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August 21, 2007

引っ越しのお知らせ

「Days of Books, Films & Jazz」を始めて3年になります。皆さんからいただいた、たくさんのコメントやトラックバックに背中を押されて、ここまで続けてきました。

このほど37年勤めた会社を辞めて、1年ほどニューヨークに遊びに行くことになりました。そこで、1年間限定で「不良老年のNY独り暮らし」というブログを立ち上げることにしました。英語もろくに話せない、身体のあちこちにガタがきたじじいがNYで独り、どんな生活を送ることになるのか。私自身まったく見当がつきません。

当ブログでは映画や本の感想めいたことを中心に書いてきましたが、新しいブログはもっと日々の雑感的なものになるだろうと思います。写真ももっとたくさん撮りたいと思います。これまで同様、ときどき覗いていただければ幸いです。

こちらで最後に見た素晴らしい映画、『長江哀歌』(ジャ・ジャンクー監督)の感想を書けなかったのがちょっと残念。

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August 15, 2007

『天然コケッコー』の快いぬるさ

Ipponnmiti

少年や少女の時代だけにあり、大人になるとそんな感性があったことすら忘れてしまうような、小さなことささいなことに宇宙全体を見、感ずる力。そんな奇跡的な力や瞬間を再現してみせた映画として、例えばサタジット・ライ監督の『大地のうた』があり、ホウ・シャオシェン監督の『冬冬の夏休み』がある。

『天然コケッコー』も、そんな映画の一本として記憶されるにちがいない。主人公のそよ(夏帆)と広海(岡田将生)は中学2年生として登場し、年齢からいえばホウ・シャオシェン監督のもう1本の青春映画の傑作『恋恋風塵』の主人公たちに近い。でも、この映画の感性は青春映画のそれではなく、まぎれもなく少年少女の映画だよね。

ホウ・シャオシェンの名前を出したのは、もうひとつ別のことを感じたからでもある。この映画のゆったりと淡々としたリズム。そして田舎の変哲もない風景の細部に目をこらし、道端の小さな花や田圃の一本道に、あふれるほどの色彩と匂いと空気を感じさせる山下監督に、ホウ監督の感性に近いものを見たからだ。

小学校3人、中学校は女子ばかり3人の全校生徒6人という田舎の学校。そこにやってきた都会育ちの「イケメンさん」の少年という、いかにもの設定。

ふつうなら男の子と3人の女の子をめぐる幼い恋物語になりそうなものだけど、そして確かにそれがストーリーらしいストーリーもないこの映画の軸にはなるんだけど、いつも彼らと一緒にいる小学生の子供たちや、彼ら彼女らの親の世代が主人公の背景以上の重みをもっていて、ただ「泣ける」「爽やかな」ラブストーリーではなく、海辺の村に住む人々がひとつの宇宙をかたちづくっているような存在感をもって見る者に迫ってくる。

ただ「泣ける」映画ではないということは、山下敦弘監督の傑作『松ケ根乱射事件』(間違いなく今年の邦画best1)に発展する要素があちこちにちりばめられてもいるということでもある。『天然コケッコー』の主人公たちの兄姉世代・親世代を描いたのが前作『松ケ根』だったと言ってもいいかも。

例えば、かなり年下のそよを思っている郵便局員のシゲちゃん(廣末哲万。『ある朝スウプは』でも怪演)。思い詰めた目でそよや広海を見つめているシゲちゃんは、そよに失恋してどうなってしまうのだろう? 映画はそのことをなにも語らないけど、シゲちゃんが失恋の悔しさから妄想をふくらませれば、たちまち『松ケ根』の怪しい世界になる。

また例えば、そよが目撃してしまった、そよのお父ちゃん(佐藤浩市)と広海のお母ちゃん(大内まり)の抱擁。かつて恋人同士だったらしい2人の今も危ない関係に、そよのお母ちゃん(夏川結衣)は気づいているようでもあり、いないようでもある。映画はそれ以上踏み込まないけど、それもまた語りはじめれば『松ケ根』の世界になってしまうだろう。

