明治政府が推進した)文化住宅の目指したものは本格的な椅子座生活を営む洋館による住宅の改良だったが、その後広がっていった『文化住宅』のイメージはよりあいまいなものになった」(小沢朝江・水沼淑子『日本住居史』吉川弘文館)。これも和洋折衷の一例。


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January 12, 2009

『そして、私たちは愛に帰る』の抑制

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『そして、私たちは愛に帰る(原題:Auf der Anderen Seite)』は、3組の親子が織りなす死と和解の物語だった。見終わって、その抑制の効いた語り口がじわっと胸にしみてくる。

移民としてドイツで暮らすトルコ人の父と息子。ドイツで娼婦をしているトルコ女性と、故国にいる娘。普通の市民であるドイツ人の母と娘。3組6人の親子がドイツとトルコの両国でふたつの三角形をつくり、ふたつの死をきっかけにそれぞれ欠けた三角形がひとつにつながることになる。

ブレーメンに住む移民トルコ人アリ(トゥンジル・クルティズ)は、トルコ人娼婦イェテルを金で囲って同居をはじめる。大学講師をしている息子のネジャットははじめイェテルを嫌うけれど、彼女を知るにつれ故国の娘に送金するイェテルに好感をもつようになる。これがひとつめの三角形。

イェテルの娘アイテンは過激な政治活動家で、警察に追われトルコを脱出してドイツに逃亡する。アイテンがたまたま声をかけたドイツ人女子学生ロッテが彼女に同情して自宅に連れ帰る。ロッテの母スザンヌ(ハンナ・シグラ)はアイテンを嫌うが、ロッテとアイテンはやがて女同士恋人になる。これがもうひとつの三角形。

トルコ移民のアリは同居しているイェテルと喧嘩して彼女を殴り、打ちどころが悪かったイェテルはあっけなく死んでしまう。アリは刑務所に収監され、息子のネジャットは死んだイェテルの娘を探そうとトルコに旅立つ。

一方、イェテルの娘アイテンはドイツへの不法入国が発覚してトルコに強制送還されてしまう。恋人のロッテも彼女の後を追ってトルコに旅立つ。ロッテはイスタンブールでネジャットのアパートの一室を間借りすることになり、ここでふたつの三角形が交錯することになる。彼女は収監されているアイテンを助けようとするが、たまたま路上でひったくりに会い、犯人の少年に殺されてしまう。

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こう書いてくると入り組んでるようだけど、複雑な関係を簡潔に語る描写は過剰にドラマチックになることなく、淡々としている。ふたつの死も因果が絡んだあげくではなく、偶然の事故のようにあっけなくやってくる。

ふたつの棺がドイツとトルコの空港で航空機に積み込まれ、下ろされるショットが2度繰り返され、それによって死がふたつの三角形、ふたつの国を結ぶことになるのを暗示する。抑制が効いていると感じたのも、そういうさりげないショットで死を語る姿勢から来ているんだろう。

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(以下、結末に触れています)殺されたロッテの母スザンヌもイスタンブールにやってきて、娘が借りていたネジャットの部屋に滞在し、ここでふたつの三角形は再び交わることになる。イスタンブールの、観光名所でない旧市街の街角の描写が素敵だ。スザンヌはアパートを出、商店街の坂を下り、顔なじみになった住民に(娘がやったのと同じように)声をかけて、娘の恋人であるアイテンを助けに出かける。

やがてやってくるスザンヌとアイテンの和解。スザンヌと、彼女の娘の恋人であるアイテンとの抱擁は、母と亡くなった娘との和解でもあり、ドイツとトルコとの和解でもある。

冒頭、映画はネジャットがトルコの田舎町を車で旅するシーンで始まり、観客は当然のことながら、これが何なのか分からない。映画が終わりちかくなって、同じシーンがもう一度繰り返される。そこで見る者ははじめて、ネジャットは殺人を犯し故国に送還されてひっそり暮している父に会いにいくのだと理解する。ネジャットが運転する車の窓から見えるトルコの田舎町の風景が心にしみる。

ネジャットは漁村の海辺でじっと浜に座り、波の音を聞きながら釣りに出かけた父を待つ。もうひとつの和解を描かずに映画は終わる。最後まで抑制された長回しのショットが素晴らしい。

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監督のファテキ・アキンはドイツ生まれのトルコ移民2世だという。トルコ移民アリを演じたトゥンジル・クルティズは、ユルマズ・ギュネイ監督のトルコ(クルド)映画『希望』の主役。ドイツ人の母を演じたハンナ・シグラはライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の『マリア・ブラウンの結婚』のヒロイン。

