NY日記 3
友人夫婦が住んでいるブルックリンのアパート周辺を案内されて散歩する。
僕はブルックリンをほとんど知らない。過去に来たとき、ブルックリン橋を歩いて渡り、橋周辺を歩いてお茶を飲んだくらい。
地下鉄R線DeKalb Av駅近くのウィロビー通りを歩きはじめてすぐ、なんだかマンハッタンとは違うなあという感触を肌に感じる。低層の商店の建物やたたずまいが都会というより、もう少し小さな町の雰囲気といったらいいか(実際には大都会の一角だけど)。
「マンハッタンといちばん違うのは?」と聞いたら、「アフリカ系が多い」という友人の答え。たしかに道行く人々にはアフリカ系が目立つ。デパートのMACY'Sで買い物をしたら、「ここはマンハッタンの店より狭いこともあるけど、品揃えがアフリカ系好み」だそうだ。
通りを一本へだてると、映画によく出てくるブルックリン・ハイツの住宅街。ブラウンストーンの建物と街路樹が落ち着いた空気を醸している。
通りを歩いていて、2人が友人に声をかけてきた。知り合いによく会うというのも、ここがマンハッタンより狭く、それだけ密なコミュニティがあるということなのかも。「エレベーターで知らない人と乗り合わせたとき、マンハッタンでは挨拶しないけど、ここだと笑顔で挨拶する」と友人。
もともとブルックリンはニューヨークとは別の独立した市だった歴史をもっているけど、川1本へだてただけで、やはり空気はちがうんだなと実感する。
Comments
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』にマンハッタンだけにある「振動(バイブレーション)」というおもしろい記述があるね(以下同書より引用)。
マンハッタンで発せられるさまざまな音は、摩天楼のあいだを抜けて高い空に拡散していくのではない。むしろ逆方向に、まっすぐ垂直に下降していく。マンハッタンの地下深くには、厚い巨大な一枚岩盤が広がっている。…摩天楼を支えるため地中深く打ち込まれた何本もの頑丈な鋼鉄パイルに沿って、すべての音はいったんこの岩盤へ到達し、ここで受け止められる。岩盤は金属にも勝る硬度を持ち、音はこの巨大な鉄琴を細かく震わせる。表面の起伏のあいだで、波長が重なりあう音は倍音となり、打ち消しあう音は弱められる。ノイズは吸収され、徐々にピッチが揃えられていく。こうして整流された音は、今度は岩盤から上に向かって反射され、マンハッタンの地上全体に斉一的に放散される。
この反射音は、はじめは耳鳴り音のようにも、あるいは低い気流のうなりにも聴こえる。しばしば幻聴のようにも感じられる。しかし街の喧噪の中に、その通奏低音は確かに存在している。
この音はマンハッタンにいればどこででも聴こえる。そして二十四時間、いつでも聴こえる。やがて音の中に等身大の振動があることに気がつく。その振動は文字通り波のように、人々の身体の中に入っては引き、入っては引きを繰り返す。いつしか振動は、人間の血液の流れとシンクロしそれを強めさえする。
この振動こそが、ニューヨークに来た人々をひとしく高揚させ、応援し、ある時には人をしてあらゆる祖国から自由にし、そして孤独を愛する者にする力の正体なのだ。なぜならこの振動の音源は、ここに集う、互いに見知らぬ人々の、どこかしら共通した心音が束一されたものだから。
こんな振動を放散してる街は、アメリカ中、ニューヨーク以外には存在しない。おそらく世界のどこにも。
Posted by: TAKAMI Toshio | August 01, 2007 01:38 PM
マンハッタンが巨大な岩盤の上に立っているという事実を使ったうまい比喩だね。「ニューヨークはアメリカじゃない」という言い方もあるけど、確かにこの街は独特で、人々の生きようとする力が良くも悪くもむきだしになっているというか、それがある種のバイブレーションとして感じられるのだと思う。
Posted by: 雄 | August 02, 2007 10:14 PM