NYの記憶・5 生徒たち(2)
語学学校は普通の学校とちがって生徒の出入りが激しい。
僕のいるALCCは1週間単位で生徒を受け入れていた。外国からくる生徒の大半は観光ビザで、3カ月以内の短期留学というかたちをとる。彼らは顔なじみになったかと思うと、いつの間にかいなくなっている。
僕のように学生ビザを持っていた人間は長期に在籍することが多いけれど、彼らも本来の目的であるカレッジや専門学校が忙しくなったり、語学に自信がついたり、あるいは何らかの事情があって顔を見せなくなる。だから1年を通して同じクラスにいたのは、ほんの数人にすぎない。
生徒のほとんどは僕の息子や娘より若くて互いに遠慮や敬遠もあったし、語学力の問題もあったから、授業が終わってから学校の外でもつきあいのあった生徒は少ない。でも、ほんの数週間一緒にいただけなのに記憶に残っている子たちも何人かいる。
イタリアから来たAは、初めて授業に出た日に隣り合わせ、クラスで最初に会話を交わした生徒だった。20代後半、目がくりくりっと大きい長髪の大学生。最初の授業で僕がまだテキストを用意していなかったのを見て、隣に座ったAが見せてくれた。授業が終わって英語がよく理解できず自信を失いかけた僕が、「授業についていけない」と言うと、「ともかく何日か来てみたら」と、その後、教師のJが言ったのと似たことを言ってくれた。
Aは授業では活発に発言し、クラスを明るくリードしていた。そんなAを見習って、授業ではできるだけ発言するようにした。授業はいわば「言った者勝ち」で、自分から発言しないと3時間の授業に1度も発言しないで終わってしまうこともある(Jはできるだけ多くの学生に発言させるよう話題を振るのだが、いつも黙ったままの生徒もいる)。
Aは3カ月の観光ビザでアメリカに来ていた。ハーレムに部屋を借り、学校が終わると毎日のようにニューヨークのあちこちを歩き回っていた。僕が国際写真センター(ICP)のロバート・キャパ展の話をしたら興味を持って、クラスメートと一緒に行ったこともある。ハーレムで日曜にゴスペルを聞ける教会を教えてくれたのもAだった。
どんな機会だったか、60歳を過ぎてNYで独り暮らししている僕に、「あなたは勇気がある」と言ってくれたことがある。こっちも体調が万全でないので、たまに独り暮らしが心細くなることもあったけれど、そんなとき、Aがああ言ってくれたな、と考えて自分を励ましたりした。
2カ月後、Aは、これからパリに行って(観光ビザで)3カ月暮らし、その後、NYに戻ってまた3カ月暮らすつもりだ、と言って去っていった。また会えるのを楽しみにしてるよ、と言って別れたけれど、結局、Aは帰ってこなかった。自分の子供より若い学生だったけれど、NYに来てとまどっている僕に、こうすればいいんだというロール・モデルの役を果たしてくれた。
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