ドイツへのトルコ移民が急増したのは1960年代だけど、その時代のドイツとトルコを代表する2人の監督が愛した名優を起用したアキン監督の意図は、映画を見ていれば自ずから分かってくるね。

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January 10, 2009

浦和ご近所探索 文化住宅

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(和風建築の玄関脇に洋間がある「文化住宅」)

ニューヨークにいたとき、ブルックリンの我がアパート周辺を散歩してはブログに「ブルックリンご近所探索」を書いていた。それにならって、今度は自宅のまわりを徒歩と自転車で散歩しながら「浦和ご近所探索」を書いてみたい。

浦和には30年以上も住んでいるから、町をよく知っているつもりだけど、しかしそれは普段の行動範囲のなかだけで、行ったことのない場所もたくさんあるから、その実、よく知らないとも言える。1年間不在だったことで、見慣れた風景を新鮮な目で見ることができるといいんだけど。

僕は旧浦和市の住民だけど、旧大宮市などと合併して「さいたま市」になったことで旧市域は4つだか5つだかの区に分割された。その結果、中心部の浦和区以外は桜区だの緑区だの知恵のないネーミングで「浦和」の地名がはずされた地域が多い(区名を決める過程も、住民参加を装いながら予め決めていたらしくインチキだった)。

そもそも「埼玉」とは稲荷山鉄剣で知られる埼玉(さきたま)古墳群のある県北地域を指す地名だから、浦和や大宮を埼玉とは呼べないし、呼びたくもない。平仮名で「さいたま」と書かせるセンスも最悪だ(住所を書くたびに怒りがこみあげる)。僕がふだん散歩するのは旧浦和市(と旧与野市の一部)なので、行政的には浦和でなくなった場所もあるけれど、せめてもの抵抗の意思を込めて「浦和ご近所探索」とした。

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(玄関は洋間の向こう側にある)

10年くらい前まで、これらの写真のような家がそこらじゅうにあった。和風住宅の玄関脇に1間の洋間。大正から昭和前期に盛んにつくられた「文化住宅」と呼ばれる建築だ。どこかレトロなエキゾティシズムを感じさせる建物で、宮崎駿のアニメにもこういう家がよく出てくる。

僕は1950年代後半まで浦和に住んでいたので(その後引っ越し、1970年代に戻ってきた)、ガキのころ友達の「文化住宅」によく遊びに行った。

洋間にはたいてい絨毯が敷かれ、テーブルとイスが置かれている。壁には油絵がかかり、暖炉(もどきだったかも)のある家もあった。わが家は純和風住宅だったので洋間で遊ぶのが珍しかったし、うらやましくもあった。もっとも、大きな家具が詰め込まれ物置のようになっている家もあって、生活空間としてうまく利用されていたとは思えない。

70年代に浦和に戻ってきたとき、町はまだ昔の面影をとどめていた。自宅から歩いて5分の半径のなかに、こういう「文化住宅」が10軒はあったと思う。それが80年代のバブル時代以降に1軒消え2軒消え、今ではこの写真の2
軒だけになってしまった。

浦和は産業らしい産業もなく、戦前から東京へ通勤する中流階級の住宅地だった。そのためこういう「文化住宅」がたくさんつくられ、戦後も町の変化が少なかったためにそのまま残っていたんだろう。

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小沢朝江・水沼淑子『日本住居史』(吉川弘文館)によると、あらゆる面で近代化・西洋化を目指した明治政府は住宅についても洋風化を推進した。日本人を畳の生活から椅子の生活に変えようとした。そのモデルとして、洋風の外観を持ち、椅子で生活する洋間からなる「文化住宅」のプランを考えた。

でもそれは性急すぎた机上の空論で、日本人は畳を捨てられなかった。洋間だけの「文化住宅」が建てられたのは一部の上流階級の家のみで、実際には洋間と日本間が混在する「文化住宅」や、さらには玄関脇に1間だけ洋間が残った「文化住宅」が普及していった。呼び方は同じでも実態は純洋風から和洋折衷へと変化していったわけだ。わが家の周辺に残っているのは、この最後の段階の「文化住宅」ということになる。

戦後の典型的な住宅プランは団地の2DK、2LDKというやつだ。これは洋間のダイニング(リビング)に畳敷きの2間という、和洋折衷の「文化住宅」を集合住宅のなかに押し込めたもので、これが今の僕らの生活様式の基本になっている。

