『ワイルド・バレット』はアメリカ地獄巡り
若い映画監督にとってクエンティン・タランティーノの存在はこんなにも大きいのか、と改めて思い知らされるなあ。
これが3作目というウェイン・クラマー監督の『ワイルド・バレット(原題:RUNNING SCARED)』は、エンド・ロールでプライアン・デ・パルマやウォルター・ヒルに捧げられてるけど、どう見ても『レザボア・ドッグス』をクラマー流に料理しなおした作品だなあ。しかもそれがパクリにとどまってなく、面白い。興奮する。
冒頭でまず結末を見せておいて18時間前に遡るという、時間がくるっとひとまわりする構造もそうだし、最後に互いに拳銃を突きつけあっての銃撃戦も、『レザボア・ドッグス』以後のお約束みたいなもの。
夜の艶っぽさを強調するざらざらした映像もタランティーノふうだったり、発射された弾丸の薬夾が画面手前でスローモーションで回転し、画面奥では撃たれた人間が壁に向かってぶっ飛んでゆく、凝りに凝った映像がデ・パルマふうだったりしながらも、うまい。
脇役のひとりがジョン・ウェインの熱狂的ファンで、背中に彼の入墨を入れ、いまわの際に大好きな『11人のカウボーイ』のジョンのセリフをつぶやくなんてのも、ちょっとオタクな「映画へのオマージュ」だね。
イタリア・マフィアのチンピラ、ジョーイ(ポール・ウォーカー)が、麻薬取引現場で警官を撃ってしまった銃の後 始末を任されるが、ジョーイの息子ニッキーと隣家の息子オレグ(キャメロン・ブライト)がそれを盗み、家庭で虐待されていたオレグがその銃で義父を撃ってしまう。ジョーイは、逃げたオレグと銃を発見することをボスから命じられ、夜のニュージャージーを駆けめぐる、というのが大筋。
この映画の面白さは、主人公ジョーイというより、むしろオレグとニッキーの2人の少年に大きく視点がおかれていることじゃないかな。
少年たちは、次から次に怪しげな人間がたむろする危険な場所に放り込まれる。少年たちを追うイタリア・マフィア。オレグの義父が関係するロシア・マフィア。娼婦とヒモ。汚職警官。凶暴なホームレス。小児愛好のサイコ・キラー夫婦。
オレグは逃げる先々で酷い現実を見せつけられ、あるいは自ら危機に陥っては脱出する。そんな短いエピソードがスローモーションやデジタル・エフェクトを使ってテンポよく積み重ねられる。なかでも、オレグが善良な白人夫婦を装ったサイコ・キラーに誘い込まれるあたりは、全体がハードボイルドな雰囲気のなかでそこだけキッチュなアクセントになっている。
この映画は、いわば少年たちの地獄巡り。その舞台がニューヨークと川ひとつへだてたニュージャージーという設定になっているのがまた憎い。
ニュージャージーといえば思い浮かぶのは、ここで生まれ育ったブルース・スプリングスティーンの数々の名曲。「都市のエッジ」と彼が歌うように、郊外の一軒家と貧困層の集合住宅と工場地帯と田園が混在する、ニューヨークとはまた違った風景のなかで逃亡劇が展開する。追いつ追われつのなかで繰り返し登場するダイナーがまた、ちょっと野暮ったくていい。
サイコキラー夫婦の住むホーボーケンはじめニュージャージーのあちこちを巡った映画はやがて川を越えてニューヨークに舞台を移し、ロシア・コミュニティーがあるブルックリンのブライトン・ビーチでクライマックスを迎える。
映画のなかで「アメリカ人」というセリフと星条旗が一度ずつ出てくる。セリフは、ロシア人少年オレグがロシアの音楽が好きだと言ったことに対して、ジョーイが、それじゃあアメリカ人とはいえない(だったか? うろ覚え)とかしゃべる車のなかのシーン。旗のほうは、ラストのどんでん返し(それも2重の。あまり効果的じゃないけど)で、棺を包む星条旗として登場する。
この「アメリカ人」というセリフと星条旗、僕には意図的に感じられ、少年たちの逃亡劇がどこでもないアメリカの地獄巡りであることを強調しているように印象された。
ところでひとつだけ分からないことがある。
オレグはいつも「NJ RAZORS」とロゴの入ったトレーナーを着てる。ジョーイと息子との会話でも、「レイザーズのチケットがある」というセリフが出てくる。でも僕の知るかぎり、NJ RAZORSって野球チームもバスケットボールもアイス・ホッケーのチームもないんだな。ニュージャージーでバスケットといえばネッツだし、アイスホッケーはデビルスだ。野球の地元マイナー・チームかなと思ってグーグルを引いたけど出てこない。ニュージャージーの人間ならすぐ分かるんだろうけど、さて?
もうひとつの可能性は、野球にしろバスケにしろNJ RAZORSというチームはそもそも存在しなくて、架空のチームだということ。万一それが本当なら、これは意味を持ってくるね。
この映画は少年の地獄巡りだと言ったけど、NJ RAZORSが架空チームなら、もう一歩踏み込んで、この映画はニュージャージーを舞台にリアルを装ったブラック・ファンタジー、ひっくり返されたお伽話と言うこともできるかもしれないな。リアルなようでいてリアルでない、現実と架空が入れ子になった映画。
エンド・ロールのアニメーションがそれを暗示しているようにも、また(安価な)チェコで撮影され、現実のニュージャージーやニューヨークとは微妙に空気感が違うのも意味ありげに思えてくる。
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