そのようなショットを見せる。でもそれ以上は踏み込まない。というのがこの映画で山下監督が選んだスタイル。そのことによって、そよと広海の子供でも大人でもない年代の、恋とも言えない恋の無垢がいっそう引き立つことになる。くらもちふさこの原作。監督より先に、渡辺あやの脚本がまずあったらしい。僕は原作を読んでないから、「松ケ根」的要素が原作にもあったのか、山下監督がつけ加えたのかは分からない。

「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」。映画の終わりちかくで、そよのナレーションがつぶやく言葉は、この映画のいちばん大事な部分を伝えてくれる。

それを映像で支えているのが、真正面からのショット、そして真正面から横移動していくショットの多用。クローズアップが少なく、対象を斜めから捉える角度をつけたショットが少ないのはいつもの山下監督のスタイルだけど、それはこの映画でも同じ。一本道を正面から捉える。線路に平行に横移動する。フレームから人が出入りする。そのシンプルさの組み合わせが、この映画のゆったりした、「天然」のぬるーいリズムをつくりだしているね。

1カ所だけ、修学旅行で東京に行ったそよが空の中を横移動しながら、東京タワーや都庁が空を舞う幻想シーンが生きている。もうひとつ、ラストで、そよと広海が卒業した無人の教室をカメラが横移動し、すると光が変わって明るくなり、カーテンが風に舞い、カメラが窓に移動すると高校の制服に身をつつんだそよが中を見ている、その外には子供たちがいるという長いショットがいい。

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August 14, 2007

はじめてのゴーヤ

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10年ぶりにつくっているささやかな畑で、はじめて試みたゴーヤの実が大きくなってきた。はたして沖縄のみたいに苦みの強いものになるかどうか、楽しみ。


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August 05, 2007

NY写真日記

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10番街にあるもぐりの「ホテル」からの眺め。右のビルは倉庫とトラック・ステーションらしい。航路に当たっているらしく、数分おきにヘリが飛ぶ。

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「ホテル」の向かいにある深夜のガソリン・スタンド。イエロー・キャブがひっきりなしにやってくる。

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スタンド前の道路。深夜もトラックやキャブが行き交う。

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スタンドの隣にある深夜のデリ。カウンターからの眺め。

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時差ボケで眠れない夜。

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毎日、地下鉄の駅まで歩いた44丁目。並木の緑が目にしみる。

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44丁目の建物。

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44丁目で水道栓のペンキ塗りをしていた2人。

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地下鉄出口。今日もNYは暑い!

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チェルシーのギャラリー。

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August 03, 2007

NY日記 6

もぐりの「ホテル」に滞在している間、朝食は近くのデリを利用していた。斜め向かいに1軒、3軒隣りに1軒と、2軒のデリがあり、その日の気分でどちらかに行く。

3軒隣りのデリはスペイン系の親子がやっている。狭いけれどよく繁盛していて、朝など近所の人や近くの工事現場の労働者、警官まで次々にやってきてサンドイッチを注文している。僕もハムサンドイッチやマカロニサラダをテイクアウトしたけど、まずまずの味。親子ともう1人、サンドイッチをつくる店員の3人が客と大声でやりとりしながら、てきぱき客をさばいている。ここは日用品も置いてあって、コンビニも兼ねている。

斜め向かいのデリは24時間営業で中東系の親子がやっている。だから普通のサンドイッチのメニューのほかに、ケバブーなども置いてある。僕は朝から肉を食べる気になれず、チーズオムレツ、ベークド・ポテトをテイクアウトした。スペイン系の店もそうだけど、量はたっぷりで朝に食べきれず、たいてい半分は昼に残す。空腹で「ホテル」に戻り、深夜にビーフシチューをカウンターで食べたこともあるが、独特の香料を使っているらしく、なにを頼んでもケバブーみたいな味がする。

この店にはテーブルが2つとカウンターがある。スペイン系の店ほどに客は多くなく、常連がたむろしている感じだ。2度ほどレジで十数枚の10ドル札をやりとりしているのに出くわしたから、なにかギャンブルの窓口になっているのかもしれない。深夜は隣のガソリン・スタンドに来たイエロー・キャブの運転手がやってくる。だからもう一軒のデリとは、時間帯と客層をきちんと棲み分けているようだ。

