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December 31, 2008

映画ベスト10・2008

Redbaloon

今年もベスト10を選べるほどたくさん見てるわけじゃないけれど、半分は楽しみ、半分は自分の記憶のために選んでみました。

8月までニューヨークに滞在していたので、アメリカで見た映画と日本に帰ってから見た映画が混在しています。日本で公開されていない作品もあります。また今年日本で公開された『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『イースタン・プロミス』『エグザイル』『その土曜日、7時58分』なんかは去年のベスト10に入れたのではずしました。

日本映画も一緒のリストのつもりですが、1本も入りませんでした。アメリカではほとんど公開されないし、帰ってきてからも『トウキョウ・ソナタ』など数本しか見ていません。ただ、どれも期待したほどではありませんでした。

1 ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン
2 アイム・ノット・ゼア
3 マッド・ディテクティブ(神探)
4 チェチェンへ アレクサンドラの旅
5 パラノイド・パーク
6 トロピック・サンダー
7 ワイルド・バレット
8 僕らのミライへ逆回転
9 ダーク・ナイト
10 ヤング@ハート

『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』。「退屈の極み」と評する人もいる。ホウ・シャオシェンをずっと見てきた僕としては極めて個人的に、彼が独自のスタイルを純化させてきた、その極北を見たいという願望から。

『アイム・ノット・ゼア』の斬新な手法にも驚いた。ケイト・ブランシェットが素敵だ。

『マッド・ディテクティブ(神探)』。ジョニー・トー監督。日本では未公開。『エグザイル』がトー監督の職人としての快作だとすれば、これはひと癖もふた癖もあって作家的な要素を楽しめる。

『チェチェンへ アレクサンドラの旅』。戦場も戦闘場面もなしに、戦争を大地の母の視点から見つめた揺るぎのなさに。

『パラノイド・パーク』。ジジイとして、青春映画には簡単にはいかれないぞ、と思ってるけど、これには参った。

『トロピック・サンダー』。コメディでありパロディであり業界内幕ものでもある。その毒っ気の強さに、アメリカ映画もやるなあ。

『ワイルド・バレット』。B級アクションの佳作。少年の目からみたアメリカ地獄巡り。

『僕らのミライへ逆回転』。映画への愛。ジャズへの愛。町への愛。

『ダーク・ナイト』。エンタテインメントがこんなに「ダーク」でいいのかなあ。クリストファー・ノーランは一貫したテイストで映画を撮ってる。

『ヤング@ハート』。還暦を過ぎた身として、素直に元気づけられる。

そのほか、『イントゥ・ザ・ワイルド』『アンダーカヴァー』『マルセイユの決着』『マイ・ブルーベリー・ナイツ』『ボーディング・ゲート』『タクシー・トゥー・ザ・ダークサイド』『ハニードリッパー』などが記憶に残った。

1年間、おつきあいくださった皆さん、ありがとうございます。良いお年をお迎えください。

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December 30, 2008

『アンダーカヴァー』のブルックリン

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『アンダーカヴァー(原題:We Own the Night)』は、僕がこの夏まで住んでいたニューヨークのブルックリンが舞台になっていると聞いて見たくなった。もっとも映画は1988年という設定になっている。ニューヨークが今よりずっと危ない街だった時代の話だね。

ニューヨーク市警(NYPD)の幹部である父(ロバート・デュバル)をもつ兄弟の話。兄ジョセフ(マーク・ウォルバーグ)は父と同じNYPDの警察官になり、一方、弟ボビー(ホアキン・フェニックス)は父に反逆してロシア・マフィアが経営するディスコのマネージャーになっている。

ディスコは歴史的建造物を改造したらしい巨大なホールで、ブルックリン南端の海岸、ブライトン・ビーチにある。ブライトン・ビーチは「リトル・オデッサ」と呼ばれ、ロシア人コミュニティーがある町として知られている。

ブライトン・ビーチの繁華街は高架地下鉄の両側にロシア系の店がびっしり並ぶにぎやかな通りで、僕も何回か行ったことがあるけれど、昼のことで、残念ながら夜は知らない。80年代にはきっと映画のようなディスコが流行っていたんだろう(『サタデー・ナイト・フィーバー』はブルックリンの話だった)。

