« May 2007 | Main | July 2007 »

June 28, 2007

吉武研司展

070628w

友人の画家・吉武研司さんの個展に行く(銀座・みゆき画廊、6月30日まで)。

吉武さんの絵には、いよいよカラフルな自然が氾濫するようになった。植物の緑と黄の時代がしばらく続いていたけど、今回は「お日さま」の赤とピンクが印象に残る。独特の細かいタッチで、生命あるものの豊饒がぎっしりとキャンバスに詰まっている。キャンバスだけでなく、陶板や銅版画も。

「お日さまの話」という版画が素晴らしく、思わず予約してしまった。アクリルのマグネット(手前)も、冷蔵庫の扉のメモ留め用に。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 25, 2007

梅雨空のノウゼンカズラ

070625w

梅雨空にノウゼンカズラがいっぱいに咲いている。15年ほど前、庭の木の根元に小さな苗を植えたのが、今では蔦をからめた母屋の木を圧倒して成長し、毎年、この季節に花を咲かせる。

官能的な色がちょっと妖しげで、庭木としてはそれを嫌う人もいるけど、高いところからぽとりと花が落ちてくると、グラスにいれてしばらく机の上に置いておく。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 20, 2007

路上カフェ

070620w

新宿へ出て森山大道写真展「上海」(プレイスM・~6月24日)を見、紀伊国屋で本を買って駅へ向かうと路上カフェがオープンしていたのでひと休み。陽も傾いて暑さもやわらぎ、さわやかな風が顔に気持ちよい。

熱い上海をクールに撮った森山大道の写真を反芻し、買ったばかりの池澤夏樹の短編をひとつ読む。「都市生活」というタイトルの小説だけど、こういう「都市生活」も悪くない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

June 18, 2007

『パッチギ! LOVE&PEACE』の確信犯ぶり

Photo_27

『パッチギ!』は青春映画+音楽映画+活劇+コメディ+社会派といった色んな要素をごっちゃに詰め込んだ荒パワフルなエンタテインメントだったけど、続編の『パッチギ! LOVE&PEACE』は第1作にも増してこてこてで、そこまでやるかと思いつつも、思いこみの激しさとほとばしるエネルギーに、不満は多々あれどはまってしまう。

設定は第1作から5年ほど後、舞台は京都から東京の下町(江東区枝川)にあるコリア・タウンに移っている。前作は日本人の男の子と在日朝鮮人の女の子キョンジャの恋が中心になってたけど、今回は兄アンソン(井坂俊哉)と妹キョンジャ(中村ゆり)の兄妹2人のそれぞれの生き方が軸になっている。

こてこて、その1。井筒和幸監督の活劇へのこだわりは、冒頭に国鉄駅での乱闘シーンをもってきたことでもわかる。国労・動労が戦闘的だった1974年、左翼のスローガンが殴り書きされた京浜東北線の電車が駅に入ってきて、アンソンら在日朝鮮人と国○舘高校の突っ張りとの乱闘がはじまる(僕は埼玉県川口の育ちで、小学校の同級生には朝鮮高校に入った友人も国○舘の友人もいたから、これに近いことが赤羽や池袋の駅でよくあったことは知っているし、現場にいあわせたこともある)。

それにしても、白昼堂々、延々とつづく乱闘の傍若無人ぶりは、あんまりじゃないだろうか? いくら70年代だといっても、これほど長時間乱闘してれば、駅員や鉄道公安がやってくる。でもそんな現実性を無視したむちゃくちゃな確信犯ぶりは、第1作で高校生たちがバスを横転させてしまったシーンと同様、ありえないシーンをあえてつくることで、この映画はリアリズムじゃないんだからね、と宣言しているように思える。

第1作では、日本人の男の子がキョンジャに恋して在日の世界に入っていくという設定で、あくまで日本人の視線から物語が進行していた。第2作でも佐藤(藤井隆)という元国鉄職員が兄妹と仲良くなって行動を共にするのだけれど、佐藤はあくまで傍観者で、アンソンとキョンジャそれぞれの物語がそれぞれの視線から同時並行して語られる。

映画全体の視線が第1作はあくまで日本人の側にあったのに対して、今回の作品は在日の物語として描かれている。そんなさりげない視線の変更も、「日本映画」としてはちょっとした決断だったにちがいない(脚本は井筒和幸と羽原大介。『血と骨』はほとんど在日しか出てこない映画だったから、日本人の視線ははじめからありえなかった)。

こてこて、その2。アンソンと死んだ妻の間には小さな息子がいて、筋ジストロフィーという難病であることが分かる。大人になるまで生きられるか分からない息子の手術費用を捻出するために、アンソンは犯罪まがいの行為に手を染める。父子ものの要素に加えて、はやりの難病ものまで取り込んで、それは反則でしょと言いたくなるけど、まあここまで確信犯的に徹底すればあっぱれと言うしかないか。