レジにいるここの息子の英語が早口で口のなかでごにょごにょ言っていて、まったく聞き取れない。奥でおやじにつくってもらったサンドイッチの値段を客が申告するんだけど、僕がよくわからないでいると、つっけんどんな顔で奥のおやじに聞いている。おやじは丸っこい顔の、ごついなりに愛嬌のある男で、痩せて突っ張ってる感じの息子との取り合わせがおかしい。

深夜、眠れずに窓の外をながめると、向かいのガソリン・スタンドとこのデリに灯りがともっていて、ああまだあのおやじか無愛想な息子がいるんだなと、少しだけ心がなごむ。

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August 02, 2007

NY日記 5

今回はプライベートな用事で来たのでどこも見るつもりはなかったけど、半日ほどあいたのでチェルシーのギャラリー街を回る。

夏休みの時期とあって閉まっているところも多い。客も地元のアート好きというより、地方からNY見物にきた一団や老夫婦が多いような印象を受けた。

10軒近く回って、ふーん、という感じ。絵画、立体、インスタレーション、さまざまだけど特に強い印象を受けたものはなかった。僕は写真に興味があるせいか、どうしても絵画より写真に目が行ってしまう。回ったなかで3軒が写真を扱っていた。

なかでチャイニーズ・スクエアというギャラリーでやっていた「陳家剛(チェン・ジァガン?)近作展」が面白かったな。

変貌著しい中国の雑踏や風景を大判カメラで、しかもデジタル処理でパノラマにしたり合成したりしながらつくりこんだ作品が、大きなパネルで展示されている。あるいは、古い町並みや鉄道など「失われた風景」のなかに女性モデルをおいた作品。

現実そのままではなく、デジタル処理やモデルをおくことで現実を再構成しているところが、スタイルを重視するニューヨーカーの好みに合うのかも。大判カメラが微細に写し出す風景や町のディテールの圧倒的な質感と、モデルや写っている人々のどこかキッチュな印象とのちぐはぐさが、今の中国をそのまま映しているような気がした。

日本の写真界はかつてのスポーツと同じでアマチュアリズム(?)が強く、大金が動くアメリカのアート・シーンに巻き込まれることをよしとしない空気があるみたいだけど、中国の写真家はどんどんNYに進出しているという。それを実感したギャラリーだった。

あと、シルバースタインというギャラリーで有名写真家のコンタクト(と選ばれた作品)を展示していた。

ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィットらの代表作のコンタクトを見られたのは嬉しい。コンタクトを見ると、写真家が何を見、どう行動しているのかがよくわかる。印をつけて選ばれた作品の前後には、意外なものが映っていたりする。ロバート・ケネディ暗殺の瞬間を捉えた報道カメラマンのコンタクトにも見入ってしまった。

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NY日記 4

ニューヨークに26年住んでいる友人が、「日本から来ると食べ物がおいしくないでしょ」と言う。僕はグルメじゃないけど、たしかにこの街でおいしいものを食べた記憶は、二十数年前にコロンビア大学近くのレストランで食べたアフリカ料理くらいしかない。

今回も、2日目、3日目と「ホテル」近くのヘルズ・キッチンをぶらぶら歩きして入ったタイ料理と、しゃれたカフェのベジタリアン料理、どれもいまいちなんだな。で、やはりここはチャイナ・タウンで決めようと夕方から出かけた(午後6時半、地下鉄は東京のラッシュ時みたいに混んでて、体と体がくっつくくらい。昔、欧米人はこういうのを嫌うって読んだような気がするけど、背に腹はかえられないってことかな)。

ヨーロッパなどを旅行していると、どんな小さな町へ行ってもたいていは中華レストランが一軒はある。たっぷりのバターやオリーブ・オイルで食傷気味の胃には、中華レストランの看板を見ると暗夜の航海で灯台の光を見つけたような救われた気分になる。今回はまだそこまでいってないけど、うまいなあ、と満足するものが食いたい。

Canal St駅で降りてチャイナ・タウンのはずれにある利口福(GREAT NY NOODLETOWN)へ。ここはスープそばが旨いと聞いていたので、牛モツのそば。うーん、スープはだしがよく効いてコクがあって文句なし。細い麺にも腰がある。モツも臭みはまったくない(外国で食べると、ときどき匂いのうんときついのがあるでしょ)。