ジョセフは、玄関前に数段の階段があるブルックリンの典型的な古い住宅に住んでいる。ロシア・マフィアの麻薬取引を追う責任者になったジョセフは弟がマネージャーをしているディスコを手入れするが、そのことがきっかけでロシア・マフィアに銃撃され、ジャマイカ病院にかつぎこまれる。

ジャマイカ病院は実際にある。ジャマイカはブルックリンに隣接するクイーンズにあり、ケネディ空港の北に広がる郊外住宅地。マンハッタンやブルックリンのダウンタウンから郊外へ追われたアフリカ系や移民たちが混在する町で、現在でもあまり治安はよくない。このあたりは独り歩きしないようにと言われたことがある。

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(以下、ネタバレです)
兄を銃撃され、父も狙われ、弟のボビーはNYPDに協力してロシア・マフィアのコカイン工場に潜入することを決意する。このコカイン工場へ向かう途中で、車はコニー・アイランド駅前の有名なホットドッグ屋、ネイサンズの前を通る。コニー・アイランドはブライトン・ビーチと海岸続き。浅草の花屋敷みたいに淋しい遊園地は今年いっぱいで取り壊されると言われていたが、どうなったのかな。コカイン工場はコニー・アイランド近くの廃ビルに設定されている。

警察への協力がばれ、ロシア・マフィアに追われる身となったボビーと恋人は、警察の手でケネディ空港近くのホテルにかくまわれる。エンド・ロールを見るとペンシルバニア・ホテルが撮影に使われたようだ。ペンシルバニア・ホテルはマンハッタンにある古いホテルで、近く取り壊されることになっている。僕も泊まったことがあるけれど、部屋は狭いし設備も悪い、しけたホテルだった。

そのホテルも狙われ、ボビーと恋人が警察の車でフリーウェイを逃げる途中でマフィアに襲われる。おそらく空港とマンハッタンを結ぶフリーウェイだろう。土砂降りのなかでのカーチェイスと銃撃戦がすごい。濡れた路上でこんなカーチェイスできるはずはないけど、そのリアルさはCGとも思えない。公式サイトを見たら、カーチェイスを実際に撮影した上で、CGで土砂降りの雨にしたらしい。ふーん、そんなこともできるんだね。

兄を銃撃され、父を殺されたボビーは警察官になり、ロシア・マフィアと対決することになる。最後の銃撃戦になる葦原は、たぶんケネディ空港南のジャマイカ・ベイで撮影されたんじゃないかな。僕も一度バードウォッチングに行ったことがあるけど、映画みたいな葦原があちこちにある。

ブルックリンを舞台にした映画というと、いちばん多いのは文芸ものや恋愛ものでよく出てくる高級住宅地ブルックリン・ハイツと(『ソフィーの選択』とか)、その近くでイーストリバー越しにマンハッタンの摩天楼を望めるプロムナードだろう。一方、ブルックリン育ちのスパイク・リーの映画は、ニューヨーク最大のアフリカ系住民の町ベッドフォード・スタイブサントが舞台になることが多い。

『アンダーカヴァー』はどちらでもないブルックリン、どちらかというと周辺部のブルックリンが出てきて、その意味で面白かったな。

ジェームズ・グレイ監督のデヴュー作は『リトル・オデッサ』(未見)。リトル・オデッサはこの映画の舞台になったブライトン・ビーチのロシア人コミュニティのことだから、こだわっているというか、あるいはここの出身なのかも。

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December 23, 2008

『マルセイユの決着』に酔い、醒める

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酔うけど醒める。満足だけど不満。『マルセイユの決着<おとしまえ>(原題:Le Deuxieme Souffle)』を見ている間じゅう、そんな矛盾する思いにさいなまれたな。

酔う、あるいは満足なのは、久しぶりにフレンチ・ノワールを堪能できたこと。去年見た『あるいは裏切りという名の犬』もそうだったけど、このところぽつりぽつりとフレンチ・ノワールが公開されている。ということは、フランスでもフィルム・ノワールが少数ではあれ製作されているんだろう(製作が途絶えていたわけではなく、客を呼べないから輸入されないという日本側の事情もあるかもしれない)。

