『マルセイユの決着』に酔い、醒める
酔うけど醒める。満足だけど不満。『マルセイユの決着<おとしまえ>(原題:Le Deuxieme Souffle)』を見ている間じゅう、そんな矛盾する思いにさいなまれたな。
酔う、あるいは満足なのは、久しぶりにフレンチ・ノワールを堪能できたこと。去年見た『あるいは裏切りという名の犬』もそうだったけど、このところぽつりぽつりとフレンチ・ノワールが公開されている。ということは、フランスでもフィルム・ノワールが少数ではあれ製作されているんだろう(製作が途絶えていたわけではなく、客を呼べないから輸入されないという日本側の事情もあるかもしれない)。
この映画の監督、アラン・コルノーはもともと1970年代に『真夜中の刑事』や『セリ・ノワール』といったノワールものでデビューしている。その後、『インド夜想曲』とか『めぐり逢う朝』とか文芸もので有名になったけど、今回は四半世紀ぶりのノワールだ。そういうキャリアの監督だから、ノワールのツボを心得てるね。
ノワールのツボは、僕の独断だけど、まずなにより風景感覚の鋭さだ。ハードボイルド小説が登場人物の外面的行動を描くことによってその内面を語るのに似て、優れたノワール映画はいつも風景によってなにごとかを語る。風景やその空気感がそのままギャングや警官の心象になる。
『マルセイユの決着』にもそれがあった。脱獄した老ギャング、ギュ(ダニエル・オートュイユ)が行動する先々で、夜の港のコンビナートとか、赤茶けた岩肌が露出する南仏の海際の崖とか、貨物列車で逃亡するギュの目に映る田園風景とか、なんとも印象的な風景がインサートされる。そんな一瞬のショットを見るだけで僕は映画に満足してしまう。
もちろん、フィルム・ノワールに欠かせないものはすべて揃っている。1960年代のパリ。トレンチ・コートを着てソフト帽を目深にかぶったギャングたち。レトロな酒場。妖艶なファム・ファタール(モニカ・ベルッチ姐さんが髪をブロンドに染めて登場)。シトロエンやキャデラック。ギュが署名代わりに使うコルト。最後にそのコルトがギュの手からスローモーションで落下するあたり、声をかけたくなるほど「決まってる」ね。
ジョゼ・ジョバンニ原作のこの映画は、1966年にジャン=ピエール・メルヴィルがつくった『ギャング(原題は同じ)』のリメーク。映画に酔う反面醒めてしまうのは、どうしてもメルヴィルの傑作と比べてしまうからだ。
といって僕が『ギャング』を見たのは20年以上前だから、こまかいところまで覚えているわけではない。でもモノクロ、少ないセリフ、ほとんど音楽を使わないリアルな画面のなかで、リノ・バンチェラ演ずる男の友情と裏切りの物語は、なんとも緊迫感に満ちていた。
『ギャング』に比べると『マルセイユの決着』は丁寧につくられてるけど平凡、といった印象を受ける。望遠系レンズやスローモーションを多用した映像、バックに流れる情感あふれる音楽には、ハードなメルヴィルに対して、どうしてもセンチメンタルな感じを受ける。
メルヴィルが『いぬ』や『ギャング』『サムライ』『仁義』『リスボン特急』といったノワール群で描いた愛と友情と裏切りの物語は、セリフや音楽や説明を極端に切り詰めた画面に支えられていた。切り詰めすぎて筋がよく分からないこともあったけど、だからこそ大時代的な物語がリアルに感じられたのだと思う。
ま、メルヴィルと比較するのは可哀そうといってしまえばそれまでだけどね。と、ここまで書いてきたら、メルヴィルを見たくなってきたぞ。『リスボン特急』の冒頭、嵐の海岸での銀行強盗。その冷え冷えした空気感に浸りたくなってきた。棚の奥のVHSを引っ張り出そうかな。
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