NYの記憶・7 生徒たち(4)
ポーランドから来た女性、Cのしゃべる英語はとにかく聞きづらかった。
学校に通いはじめたころ、教師のJがしゃべる英語の半分ほどしか聞き取れなくて愕然としたけれど、それ以上にショックだったのは、生徒たちの英語がもっと聞き取りにくかったことだ。
スペイン語訛りだったり、中国語訛りだったり、ロシア語訛りだったりして、簡単な日常会話はともかく授業での討論になると、最初の1カ月、生徒のしゃべる言葉のほんの一部しか意味が取れないことが多かった(そのときは分からなかったけど、彼らの英語は文法的にもけっこうひどかった)。
なかでもCが話はじめると、母語がポーランド語という日本人になじみの薄い言語でこちらにカンが働かないせいか、口のなかでくぐもったようにごにょごにょ音を出す発音のせいか、とても英語をしゃべっているとは思えない。
彼女はクラスのちょっとした「困ったちゃん」で、すべてのことにシニックで否定的な発言をする。授業中、Jが彼女に発言を振ると、眉間に皺をよせ、身振り手振りを交えてなにやかやとすべてに文句をつけはじめる。Cがしゃべりだすと、クラスには、またか、といった苦笑まじりの空気が流れた。
そんなパーソナリティが彼女のどんな生まれ育ちのなかで培われたものかは分からないけど、幸いそのネガティブな発言が他人に、特にクラス仲間と彼らの出身国に向かうことはなかった。
Jが話してくれたところでは、以前、クラスには本当の「困ったちゃん」がいたそうだ。ロシア女性で、彼女の発言はいつも他の国、他の人間を攻撃するのが常だったという。Jはたまりかねて、「明日からクラスに来るな」と彼女を「キック・アウトした」という。
Cは「困ったちゃん」といってもクラスの空気を少し乱す程度で、ロシアの「困ったちゃん」のようなことはなかった。20代後半の若さなのにいつも悲しげな目をしていて、授業中になんとなし彼女を眺めていると、どんな人生を送って今、ここニューヨークにいるんだろうとつい想像してしまう。
どんな事情があったか知らないが、Cはそのうちクラスに姿を見せなくなってしまった。彼女はポーランド人コミュニティがあるブルックリンのグリーンポイントに家族と住んでいた。彼女が学校を欠席している間に一度だけ、グリーンポイントの地下鉄通路で足早に歩いて人混みに消える彼女を見かけたことがある。
3カ月ほどして、Cがクラスに戻ってきた。彼女が久しぶりに授業でしゃべりはじめたとき、以前にはほとんど聞き取れなかったCの発言が意外にもよく理解できるのに気がついた。おや、けっこう聞き取れるじゃん、知らないうちに少しはリスニングの腕が上がったのかと嬉しくなったのを覚えている。
最初の数カ月は、「ハーイ」と挨拶してもしかめ面でかすかにうなずくだけだったCが、クラスに戻ってからはにっこり笑って挨拶を返してくれるようになっていた。
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