この映画の監督、アラン・コルノーはもともと1970年代に『真夜中の刑事』や『セリ・ノワール』といったノワールものでデビューしている。その後、『インド夜想曲』とか『めぐり逢う朝』とか文芸もので有名になったけど、今回は四半世紀ぶりのノワールだ。そういうキャリアの監督だから、ノワールのツボを心得てるね。

ノワールのツボは、僕の独断だけど、まずなにより風景感覚の鋭さだ。ハードボイルド小説が登場人物の外面的行動を描くことによってその内面を語るのに似て、優れたノワール映画はいつも風景によってなにごとかを語る。風景やその空気感がそのままギャングや警官の心象になる。

『マルセイユの決着』にもそれがあった。脱獄した老ギャング、ギュ(ダニエル・オートュイユ)が行動する先々で、夜の港のコンビナートとか、赤茶けた岩肌が露出する南仏の海際の崖とか、貨物列車で逃亡するギュの目に映る田園風景とか、なんとも印象的な風景がインサートされる。そんな一瞬のショットを見るだけで僕は映画に満足してしまう。

もちろん、フィルム・ノワールに欠かせないものはすべて揃っている。1960年代のパリ。トレンチ・コートを着てソフト帽を目深にかぶったギャングたち。レトロな酒場。妖艶なファム・ファタール(モニカ・ベルッチ姐さんが髪をブロンドに染めて登場)。シトロエンやキャデラック。ギュが署名代わりに使うコルト。最後にそのコルトがギュの手からスローモーションで落下するあたり、声をかけたくなるほど「決まってる」ね。

ジョゼ・ジョバンニ原作のこの映画は、1966年にジャン=ピエール・メルヴィルがつくった『ギャング(原題は同じ)』のリメーク。映画に酔う反面醒めてしまうのは、どうしてもメルヴィルの傑作と比べてしまうからだ。

といって僕が『ギャング』を見たのは20年以上前だから、こまかいところまで覚えているわけではない。でもモノクロ、少ないセリフ、ほとんど音楽を使わないリアルな画面のなかで、リノ・バンチェラ演ずる男の友情と裏切りの物語は、なんとも緊迫感に満ちていた。

『ギャング』に比べると『マルセイユの決着』は丁寧につくられてるけど平凡、といった印象を受ける。望遠系レンズやスローモーションを多用した映像、バックに流れる情感あふれる音楽には、ハードなメルヴィルに対して、どうしてもセンチメンタルな感じを受ける。

メルヴィルが『いぬ』や『ギャング』『サムライ』『仁義』『リスボン特急』といったノワール群で描いた愛と友情と裏切りの物語は、セリフや音楽や説明を極端に切り詰めた画面に支えられていた。切り詰めすぎて筋がよく分からないこともあったけど、だからこそ大時代的な物語がリアルに感じられたのだと思う。

ま、メルヴィルと比較するのは可哀そうといってしまえばそれまでだけどね。と、ここまで書いてきたら、メルヴィルを見たくなってきたぞ。『リスボン特急』の冒頭、嵐の海岸での銀行強盗。その冷え冷えした空気感に浸りたくなってきた。棚の奥のVHSを引っ張り出そうかな。


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December 20, 2008

追悼・筑紫哲也さん

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(沖縄特派員時代の筑紫さん、1970年)

筑紫哲也さんのお別れ会(12月19日)に若いころの写真が掲げられていた。沖縄返還を控えて那覇特派員だったころの筑紫さんで、そうか、こんなに若かったのか。このときの沖縄体験が彼のジャーナリストとしての構えを決めることになったのは、「NEWS23」を見ていた方ならご存知だろう。

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(お別れ会で配られた冊子。写真は08年春のもの)

二十数年前、筑紫さんが雑誌の編集長をしていたころ、その下で記者・編集者をしていたことがある。

「タブーなし」が編集長の掲げる旗で、編集部員はみな好き勝手なことをし、筑紫さんはそれを見て、時に内外からクレームがつくのを楽しんでいた節がある。つくる側から言えば、雑誌が面白いかどうかはまず編集部が一体となってお祭りに参加しているかどうかにかかる。このときの「お祭り」は僕の記者・編集者生活で最大の、そして最後の体験となった。

