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July 31, 2007

NY日記 1

ニューヨークに来ている。

この街に来たのはほぼ20年ぶり。20年前の1980年代は、ニューヨークの治安がいちばん悪い時期だった。当時なら観光客が足を踏みいれるのをためらった地域、タイムズスクエアから西へ向かいハドソン川に突き当る手前の短期滞在アパートに泊っている。

最初、知らされた住所を訪ねたら、その番地にはなんの看板もなく、住民表示にも宿の名前はなくて、ただ日本人らしき姓が書かれているだけ。おまけに約束の時間を20分すぎても、アパートの玄関に誰も現れない。だんだん不安になってきて、ひょっとしたらニセHPの前金詐欺にやられたかと青ざめた。

約束の時間を30分すぎ、これはニューヨークに住んでいる友人に連絡を取って助けを求めるのがいいかと覚悟を決めたとき、「○さんですか?」と若い女性が現れた。正直、ほっとした。事情を聞いてみると、僕が空港へ着いたとき電話するのを忘れたせいで連絡が遅れ、おまけに彼女自身もなにかの都合で遅れたらしい。

彼女に案内されたのは、3ベッドルームの個人アパートを改装してそれぞれ独立させた「ホテル」。キッチンとバスは共用になる。住民表示は日本人の姓になっているから、普通の個人住宅という体裁で、たぶんもぐりの営業なんだろう。

部屋の窓からは、眼下に煉瓦づくりの古い低層ビルと空地と無機質のオフィスビルの向こうにハドソン川が見える。南には再開発された高層ビルがいくつも建っている。すぐ目の前はガソリンスタンドで、早朝から深夜までイエローキャブがひっきりなしに出入りしている。夜になると、無人の44丁目通りにびっしりとイエローキャブが止まって休憩する。キャブから降りた運転手の影がひとつ、ゆっくりと動いている。

午前3時、時差ボケで眠れずにガソリンスタンドを眺めていたら、深夜の孤独な人々を描いたホッパーの絵が動きだしたような気分になった。

カメラを取り出して写真を撮ったのだけど(むろんホッパーのようにはいきません)、パソコンに接続するケーブルを忘れてきたのでアップできないのが残念。

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July 27, 2007

『傷だらけの男たち』の音楽

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香港ノワールの傑作『インファナル・アフェア』シリーズのアンドリュー・ラウとアラン・マックの新作。うーん、期待してたんだけどなあ。

トニー・レオンと金城武、2人の刑事(元刑事)の友情と対決。男たちの過去と現在の絡み合い。ノワールな空気。『傷だらけの男たち(原題「傷城」)』は『インファナル・アフェア』と似たところの多い映画なんだけど、出来にはかなりの差がある。

その理由のひとつは音楽の使い方にあるんじゃないだろうか。この映画、最初から最後までのべつまくなしに背後に音楽が流れているような印象がある。冒頭では、クリスマスのイルミネーション輝く香港の夜景にジャズ。トニー・レオンと金城武の内面に関わるシーンでは静かなピアノ曲。そしてアクション場面などでは香港ポップス(エイベックスが金を出してるとはいえ浜崎あゆみとは)。

これは僕の勝手な感じ方かもしれないけど、画面の背後に流れる音楽は効果的に使われれば見る者の感情を揺さぶるけれど、のべつまくなしに使われると、見る者にこのショットではこう感じるようにと強い、手早くストーリーを語るための説明的な効果をもってしまうように思う。映画の細部のリアリティは、沈黙のなかでこそ生まれるというのに。

ノワールはともすると音楽を過剰に使いすぎることがあり、最近では『あるいは裏切りという名の犬』がそうだった。久しぶりに面白いフレンチ・ノワールではあったけど、もう少し沈黙が欲しいと感じた映画でもあった。今回もそう。

いまひとつは脚本の問題。なぜ冒頭で富豪を殺害した犯人を明かしてしまったのか。

もちろん、犯人や結末を最初に示してしまう作劇はありうる。高度な作劇と言っていいだろう。昔の映画だけど『ジャッカルの日』では、ド・ゴール暗殺が失敗したことが冒頭に語られるが(彼が暗殺されなかったのは誰もが知ってる)、なおかつ暗殺犯を追う刑事が少しずつ犯人との時間差を詰めていくサスペンスが見事だった。