もっとも、新聞に折り込まれる最近のマンション広告の間取り図を見ると、すべて洋間か、せいぜい畳敷きの間が1室というタイプが多い。同じ和洋折衷でも「1室だけ洋間」とは逆の「1室だけ和室」の「文化住宅」になってしまったわけで、明治政府の意図は1世紀半たって実現に近づいている。

今でも築80年の古びた純和風住宅に住んでいる僕としては、残った「文化住宅」にエールを送りつつ孤塁を守っている心境だ。

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January 07, 2009

『懺悔』の寓意

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この映画をいま公開する意味ってなんだろう? そんなことを考えてしまった。

言葉を換えると、こうも言える。政治映画は、状況が変わってしまうとその時代のリアリティを実感するのはむずかしい。とすると、時代が変わっても生き残る政治映画とはどんなものか?

『懺悔(英題:Repentance)』は1984年のグルジア(当時はソ連邦の構成員)の映画。1987年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受けている。

グルジアの架空都市の物語で、市長ヴァルラムは偉大な支配者と呼ばれる独裁者。だがヴァルラムの死後、埋葬された彼の遺骸が何者かによって掘り起こされる。その犯人である女性の裁判を通じて、ヴァルラムの恐怖政治が語られてゆく。

という大筋から分かるように、架空の町の市長という設定になっているけれど見る者は誰も、これはスターリンの恐怖独裁政治のことだな、と想像がつく。

ゴルバチョフがソ連邦共産党書記長に就任しペレストロイカが始まったのが1985年。この映画はそれ以前の1984年製作だから、ペレストロイカによる自由な雰囲気のなかでつくられた映画ではない。もっともグルジア共産党の第一書記は後にゴルバチョフ政権の外相になるシェワルナゼだったから、それなりに「雪解け」していたのかもしれない。

にしても、この時代でもスターリン批判が微妙なテーマだったことに変わりはない。グルジアはスターリン自身の出身地でもあるわけだし。もちろんスターリンは既にフルシチョフによって批判されていたけれど、スターリン後も共産党による一党独裁支配は続いていたから、権力批判そのものがタブーだった。

だからこそ、デンギス・アブラゼ監督は架空の町の市長という設定を選んだんだろう。しかもリアリズムではなく、幻想が入り混じる寓話スタイルを採用して。

市長の命令で市民を逮捕・監禁する獄吏は中世の騎士みたいな鎧兜に身を固め、槍を持っている。裁判の場面ではギリシャ神話ふうな身なりの女性が天秤を持ち、目隠しされている。ヨーロッパの図像学では天秤は審判を象徴してる。その女性が目隠しされているんだから、この裁判はインチキだという意味だね。かなりナマな比喩ではあるけど、ともかくも架空のお話という体裁を取っている。

死んだ市長には息子夫婦と孫がいる。10代の孫は裁判が進むにつれ、被告女性の父である音楽家が理由なく逮捕され、やがて母も逮捕され粛清されたことを知って激しいショックを受ける。その父である独裁者の息子は、父(独裁者)のやり方に何も言わず生きてきたが、やがて内面で激しい葛藤があったことを教会で懺悔する。

内面で葛藤しながら父に従って黙って生きてきた市長の息子の存在は、権力にもの言わず生きてきたソ連の多くの人々の思いに重なるのだろう。その「懺悔」が映画のタイトルになっている。

……ということは映画を見てて分かるんだけど、それがリアリティをもってこちらに迫ってこないんだなあ。自分の鑑賞力を棚にあげていえば、それは映画の出来そのもののせいなのか。時代が変わってしまったからなのか。

この映画はペレストロイカの時代にソ連国内で公開され、大きな反響を呼んだそうだ。当時のソ連の人々にはとてもリアルで、切実に受けとめられたんだろう。市長の息子や孫の存在は、なにがしか自分のことだと感じられたにちがいない。カンヌ映画祭審査員特別賞という信頼できる賞を取ったところを見ても、国内だけでなく国際的にもそのような感性はあったのだろう。

でも、それから四半世紀近くたったいま、少なくとも僕はそのようには受け止められなかった。映画の出来は、正直言ってさほどのことはないと思う。寓話といっても、隠喩暗喩をちりばめた幻想的なものでなく、中途半端にリアルで中途半端にファルスで中途半端に寓話的な映画に仕上がっている。

