NYの記憶・6 生徒たち(3)
学校に通いはじめた去年の秋、クラスにはアフリカから来た生徒が2人いた。
2人ともガーナの出身だった。Mはやや太め、眼鏡をかけ、言葉数が少ない。クラスの仲間とはあまりしゃべらず、教室にいつも携帯型のDVDプレイヤーを持ち込んで、休み時間にはたいていひとりでアメリカ映画を見ていた。
半年を過ぎたころから、Mは僕の隣の席が空いていると、そに座ることが多くなった。
教室は壁に沿ってコの字型に椅子が並べられ、入ってきた者から自由に席を取れることになっている。仲のいい同士は並んで座ることが多いから、誰がどこに座るかを観察していると、あの2人は仲がいいんだな、ひょっとしてこの2人はできちゃったのかな、なんぞと見当がつく。
生徒の大多数は20代、30代で、僕は彼らの親の世代に当たるからちょっと別扱いという感じで、隣の席には少数いる40代50代や家庭を持っている者、あるいはクラスに友達が少ない生徒が座ることが多かった。
Mが僕の隣によく座るようになったのには訳がある。彼が親しかったもうひとりのアフリカ人学生、Lがいなくなってしまったからだ。
LはMと対照的に細身の長身。陽気で冗談好きなところもMと正反対で、誰にも気軽に話しかけてくる。僕にも笑顔で、決まって「ハーイ、コンニチハ」とひとつだけ覚えた日本語で挨拶してくる。
LもMもアルバイトをしていたけれど、2人がどんなビザを持っていたのかは分からない。そのLが、タクシードライバーになると言いはじめたのだ。Lは教師のJに相談したが、Jはそれを止めようとした。Jはこう言ったそうだ。
タクシードライバーになれば、朝から深夜までの仕事だから学校には来られないだろう。いま学校を止めたら、英語力はそれ以上上がらない(僕と同じクラスだから、日常会話はなんとかできても、それ以上むずかしいビジネスの専門的な話はできない)。ということは、君は今後、もっといい職につくことができないということだ。アメリカでそれ以上の生活はできないということだ。それでいいのか。
別の機会に、教室で欠席者や遅刻が目立つとき、Jはこうも言ったことがある。
この学校に来ているということは、それだけで、学校へ来ていない(英語ができない)人間よりひとつ上の生活ができるチャンスをつかんだということだ。英語ができなければ、この国で就ける職業は肉体労働か、せいぜいレストランのウェイターまでだ。君たちはいい暮らしをしたくてこの国に来たんだろう。休んだり遅刻する者が多いけど、学校へ来るのはそういう意味を持っていると考えなきゃいけない。
これは、僕のようにニューヨークで遊び暮らしている人間や、多くの日本人学生がそうであるようにカレッジや専門学校に留学するために来ている人間、あるいはニューヨーク生活を楽しみながら英語を勉強して国に帰ろうと思っている生徒に対して言ったのじゃあない。たいていは貧しい国から来て、なんとかこの国で生きていこうとしている生徒に向かって、Jは言ったのだった。
アメリカは豊かな者と貧しい者がくっきり分かれ、1950~70年代には多数いた中産階級もその上層と下層が上下に(どちらかといえば下に)分解しかけている階級社会だ。そのなかで、語学もまた階級を決める重要な要素であることを改めて知らされた。
LはJが止めたにもかかわらずタクシードライバーになり、その後、学校に戻ることはなかった。そのことがはっきりした翌日、Jは教室で「Lはタクシードライバーになった」とだけ短く報告した。
Comments
非常に面白く拝読させていただいております。
特にこの記事は胸にささりました。
Posted by: Jun | July 13, 2014 03:38 PM
ありがとうございます。クラスで知り合った10人ほどはfacebookでつながっているので消息が分かりますが、MもLもどうしているのか分かりません。
Posted by: 雄 | July 13, 2014 08:27 PM