小ぶりな丼だったので胃にまだ余裕があり、追加して白身魚の粥を頼んだ。これも小ぶりの器で、コクといい塩味の加減といい、素晴らしくうまい。中華料理は一皿の量が多く、ひとり旅ではもてあますことが多いけど、ここなら問題なし。

ウィンドーには、つるつるの焦茶色に焼きあげられた鴨がいっぱいに吊るされていて、次はこれを試してみたいなあ。

やっぱり、困ったときにはチャイナ・タウン、だったのでした。

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NY日記 3

友人夫婦が住んでいるブルックリンのアパート周辺を案内されて散歩する。

僕はブルックリンをほとんど知らない。過去に来たとき、ブルックリン橋を歩いて渡り、橋周辺を歩いてお茶を飲んだくらい。

地下鉄R線DeKalb Av駅近くのウィロビー通りを歩きはじめてすぐ、なんだかマンハッタンとは違うなあという感触を肌に感じる。低層の商店の建物やたたずまいが都会というより、もう少し小さな町の雰囲気といったらいいか(実際には大都会の一角だけど)。

「マンハッタンといちばん違うのは?」と聞いたら、「アフリカ系が多い」という友人の答え。たしかに道行く人々にはアフリカ系が目立つ。デパートのMACY'Sで買い物をしたら、「ここはマンハッタンの店より狭いこともあるけど、品揃えがアフリカ系好み」だそうだ。

通りを一本へだてると、映画によく出てくるブルックリン・ハイツの住宅街。ブラウンストーンの建物と街路樹が落ち着いた空気を醸している。

通りを歩いていて、2人が友人に声をかけてきた。知り合いによく会うというのも、ここがマンハッタンより狭く、それだけ密なコミュニティがあるということなのかも。「エレベーターで知らない人と乗り合わせたとき、マンハッタンでは挨拶しないけど、ここだと笑顔で挨拶する」と友人。

もともとブルックリンはニューヨークとは別の独立した市だった歴史をもっているけど、川1本へだてただけで、やはり空気はちがうんだなと実感する。

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August 01, 2007

NY日記 2

年をとると時差ボケがきつい。若いころから機内では眠れず、軽い時差ボケになっていたけれど、ジジイになると基礎体力が低下しているので、それがいっそうこたえる。

幸いというか、今回は観光が目的ではないので余裕あるスケジュールを組んでおり、今日はオフ。

昨夜は知人夫婦のパーティに顔を出した。着いて早々なのでためらったけど、世話になる人に到着した日に挨拶しておくのが礼儀だろうと思い、ちょっと無理をした。知人は、今日は来ないと思っていたよ、と。

グリニッジ・ビレッジのイタリア料理店。知人の元同僚がリタイアしたのを祝って8人ほどが集まっている。僕もリタイアしたばかりだと知人が紹介すると、「Happy Retirement!」と弾けるような笑顔で乾杯してくれた。

パーティといってもレストランの普通のテーブルで、ハウスワイン、トマトにモッツァレラ・チーズのサラダにそれぞれが好みの一品、という質素なもの。2時間ほどいて、10時すぎに失礼した。土曜の夜、ビレッジはここだけ別世界のように人でいっぱい。

今日は一日、部屋でごろごろしている。近くのデリで野菜とチリ・ビーンズを買ってきて朝食を取り、ベッドで一日、うつらうつら。昨日と同じように蒸し暑く、空には重い雲が立ち込めている。

しばらく眠っては起きる浅い眠りから覚めると、雨が降っている。窓のガラスをすっと下ってゆく雨滴の向こうに、何かの工場だろうか飾り気もなく人の気配もない2棟のビルがいっそう薄汚れて見える。45丁目のこのあたりは、午後というのに人通りが少ない。閉めきった窓を通して、ときおり車の騒音、パトカーの鋭いサイレンが聞こえる。

そんな淋しい風景をぼーっとした頭で小1時間ほども眺めていた。いままでの旅行なら時差ボケなど無視してどんどん動いていたけど、無為に過ごすこういう時間も悪くないかも。

いつのまにかまた眠っていて、目がさめたら午後6時だった。

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