雑誌は赤字だったけれど、筑紫さんはこう言っていた。「この雑誌は大きな儲けを期待されているわけではないが、黒字を目指そう。なぜなら、赤字を出さないことは言論の自由の基礎であり、社内的な言論の自由の基礎でもあるから」。「NEWS23」について、「生存視聴率」(番組を続けられる最低限の視聴率)と言っていたのと通ずる。「タブーなし」の一方で「赤字脱却」を掲げる。筑紫さんはそういうバランス感覚のあるジャーナリストでもあった。

毎週、最後の校正を終えると市ヶ谷の印刷所近くの居酒屋で、編集長以下、ときには外部筆者も参加して深夜の酒盛りになる。先々週、当時のメンバーが同じ店に10人近く集まった。店は代替わりしていたが、先代のおやじさん夫婦も駆けつけてくれて、一夜、筑紫さんを偲んだ。

数年前、編集者として筑紫さんへの恩返しのつもりで『旅の途中』という著書を出版したことがある。筑紫さんがジャーナリストとして接した内外の多くの政治家、音楽家、作家、スポーツ選手の肖像を描きながら同時に自伝にもなっているという本で、「僕の著書のなかでいちばんいいって、何人もの人に言われたよ」と喜んでくれたのが嬉しかった。

昨年の初夏、ニューヨークへ1年の滞在に出かける前に病院へ見舞いに行ったのが、筑紫さんに会った最後になった。「年とってから、もう一度貧乏生活をしてみる。ニューヨークはそれを楽しめる町だから面白いと思うよ」と言ってくれた。ニューヨークで、その言葉を何度も思い出した。合掌。


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December 14, 2008

『トロピック・サンダー』とベトナム戦争映画

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この映画、アメリカで見たかったなあ。

日本へ帰る直前の8月、ブルックリンのアパートを引き払って旅に出、マイアミのビーチに寝そべっていたとき、小型飛行機が『トロピック・サンダー(Tropic Thunder)』の宣伝用引き幕をなびかせて何度も海上を往復してたっけ。見たいなと思いつつ、ビーチで怠惰をむさぼる快楽に負けた。ちょっとしたことでも大げさに笑いに反応するアメリカの映画館だったら、最初から最後まで大爆笑だったに違いない。東京の映画館が静かだったのが淋しい。

ベトナム戦争が終わって間もない1980年代、ハリウッドでベトナムもの映画がブームになった一時期がある。『地獄の黙示録』『プラトーン』『ディア・ハンター』から『ランボー』まで。『トロピック・サンダー』は、それらベトナムものをネタにしたコメディというか、パロディというか。しかも毒っ気の多いハリウッド内幕ものになっていて、戦争アクションとしても楽しめるのが憎い。

いちばんのネタになってるのはフランシス・F・コッポラの『地獄の黙示録』。完全主義者のコッポラが、これまた完全主義者のマーロン・ブランドを主演に据えて長期アジア・ロケを敢行し(フィリピンだったと思う)、湯水のように金を使ったがいつまでたっても映画が完成せず、製作会社が頭を抱えた「事件」がもとになっている。コッポラの奥さんだったかが書いたメイキング・ドキュメントを読んだ記憶があるけど、ロケがうまくいかず、コッポラとブランドが揃って不安にさいなまれ狂気を孕んでいく過程が生々しく記されてた。

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『トロピック・サンダー』という戦争映画のベトナム・ロケが進んでいる。主役は3人。落ち目のアクション俳優(ベン・スティラー)。ヤク中の下ネタ専門コメディアン(ジャック・ブラック)。やりすぎ演技派のオスカー俳優(ロバート・ダウニーJr)。

3人の役者のこれまでの当たり役が予告編スタイルで紹介される冒頭から、うーん凝ってるな。落ち目のアクション俳優はシルベスター・スタローンを連想させるし、オスカー俳優は無論マーロン・ブランド。とすると、ヤク中のコメディアンは誰だろう?