でも、『傷だらけの男たち』では、最初に犯人を明かしたことを生かす脚本にはなっていなかったように思う。ここはやはり、金城武の私立探偵が動き回るうちに徐々に犯人像が浮かびあがるという正統派サスペンスのほうがよかったんじゃないだろうか。そうでないと、プロローグでトニー・レオンが衝動的に行動する意味も生きてこない。

香港ノワールの常連、チャップマン・トゥももう少し濃密に絡んでくるのかと思ったら拍子抜け。期待が大きかっただけにがっかりして映画館を出た。

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July 16, 2007

『ボルベール<帰郷>』のオナラの匂い

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ライムンダ(ペネロペ・クルス)が姉・ソーレ(ロラ・ドゥエニャス)のアパートを訪れる。ソーレは伯母の葬儀で故郷のラ・マンチャへ帰郷したとき、死んだはずの母・イレネ(カルメン・マウラ)の幽霊が現れると聞き、彼女の前に姿を現した母(この時点で観客には彼女が幽霊なのか本物か分からない)を妹には黙ってアパートに住まわせている。妹のライムンダには、母と仲違いしたまま別れてしまった苦い記憶がある。

ライムンダの声にきづいた母のイレネは、あわてて真っ赤なカバーがかかったベッドの下へ隠れる。人の気配を察したライムンダが部屋に入ってくる。ベッドの下では母がいたずらっ子みたいな瞳で、長いこと会っていない娘の足もとをじっと見つめている。ライムンダがつぶやく。「この匂い。まるでママがここにいて、オナラをしたみたい」。

画面から、本当に温かく、懐かしく、臭くもある母親のオナラの匂いがするような気がしたのは僕だけだろうか。その瞬間、僕はこの映画が好きになったのですね。アルモドバルの映画は時に観念や思いこみが過剰で、そんなときは辟易もするのだけど、一方、こんなふうに肌身に染みこんでくる激しい身体性をもっていて、そんなアルモドバルが僕は好きだ。

「ボルベール」というタイトルは、姉妹の(そしてアルモドバル自身の)故郷、ラ・マンチャ地方への帰郷であるとともに、不在だった母の家族への「帰郷」でもあるのだろう。『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥー・ハー』につづく「女性讃歌」3部作。女性、特に母性へのオマージュが、かなりのマザコンと想像されるアルモドバルらしいタッチで、イレネとライムンダ、ライムンダと娘のパウラ、2組の母と娘の葛藤と和解を通して語られてゆく。

これまたいかにもアルモドバルらしい、けれん味たっぷりの映像が映画を飾っている。母性を象徴する色としての赤が全編を通して印象的だね。ライムンダが身につけている深紅のカーディガンや赤い花柄のワンピース、名曲「ボルベール」を歌うときの赤白の縦縞のブラウス。ライムンダの娘が着ている真っ赤なドレスやTシャツ。赤いベッドカバー、そして姉妹が帰郷するのに使う赤い乗用車。まるで「赤の映画」と言ってもいいくらいに、赤が氾濫してる。

もうひとつは、丸い「円」。始まりと終わりがある直線ではなく、曲線が円環しているその丸い形は、やはり母性とそれが連綿とつづくさまに見合っていると考えていいんだろう。ライムンダは、いつでも大きな円形のイヤリングをしている。「ボルベール」を歌うときにそのイヤリングがかすかに揺れているショットは、ライムンダが母を許し、娘と心を通わせたことを見る者に伝えてくれる。

なかでも印象に残るのは、ライムンダが料理しているショットだろう。かつて働いていたレストランをオーナーが売り出したのをいいことに、勝手に店開きしたライムンダは、近所で映画を撮影していたクルーの食事を引き受ける(料理もまた母性と関係あることは言うまでもない)。

アルモドバルらしい真上からのショットが丸い皿を捉える。そして料理するライムンダを真上から見下ろしたショット。ペネロペ・クロスの豊かな胸が半円を描いて2つ、見る者を圧倒する。うーむ、とうなるしかない。アルモドバルはこのショットを撮るために彼女を起用したのか、と思えるくらい。

ペネロペ・クロス、僕は彼女がハリウッドで出演した映画をほとんど見てない。この映画の彼女は、娘が自分の夫を刺し殺しても少しもひるまず、おろおろもせず、娘にすべてを忘れるよう命じて自分で死体を処理する。前向きで、ユーモアがあって、強い母。一方、娘として、母・イレネとの苦い記憶をトラウマとしてもちながら、弱さを乗りこえようとする。そんなふうに娘として、また母として揺れる豊かな感情を感じさせて素晴らしい。