ある時代の空気を共有していれば受け止められることが、ソ連が崩壊し、ロシアがグルジアに侵攻するなどという、時代がまったく変わってしまったいま、時代の空気という共通項なしに映画の裸が試されることになったのか。

で、問いは最初の、時代をこえて生き残る政治映画とはなんだろう、というところに帰ってくる。僕はそのことを考えて、2本の映画を思い浮かべる。

1本はアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』。1979年にソ連でつくられたこの映画は、架空の国の立ち入り禁止地域「ゾーン」に踏み込む男たちを描いた、これも寓話的な物語。恐怖政治の下で暮らす日常とはどんなものかを、こんなに身に沁みるように感じさせる映画はなかった。当時のソ連の政治的な事柄には一切触れていないけれど、きわめて政治的なメッセージを持った映画だと思った。

もう1本はアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』。これは『ストーカー』と違って、戦後の社会主義ポーランドの現実をもろにテーマにした映画だった。社会主義政権に抵抗するテロリストの死を描いて、生涯忘れられない映画になっている。

荒っぽく結論だけ言ってしまえば、2本ともスタイルこそ違え激しい体制批判の映画でありながら、そうした政治的テーマを突き抜けて、映画として別の次元に達していたと思う。『懺悔』はそこまで達していないことが、四半世紀後に裸の状態で見ると露わになってしまった、と僕には思える。

うーむ、正月最初の映画選びは失敗だったか。でも行ったことのないグルジアの町の空気や、緑濃い木々や花々が印象的だったのに救われた。

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January 03, 2009

NYの記憶・14 正月は『コールド・ケース』に浸る

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ニューヨークにいたとき、人気のTVドラマは『ヒーローズ』や『CSI』だったけれど、僕がいちばん好きだったのは『コールド・ケース(Cold Case)』だった。

フィラデルフィア市警殺人課の女性刑事リリー・ラッシュ(キャスリン・モリス)を主人公にしたシリーズで、未解決事件(コールド・ケース)が何らかのきっかけで再捜査され、事件の真相や真犯人が時をこえて判明する1時間ドラマ。

事件は1年前のこともあるし、半世紀以上前だったりもする。いちばん多いのは1970~90年代あたりだろうか。それぞれの時代のいろんな事件や出来事が背景になっている。赤狩りや公民権運動、新興宗教。不況や失業、人種差別。貧しいアフリカ系住民や移民が住む地域が舞台になっていることも多い。

なかなか硬派の犯罪ドラマなんだけど、たいてい意外な人物が犯人で、社会問題をこえて人間の悲しさ、おろかしさが浮かび上がってくるのがすごいし、泣かせもする。実質四十数分のなかにこれだけの中身を盛ることができるなんて、アメリカのドラマづくりの力に改めて驚くなあ。それに比べて日本のドラマは、、、とは言うまい。

『コールド・ケース』のもうひとつの見どころ(聞きどころ)は音楽。それぞれの時代に流行っていた音楽が、実に印象的に使われてる。特にオープニングとエンディングの選曲は凝っている。ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイ。ボブ・ディランやU2。それらが流れてくるだけで、いろんな時代にタイム・トリップできるんだなあ。TVドラマにしては時代考証もちゃんとして、カネもかかってるし。

プロデューサーはジェリー・ブラッカイマー。ブラッカイマーといえば『トップガン』とか『ビバリーヒルズ・コップ』とか、TVなら『CSI』のヒットメーカーで知られるけど、こういう硬派のドラマをつくっているとは意外だった。

チャンネルはCBSで、日曜の夜9時から。僕がいたときはシーズン5が放映されていた。ニューヨークに行ったのは還暦を過ぎてからだったので、土曜か日曜のどちらかは休養日にして、できるだけ外出せずに掃除・洗濯など家事に当てることにしていた。『コールド・ケース』を見るようになってからは、どうしても行きたいライブなんかは別にして、日曜を休養日にすることが多くなった。

実はつい最近、わが家で加入しているケーブルTV(AXNチャンネル)でこのドラマをやっていることに気づいた。しかも年末年始にシーズン2を一挙放映するという。で、結局、年末年始には映画を1本も見ずに『コールド・ケース』を12話、たっぷり楽しんでしまった。

シーズン2は、ニューヨークから来たリリーの妹がリリーの同僚刑事と恋人同士になり、しかもその妹が犯罪に絡んでいるなど主人公のプライベートなエピソードもあって、そういう部分がないシーズン5とは別のテイストがある。

これからも週に1話ずつ放映があるらしく、はまるかもしれないな。

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