こてこて、その3。在日朝鮮人を主人公にしたことで『パッチギ』は社会派的な要素をかかえこんだけれど、第2作ではそれがさらに徹底されている。ひとつは、兄妹の親の世代がなぜ故郷の済州島から大阪に来なければならなかったかを描いて、2世代にわたる年代記にしていること。もうひとつは、今も通名(日本人名)で活動している芸能人、スポーツ選手に向けて、みんなカミングアウトして本名で生きようよ、とストレートなメッセージを送っていること。

こてこてついでにもうひとつ、女優になったキョンジャが出演する映画が「キミを守るために死んでいきます」的な戦争映画。キョンジャがそれをコケにすることで、最近はやりの「美しい戦争映画」に砂をかけているのも、昔の中島貞夫や鈴木則文の挑発的な映画を見ているみたいだった。

| | Comments (2) | TrackBack (6)

June 03, 2007

4つの展覧会

この2週間ほどで美術展をたてつづけに4つ見たので、その覚えを短くメモしておこう。

「渋澤龍彦 幻想美術館」(埼玉県近代美術館)

 渋澤龍彦が惚れ込んだり、興味を持ち、著作のなかで言及しているアーチストの作品を一同に集めた、渋澤龍彦の「脳内美術館」。

 アルチンボルド、デューラー、ピラネージ、サド侯爵、マグリット、ダリ、バルテュス、ベルメール、ヘルムート・ニュートン、若冲、酒井抱一、伊藤晴雨、瀧口修造、土方巽、細江英公、川田喜久治、金子國義、合田佐和子、四谷シモンなどなど。

 近世から現代、ヨーロッパから日本まで、かつて「異端」と言われた100人近い画家、美術家、写真家、人形師…の300点の作品は壮観。僕も渋澤龍彦の本で初めて知った名前が何人もある。今はメジャーになった美術家も多いけど、それだけ彼の影響力が大きかったってことだろう。

 それにしてもこれだけの作品を国内で集められるんだから、この展覧会みたいにキュレーターの腕次第でいろんな面白い試みができるはず。

龍彦が渋澤栄一(埼玉出身)の血筋だとは知らなかった。彼は湘南というイメージが強いけど、その縁で埼玉近美が企画したらしい。

「若冲展」(京都・相国寺承天閣美術館)

 明治期、廃仏毀釈で危機に陥った相国寺が宮内庁に当時の金で1万円という大金で買い上げてもらった若冲の「動植綵画」30点が里帰りした展覧会。「動植綵画」とセットになっていたが、これだけは寺が手放さなかった「釈迦三尊像」を中央に、120年ぶりに完全な形で展示されている。

 以前に宮内庁三の丸尚蔵館で数点見たことはあるけど、全点そろうとさすがに壮観。熱心な仏教信者だった若冲が「山川草木悉皆成仏」(山川草木、あらゆる動植物が仏になりうる)という日本仏教固有の思想を具現するために描いたのがよく分かる。一連の鶏図はすごいの一言。

 同時に若冲が金閣寺に描いた障壁画も展示されている。2点ほど、床の間、脇壁、違い棚奥の壁などが一体になった作品が、部屋のまま立体的に展示されていて、なるほど実際にはこう見えるのかと納得。芭蕉や棕櫚が題材に選ばれているのは、当時の「南方憧憬」なんだろうか。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像」(東京国立博物館・6月17日まで)

 目玉は「受胎告知」1点のみで、あとはお飾り。ほかの作品をデジタル高精細複写で再現したり、ダ・ヴィンチが書いた「手稿」をもとにいろんな装置を再現してるんだけど、まあおまけみたいなもの。「受胎告知」1点では「モナリザ」ほどの集客を見込めないからだろうけど、満足感は薄い。予想したほど並ばずに見られたのはよかったけど。

「須田剋太展」(うらわ美術館・6月24日まで)

 戦後、抽象画家として一家をなし、晩年に具象に転じて、司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズの挿画でも知られる画家の生涯を見渡せる展覧会。

 須田の具象絵画には、ゴッホを思わせるような独特の視覚の歪みがある。彼が東京美術学校(東京芸術大学)の試験を4度も落ちたのは、「デッサンが正確でなかった」ためらしい。その「正確でない」ところが、そのまま彼の絵の個性になっているんだから面白い。彼には、確かにこういうふうに風景や人が見えたんだろうな。

 僕は生前の須田画伯のアトリエに一度だけ入ったことがあるけど、売れなかった抽象時代の作品が無造作に山のように積み重ねられていた。ドンゴロスに絵の具を盛り上げた、荒々しい質感をもった抽象の代表作を見られたのが嬉しい。

 

| | Comments (0) | TrackBack (1)

« May 2007 | Main | July 2007 »