男がほとんど「刺身のツマ」程度しか出てこないのも、いかにもアルモドバル。

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July 11, 2007

アートの宿

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那須の板室温泉に行ってきた。あいにくの梅雨空、那珂川が朝霧に煙っている。

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露天風呂は濃い緑に囲まれて、全身が緑に染まるような気がする。

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宿泊した大黒屋は「アートの宿」として有名。館内のロビーや廊下、客室に現代アートが飾られている。この日は菅木志雄新作展が開催されていた(7月30日まで)。


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July 05, 2007

花 3つ

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雨のなかに咲いた木槿(むくげ)。木槿にはいろんな色と模様があるけど、僕はこの白い花の中心に紅い芯があるやつが好き。10年ほど前に苗木を買ってきた。韓国では無窮花(ムグンファ)と呼ばれ国花になっている。

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ドウダンツツジの上に落ちてきたノウゼンカズラの花

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今年は十数年ぶりにミニ菜園をやっている。初めてつくっているゴーヤの花。

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July 03, 2007

ESCOLTAの初ライブ

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友人夫婦の息子、吉武大地君がメンバーに加わっているグループ「ESCOLTA」の初ライブに行く(7月2日、六本木・スイートベイジル)。

ESCOLTA(エスコルタ。英語のエスコート)は、クラシック、ミュージカル、R&Bなど異ジャンルの男性ボーカリスト4人で結成されたグループ。谷川俊太郎、阿木曜子、石田衣良といったこれまた異ジャンルの人たちが作詞し、五木田岳彦が作曲したオリジナル曲を中心にレパートリーを組んでいる。

大地君は画家と声楽家夫婦の息子だけど、高校までは絵画にも音楽にも興味を示さずテニスに熱中していた。ところが3大テノールの舞台を見たことから声楽を志し、音楽大学を出てイタリアに留学し、あっという間にオペラ歌手としてデビューした。僕は彼を4、5歳のころから知っているから、初めてのオペラで準主役をもらった「魔笛」の舞台を見たときは自分の子供のこと以上に嬉しくて涙が出た。

「ESCOLTA」はポップスとクラシックの要素、ソロをつないでいく部分とアンサンブルがうまく絡み合って独特のフィーリングを出している。ひとりだけバリトンの大地君はグループのアンサンブルを底のところで支えていた。イケメン4人組とあって、早くも若い女性ファンが詰めかけてる。


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July 02, 2007

追悼 エドワード・ヤン

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エドワード・ヤンが亡くなった。59歳。結腸ガンの合併症だったという。

『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)以来、新作の噂が聞こえてこなかったから、台湾の監督はホウ・シャオシェンも同じだけど、資金集めに苦労してるんだろうなあと思ってたら、ガンだったとは。早すぎる死、同世代としては辛い。

エドワード・ヤンは1986年につくった『恐怖分子』がカンヌ映画祭で評判になり、ホウ・シャオシェンと並ぶ「台湾ニュー・ウェーブ」の旗手になった。80年代から90年代前半にかけて、ヤンが『クーリンチェ少年殺人事件』『エドワード・ヤンの恋愛時代』、ホウ・シャオシェンが『童年往事』『悲情城市』など競うように傑作をつくって世界中の映画祭の賞をさらった時代が懐かしい。

台湾で青春アイドル映画をつくっていたホウ・シャオシェンにとって、アメリカで映画を学んで帰国し、斬新な手法で都会的な映画をつくったエドワード・ヤンはライバル以上の大きな刺激だったろう。特にしゃれた現代劇については、エドワード・ヤンはいつもホウ・シャオシェンに先行していた。

ただその後、ホウ・シャオシェンが自分のスタイルを純化させて、少数のファンはともかく大量の観客動員はむずかしい場所に突っ込んでいったのに対し、ヤンの最後の作品『ヤンヤン 夏の想い出』は、ホウ・シャオシェンの初期の佳作『冬冬の夏休み』にも似て、素直でほのぼのとした作品に仕上がっていたのが印象的だった。

対照的な2人の足跡。中国のチャン・イーモウのように、エドワード・ヤンもやがて台湾の「国民的映画」をつくる「国民的監督」になるのかと期待していたのだけど。もう彼の映画が見られないのかと思うと寂しい。

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