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October 02, 2008

NYの記憶・4 生徒たち

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(クラスの仲間)

いつだったか、クラスでニューヨークに住む外国人について議論することになったときだったと思う。教師のJが、あらかじめこう言った。「ただし、他の国の人間の悪口を言わない。ビザについては話さない」。

なるほど。確かに、両方とも微妙な問題に触れることになるからな。

ニューヨークはアメリカではない、とよく言われる。その理由は政治経済から文化的な問題にまで及ぶけれど、単純な事実として、ニューヨークは他の都市に比べて外国人が圧倒的に多い。世界中のあらゆる国からたくさんの人間が合法非合法に集まってきている。ロスアンゼルスやマイアミにも外国人は多いけれど、その数と国籍の多様さはニューヨークの比ではない。

それをかつては「ニューヨークは人種のるつぼ」と表現したけれど、今は「ニューヨークは人種のサラダ・ボウル」と呼ぶ。

るつぼのなかで金属(人種)は溶けて融合する。でもサラダ・ボウルのなかで、どんなに混じりあってもレタスはレタスであり、トマトはトマトであるように、ヒスパニックはヒスパニックとして、中国人は中国人として(ヒスパニックや中国系のなかでもさらにそれぞれの国と民族に分かれて)暮らしている。そこには融合ではなく棲み分けと区別があり、それは時として対立や差別にもつながる。

僕のいるクラスは仲がよくて対立こそなかったけれど、多様性という意味ではニューヨークの縮図のようなものだった。

クラスは少ないときで十数人、多いときは名簿上で30人を超えることもあった。その時々で出入りが激しいけれど、おおざっぱな印象で言えば、いちばん多いのは中南米から来たヒスパニックだった。スペイン語でなくポルトガル語を話すブラジル人を加えれば、その数はさらに多くなる。クラスの3分の1を超えるだろうか。

南米のコロンビア、ベネズエラ、ペルー、ブラジル、カリブ海のドミニカ、中米のメキシコから来た生徒が多かった。白人と先住民の血が混じる典型的なヒスパニックの容貌を持った生徒だけでなく、金髪碧眼や東洋系(ベネズエラ、コロンビアには中国移民が多い)の女姓もいた。

彼ら彼女らの多くは学校が終わるとパートタイムのアルバイトをしていて、できればちゃんとした仕事を見つけてアメリカに永住したい希望を持っていた。あるいは英語を勉強にして国に帰り、語学を生かして有利な職につきたいと願っていた。

中南米のヒスパニックに次いで多いのは、ヨーロッパ各国から来た学生だろう。特に多かったのはイタリアとスペイン。他にスイス、ポーランド、フランスといったところ。アイスランド、アルバニア、マケドニアから来た生徒もいて、それらの国の人間に会ったのは初めてのことだった。

ヨーロッパから来た生徒は観光ビザを持っていることが多く、学校や職場の休暇を利用してビザの期限である3カ月だけ滞在して学校に通ってきていた。ほかに留学してカレッジに通う準備で語学学校に来ている生徒や、この町で仕事を見つけてアメリカで暮らしていこうとしている生徒もいる。

もうひとつのグループは東洋人。中国系がいちばん多く、次いで韓国系と日本人といったところか。他にバングラデシュ、ウズベキスタンから来た生徒もいた。中国系は本土、香港、台湾から来た生徒がそれぞれにいた。留学してカレッジに通っている生徒、観光ビザで短期間だけ在籍する生徒、どういうビザを持っているかは分からないがニューヨークで働きながら通ってきている生徒と人それぞれ、さまざまだった。

少数だけどアフリカから来ている生徒もいる。出身はガーナ、ナイジェリア、セネガルなど。概して裕福な家の子どもという感じの生徒が多かったが、難民収容所にいたことがある、という子もいた。

生徒たちはさまざまなビザ、さまざまな資格を持って(あるいは持たずに)学校に通ってきていた。教師のJが「ビザについては話題にしない」と言ったのは、なかには公にできない事情を抱えている生徒もいたからだろう。

クラスの出入りを見ての印象だけど、いちばん多かったのは観光ビザで入ってきた生徒だろうか。国によって期限が違うようだけど、観光ビザは日本人がそうであるように3カ月というのが一般的だ。だから学校や職場の休暇を利用してニューヨークに来て語学学校に通っている、というケースが多い。短期の留学だから、やっと顔なじみになったと思うと、いつの間にか姿が見えなくなっている。

でもその3カ月を過ぎても帰らないと、不法滞在ということになる。どのくらいの数かは見当がつかないけれど、クラスにも学校にも、こういう生徒がいたことは確かだ。ビザが切れてもそのまま滞在し、アルバイト的な仕事をして生活費をかせぎながら、いずれきちんとした仕事を見つけて就労ビザやグリーンカードを取りたい、というのが彼らの希望だ。

僕は学生ビザを持っていたけれど、同じように学生ビザを持っていたのはクラスの4分の1程度だろうか。学生ビザの有効期間は5年。だから授業料を払い、決められた出席率を維持していれば、最長5年は滞在できる。学生ビザを持っている生徒の大半は、カレッジに、あるいはアートやビジネスなど専門学校に留学するためにニューヨークに来て、語学力をつけるために学校に来ている、というケースだ。

でも学生ビザを持ちながらカレッジや専門学校には行かずに仕事をしたり(むろん不法)、自分でビジネスをしている生徒もなかにはいた。彼らは、70%以上と定めれた出席率をクリアし、ビザを維持するためにだけクラスに顔を出す。2、3年滞在している場合が多く英語力はついているから、授業にはあまり関心を示さないし、しばしば遅刻早退する。担任のJは、こういう生徒を授業のじゃまになると嫌っていた。

ほかにきちんとしたビザやグリーンカードを持っている生徒も少数ながらいた。勤め先や公的機関からニューヨークへ派遣されて語学を学んでいるケース。アメリカ人と結婚したけれど、まだ英語で十分に会話できないので、というケース。

いずれにしても、僕のように働かずに遊んでいる生徒は少数だった。たいていの生徒がなんらかの形で働いている。

彼らが合法的に働いているのか、非合法に働いているのかは、親しくなった人間を除いてはよく分からなかった。でも観光ビザや学生ビザでは就労できないから、かなりの数の学生が非合法で働いていたんじゃないかと思う。深夜まで、時には朝まで仕事をしている彼らが遅刻したり、授業中に居眠りしているのを見ると、少しばかりの後ろめたさと、若さへのうらやましさを同時に感じたものだった。


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