「予告編」が終わると、ヘリコプターのぷるんぷるんというけだるい羽音が聞こえてくる。これ、『地獄の黙示録』で印象的だった音で、そら来たぞ、と思うと、画面は一転してベトナムの戦場。緑深い熱帯の森を3機の武装ヘリが飛んでいる。『地獄』の有名シーンのパクリだね。『地獄』ではワーグナーが鳴っていた。

次も『地獄』のパクリ。ジャングルに爆弾を連続投下して空高く炎が上がる印象的なシーンと同じシーンを撮影しているんだけど、監督のドジでカメラを回しそこねてしまう。ロスのプロデューサー(超有名俳優がカメオ出演して怪演)にどなられた監督が頭を抱えているところに、現場にいた原作者(ニック・ノルティ)が、武装した麻薬組織が支配する地域に役者を放り出してカメラを回せばいいと監督をそそのかす。

「悪魔のささやき」をする原作者は、フィリピン・ロケがうまくゆかず不安に駆られたコッポラその人を連想させるな。追い詰められたコッポラは、そんな「悪魔のささやき」を聞かなかったろうか。

原作者の誘惑に乗った監督は、3人の役者に新兵役などを加えた5人をヘリでジャングルのなかに放り出す。役者たちは出現した武装集団を、これもロケと信じ込む。このあたりのヘリを使った戦闘シーンは『プラトーン』だね。ウィレム・デフォーが両手を挙げるポスターでおなじみのショットが2度も出てくる。

武装集団の拠点は『ディア・ハンター』のベトコン村みたいだし、筋肉むきむきのスティラーが銃をぶっ放すのは『ランボー』だし、最後にスティラーが神がかるのは『地獄の黙示録』。

すべてのシーンが過去の映画のパクリで、現実の俳優を連想させる役者たちが、武装ゲリラを本物ではなくロケと思い込むことで演じるコメディという2重3重に仕掛けられた笑い(実弾をあれだけ撃たれても誰も死なないのはご愛敬だけど)。見事なもんです。

戯画化されているプロデューサー役があの人だとはエンド・ロールが出るまで気づかず、一緒に見た映画好きに「それは遅すぎる」と笑われてしまった。ハリウッドに詳しい人なら、この傲慢なプロデューサーも現実の誰かさんを連想するんだろうな。

製作・脚本・監督は主演のベン・スティラー。この人、『ザ・ロイヤル・テネンバウム』くらいしか見たことないけど、監督としても何本か撮ってる。いや、面白かった。


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December 05, 2008

昭和天皇の母子関係

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(貞明皇后。原武史『昭和天皇』-岩波新書-から)

原武史の天皇論は、いつも従来の政治権力論的な見方では見過ごされがちなところにスポットを当ててみせる。

『大正天皇』(朝日選書)は、存在そのものが希薄だった大正天皇の、帝国議会の開院式で証書を丸めて覗いたみたいなレベルでしか知られていなかった実像を追って、天皇として初めて一夫一婦制を取るなど意外に近代人だったり、地方へ出かけたとき気軽に外を出歩くなど昭和期に神格化される以前の天皇の知られざる側面を描いていた。

今年の司馬遼太郎賞を受けた『昭和天皇』(岩波新書)でなんてったって面白いのは、大正天皇の妻であり昭和天皇の母である貞明皇后と昭和天皇の母子関係について書かれた部分だね。なにせ大日本帝国の最高権力者のことだから、母子の葛藤は単に家庭内の問題ではすまず、帝国の運命にまで絡んでくる。

大正天皇の病が重くなるにつれて、妻の貞明皇后は「神(かむ)ながらの道」という新興神道にのめりこみ、夫の死後、息子が即位した昭和期に入るといよいよ神がかりの傾向を強めたという。

一方、息子の昭和天皇は、皇太子時代にヨーロッパ訪問をしたこともあってゴルフを楽しんだり生物学に熱中したり、イギリス王室を手本に皇室の近代化をめざして大奥のような女官制度を改革したりしている。

天皇は、新嘗祭など月に何度もの宮中祭祀をこなさなければならない(祭祀の多くは古いものでなく明治になって新たに定められた「創られた伝統」だった)。ところが明治天皇も大正天皇も必ずしも宮中祭祀に熱心でなく、それは昭和天皇も変わらなかった。そのことが、神がかりの貞明皇后(皇太后)には大いに不満だったらしい。

