『ボルベール<帰郷>』のオナラの匂い
ライムンダ(ペネロペ・クルス)が姉・ソーレ(ロラ・ドゥエニャス)のアパートを訪れる。ソーレは伯母の葬儀で故郷のラ・マンチャへ帰郷したとき、死んだはずの母・イレネ(カルメン・マウラ)の幽霊が現れると聞き、彼女の前に姿を現した母(この時点で観客には彼女が幽霊なのか本物か分からない)を妹には黙ってアパートに住まわせている。妹のライムンダには、母と仲違いしたまま別れてしまった苦い記憶がある。
ライムンダの声にきづいた母のイレネは、あわてて真っ赤なカバーがかかったベッドの下へ隠れる。人の気配を察したライムンダが部屋に入ってくる。ベッドの下では母がいたずらっ子みたいな瞳で、長いこと会っていない娘の足もとをじっと見つめている。ライムンダがつぶやく。「この匂い。まるでママがここにいて、オナラをしたみたい」。
画面から、本当に温かく、懐かしく、臭くもある母親のオナラの匂いがするような気がしたのは僕だけだろうか。その瞬間、僕はこの映画が好きになったのですね。アルモドバルの映画は時に観念や思いこみが過剰で、そんなときは辟易もするのだけど、一方、こんなふうに肌身に染みこんでくる激しい身体性をもっていて、そんなアルモドバルが僕は好きだ。
「ボルベール」というタイトルは、姉妹の(そしてアルモドバル自身の)故郷、ラ・マンチャ地方への帰郷であるとともに、不在だった母の家族への「帰郷」でもあるのだろう。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥー・ハー』につづく「女性讃歌」3部作。女性、特に母性へのオマージュが、かなりのマザコンと想像されるアルモドバルらしいタッチで、イレネとライムンダ、ライムンダと娘のパウラ、2組の母と娘の葛藤と和解を通して語られてゆく。
これまたいかにもアルモドバルらしい、けれん味たっぷりの映像が映画を飾っている。母性を象徴する色としての赤が全編を通して印象的だね。ライムンダが身につけている深紅のカーディガンや赤い花柄のワンピース、名曲「ボルベール」を歌うときの赤白の縦縞のブラウス。ライムンダの娘が着ている真っ赤なドレスやTシャツ。赤いベッドカバー、そして姉妹が帰郷するのに使う赤い乗用車。まるで「赤の映画」と言ってもいいくらいに、赤が氾濫してる。
もうひとつは、丸い「円」。始まりと終わりがある直線ではなく、曲線が円環しているその丸い形は、やはり母性とそれが連綿とつづくさまに見合っていると考えていいんだろう。ライムンダは、いつでも大きな円形のイヤリングをしている。「ボルベール」を歌うときにそのイヤリングがかすかに揺れているショットは、ライムンダが母を許し、娘と心を通わせたことを見る者に伝えてくれる。
なかでも印象に残るのは、ライムンダが料理しているショットだろう。かつて働いていたレストランをオーナーが売り出したのをいいことに、勝手に店開きしたライムンダは、近所で映画を撮影していたクルーの食事を引き受ける(料理もまた母性と関係あることは言うまでもない)。
アルモドバルらしい真上からのショットが丸い皿を捉える。そして料理するライムンダを真上から見下ろしたショット。ペネロペ・クロスの豊かな胸が半円を描いて2つ、見る者を圧倒する。うーむ、とうなるしかない。アルモドバルはこのショットを撮るために彼女を起用したのか、と思えるくらい。
ペネロペ・クロス、僕は彼女がハリウッドで出演した映画をほとんど見てない。この映画の彼女は、娘が自分の夫を刺し殺しても少しもひるまず、おろおろもせず、娘にすべてを忘れるよう命じて自分で死体を処理する。前向きで、ユーモアがあって、強い母。一方、娘として、母・イレネとの苦い記憶をトラウマとしてもちながら、弱さを乗りこえようとする。そんなふうに娘として、また母として揺れる豊かな感情を感じさせて素晴らしい。
男がほとんど「刺身のツマ」程度しか出てこないのも、いかにもアルモドバル。
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