NYの記憶・2 出席率と9・11
(学校へ通うのに使った地下鉄Qラインから。ブルックリンからマンハッタンへ、イースト・リバーを渡るとき、ブルックリン橋とウォール街の摩天楼を見るのが毎日の楽しみだった)
語学学校で最大の誤算は「出席率」だった。
学生ビザを取るためには語学学校に在籍して、週に18時間以上の授業を受けなければならないことになっている。とはいえ、ものごとには建前ってものがある。金は払ってるんだから、週にせいぜい2日、気が向いたら3日も顔を出せばいいんだろう、と軽く考えていた。あとはゆっくり朝寝して、昼過ぎから気の向くまま近所のフォート・グリーン・パークで本を読むもよし、マンハッタンへ出てヴィレッジを散歩するもよし。
ところが、である。学校へ初めて行った日にもらった書類を読むと、出席率が70%以上ないと学生ビザに必要なI20という資格を維持できないというのだ。
出席率70%といえば、週に休めるのは1.5日、つまり2週に3日ということになる。学校へ行くといっても、義務教育の中学や高校じゃない。朝からどこかへ行きたくなることもあるだろうし、旅行もしたい、日本から友人が来れば学校を休んでつきあったりもするから、その日のために「貯金」をしておきたい。となると、ほとんど毎日行かなきゃならないじゃないか!
実際、出欠は厳しかった。
授業は午前10時から3時間。途中で15分の休憩が入る。始まって30分後、まず教師が生徒のファースト・ネームを呼んで出欠を取る。この出欠の後に教室に入ってくると遅刻になり、半日欠席の扱いになる。僕みたいに遊び暮らしている生徒は少なくて、たいてい仕事を持っており(非合法が多い)、なかには朝まで働いている子もいるから、朝10時からの授業はけっこう大変なのだ。
休憩の後、今度は事務員が休憩前に教師が取った出欠表を持って教室にやってくる。今度はひとりひとり確かめる訳ではなく、人数だけを確認する。人数が合わないと、教師が取った出欠をもう一度確認する。高校や大学時代は代返を頼んで授業をサボったことも度々だったけど、還暦すぎてそれより厳しい出欠を取られることになるとは思わなかった。
なんでこんなに厳しいの? 教師も信用されてないみたいだし、とクラス・メートに尋ねたら、その理由は思いがけなく「9・11」だった。
9・11でワールド・トレード・センターに突っ込んだテロリストの何人かは学生ビザでアメリカに入国した。そのうちの一人は僕が通っているこのALCCに在籍していたという。彼らはしばらく学校に通っていたが、やがて姿をくらました。彼らは教師と仲良くなり、仕事が忙しくて、とかなんとか理由をつけたのだろう、教師を抱き込んで欠席でも出席をつけてもらっていた。
それが分かったのは事件後の調査でだった。それ以後、出欠はうんと厳しくなり、教師も信用されなくなったのだという。担任のJにも聞いてみたら、「僕がこの学校に来たのはその後だからはっきり知らないけど、確かにそう聞いてるよ」ということだったから、おおよそその通りなんだろう。
9・11は、こんなふうに僕のニューヨーク生活に影響してきた。
もっとも、出欠が厳しいのは結果的には良かったかもしれない。週末以外は朝8時に起きる習慣ができた。日本にいるときは編集者という仕事の性質上、用事がなければ昼過ぎに出社して深夜まで働くというパターンで数十年暮らしてきた。こういう縛りがなかったら、仕事をしているわけではないから、ニューヨークでの生活はずぶずぶになってしまったに違いない。
おまけに、学生時代以来勉強したことのなかった英語を毎日3時間耳にし、話すことを強制されたわけで、おかげでちょっとは上達したのかも。
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