昭和天皇の宮中祭祀への態度について貞明皇太后は、「御正坐御出来ならざる(正坐もできない)」とか「形式的ノ敬神ニテハ不可ナリ、真実神ヲ敬セザレバ必ズ神罰アルベシ」と、なんとも強い言葉で批判している。「神罰があるぞ」と告げる母親は、息子にとってかなり支配的・抑圧的な存在だったにちがいない。しかも時代は「現人神」として天皇の神格化が着々と進んでいたから、母に異を唱えるわけにもいかない。

一方、昭和天皇と2人の弟、秩父宮、高松宮との兄弟関係も微妙だった。秩父宮は2・26事件を起こした陸軍皇道派と近く、「秩父宮様帝位簒奪」との噂も立った。事件後の青年将校への処罰について、温情を期待された昭和天皇が冷たかったのは、秩父宮との関係も影響していたらしい。もうひとりの弟、高松宮は近衛文麿ら宮中グループと近く、敗色が濃くなった太平洋戦争末期に戦争継続を考える昭和天皇を批判し、以来、2人の間には溝ができた。

貞明皇太后は秩父宮と高松宮を「秩父さん」「高松さん」と呼んで可愛がった。家族のなかで孤立し、帝国が太平洋戦争へ突き進むなかで、独り言が目立つようになった昭和天皇はかつてとは様変わりして宮中祭祀に熱心になってゆく。月に何度もある祭祀をこなし、「神の御加護」を求め、伊勢神宮に戦勝を祈願した。

戦局の悪化に反比例して貞明皇太后の神がかりはいよいよ強くなった。敗戦の2カ月前、天皇は皇太后に会いに行く。恐らくは勝利の見通しが立たないことを母に説明した後、息子は嘔吐して2日間寝込んだという。

貞明皇太后の神がかりは、戦後、皇太后が亡くなってからも、「魔女」と呼ばれた皇太后側近のひとりの女官に引き継がれた。1970年、昭和天皇が遂に「魔女」の罷免を決意したとき、「言ふことをきかなければやめちまえ」ときわめて激しい口調で侍従長に告げている。「やめちまえ」という感情をあらわにした言葉からも、貞明皇太后の影が「魔女」を通して死後もいかに大きく昭和天皇にのしかかっていたかを推測できる。

想像をたくましくすれば、敗戦は昭和天皇にとって皇太后の告げる「神罰」が下りたと受けとめられたかもしれない。

昭和天皇は戦後も宮中祭祀に熱心だった。その理由について原は、「天皇は少なくとも『神』に対しては戦中期の過ちを自覚するがゆえに、戦後も一貫して宮中祭祀に努めてきた」「天皇が責任を痛感していたのは第一に皇祖皇宗に対してであり、国民に対する責任観念を意味するはずの『戦争責任』という言葉には、にわかに反応できなかったのではないか」と言っている。

宮中祭祀という視点から見るかぎり、戦前も戦後もそのありようはほとんど変わっていない。昭和天皇にとって敗戦時の最大の関心は「万世一系」の天皇家の維持だった。マッカーサーの政治的決断でそれが果たされ、戦後も亡くなるまで皇祖に祈りつづけた昭和天皇の姿を見ていると、天皇が統治者であり主権者でもあった大日本帝国から国民主権の日本国への大転換は、彼にとってさほどの意味を持たなかったのではないかと思えてくる。

原武史はさまざまな資料を当たり、側近や侍従の日記・手記を読みときながら、昭和天皇の宮中祭祀と家族関係という、天皇家の外からはうかがいしれない部分に光を当てた。

最近の新書は岩波も含めて内容が薄く失望することが多かったけど、久しぶりに充実した新書を読んで本を読む喜びを味わったな。


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December 04, 2008

庭の紅葉

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今年はいったいに紅葉が遅いように感ずる。庭のドウダンツツジもようやく赤くなった。

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こちらはカエデ。1月前から黄葉し、散り始めて、もう残りの葉も少ない。

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