ギドクはギドク ~『鰐』など
初期のキム・ギドクの映画を3本まとめて見ることができた(ユーロスペース)。処女作の『鰐』(1996)、2作目の『ワイルド・アニマル』(1997)、そして5作目の『リアル・フィクション』(2000)。
彼はかつてインタビューに答えて、自分の映画はそれぞれが長い1本の映画の一部なのだといった意味のことを語っていたと記憶する。商業的要請に応じて映画を撮ったことがないギドクにとって、たしかに1本1本が少しずつテイストを変えながら同じテーマ系を変奏し、全体として「ギドク・マンダラ」を形づくっていることが、全作品を見ると納得できる。
3本のなかでいちばん興味深かったのは『鰐』だった。処女作にはその作家のすべてが詰まっている、とよく言うけれど、『鰐』の場合も例外ではなかった。
ファースト・シーンからうなってしまう。夜、ソウル市内を流れる漢江の水面に、ネオンや車のライトが映ってゆらめくショット。男(チョ・ジェヒョン)が服を脱いで岸辺に立ち、水中に飛び込んでまるで水棲動物のように自在に泳ぎまわる。
ギドクのファンなら先刻承知のことだけど、「水」は映像的にもテーマ系としてもギドクが最もこだわっているもののひとつ。彼の作品の大半は海辺、川岸、湖といった「水」の周辺で展開されるし、屋内シーンでも水槽をはじめとする「水」が印象的に使われている。固定した形も色ももたず、それを入れる器の条件に応じてさまざまな形と色の間で揺れうごく「水」の流動性が、ギドクを引きつけるんだろうか。
そして水棲動物のような「鰐」を演ずるチョ・ジェヒョン。『悪い男』でギドク映画の究極のヒーローとなる彼が、そこに至る序章のように、短髪で短気で突っ張らかっていて、そのくせ喧嘩にからきし弱い、『悪い男』のハンギと同一人物といっても通るようなキャラクターで登場する。
「鰐」と呼ばれるジェヒョンは、漢江に身投げする男女から水中で財布をかすめとって生きているホームレスのチンピラ。身投げした女(ウ・ユンギョン)を助けて乱暴し、強引に自分の女にしてしまうあたりも、『悪い男』そっくりだ。さらに、自分の女にした瞬間から、逆に女に手を出せなってしまうあたりも共通している。これは多分ギドクの女性に対する思いを反映していて、女性に対するアンビヴァレントな欲望と憧憬が隠されているんだろうか。
僕がギドクの映画を見ていていちばん興奮するのは、リアルな映画のふりをして始まった物語が、あるとき突然にリアルを通り越して非現実へと反転してゆく瞬間だ。
この映画なら、「鰐」が人間とは思えないほど長時間水中に潜り、ある男から奪った写真を、壁に見立てた水中の橋桁にかけ、そこに安息の空間をつくりだすシーンがそれに当たる。そこにはやがてソファも据えられる。地上に居場所のない「鰐」は、この水中の空間ではじめて安息を得ることができる。
(以下、ネタバレです)この水中の空間が、やがて素晴らしいラスト・ショットとして最後に登場する。さざ波の揺らめきを通して展開される、「鰐」がソファで意識を失った女と自分の手首を手錠でつないで心中(?)してゆくショットの美しさは長く記憶に残るだろう。
いったんはめた手錠を気が変わってはずそうとジタバタし、それができずに死んでゆくあたりも、『鰐』から『悪い男』へと重なるチョ・ジェヒョンのキャラクターにふさわしい。僕は、いったん火をつけた爆薬をあわてて消そうとしてかなわず、青い海を見ながら乾いた爆発音を残して死んでいった『気狂いピエロ』のJ.P.ベルモンドを思い出してしまった。
ほかにも青く塗られた亀の甲とか、水中でふくらませる風船の艶っぽさとか、ホームレス疑似家族の住まいの背後に描かれた絵の好みとか、「鰐」をスケッチする女とか、水に映ったエロティックなラブシーンとか、いかにもギドクらしい小道具や設定があちこちに出てくる。『悪い女』や『魚と寝る女』で自分のものとする彼のスタイルはまだ途上で、部分的に画面の露出不足が目についたりもするけど、ここには早くも「ギドク印」がしっかりと刻印されている。
一方、『ワイルド・アニマル』では、チョ・ジェヒョンがややコミカルな役どころを演じている(からきし喧嘩に弱いのはおんなじ)。ギドク監督のパリ放浪時代を素材にしたこの映画で、ジェヒョン演ずる小心でドジでこすからい主人公はギドク監督の自画像にいちばん近いのかもしれない。
とすると、『鰐』や『悪い男』のジェヒョンはギドク監督の、こうありたい内面の欲望なのかもしれない。この映画は、冷凍した鯖を腹に突き立てるなど、ところどころにギドクらしさはあるけど、2人の男の友情物語やノワールふうな展開など、全体として「普通の映画」に近い。
もう1本の『リアル・フィクション』は、フィルムとデジタルのカメラ18台を使い4時間弱ですべてを撮ったという実験映画。ほとんどドキュメンタリーのように撮った劇映画(リアル・フィクション)だから、ギドクらしい美術に凝った画面は少なく、彼には珍しく手持ちカメラのぐらぐらした映像が多用されている。ストーリーはギドクらしい妄想の復讐物語なんだけど、いつもと違うスタイルで撮られているので、ほかの作品のように濃密な「ギドクを見てしまった」という満足感は薄い。
ただ、主人公を追ってデジタル・カメラを回す女性が登場する。このカメラを持った女性はいわばキム・ギドク監督の分身と考えていいんだろうけど、その女を最後に殺してしまうあたりに、ギドクの過激な実験への意志が見てとれる。
2作目の『ワイルド・アニマル』と、『魚と寝る女』と『受取人不明』の間に撮られた『リアル・フィクション』は、見ていてキム・ギドクが意識して自分のスタイルを変えようとした気配を感ずる。それは完成度ということでは、必ずしも成功しなかった。
つまり、ギドクは処女作の『鰐』で、すでに自分の「質(たち)」に出会っていたということだろう。『リアル・フィクション』を間奏にはさんで、以後のギドクは『悪い女』から『悪い男』へと、自分のスタイルにこだわって次々に傑作を連発してゆく。
この初期の2本の試行錯誤に比べれば、『春夏秋冬そして春』以後の変貌は、成熟したギドクの自然な変化と見ていいような気がする。
キム・ギドクは最初からキム・ギドクだったのだ。
Comments
こんにちは。
ご覧になれてよかったですね。
私は、リアル・フィクションが観られませんでした。
鰐は全般的には好みではなかったものの、ラストシークエンスには感激でした。
処女作から、こんなに素晴らしい水映像を作り出していたなんて。
チョ・ジェヒョンも実にいい俳優だと改めて思いました。
>『気狂いピエロ』のJ.P.ベルモンド
なるほど!
Posted by: かえる | May 22, 2007 10:59 AM
そういえば、ベルモンドは爆薬をまきつける前に、顔に青だか黄だかのペンキを塗ってましたよね。ギドクとゴダールはあまり結びつきませんが、ラスト・シーンで甲を青く塗られた亀が画面を漂うのは、ギドクなりのオマージュだったのかもしれませんね。
Posted by: 雄 | May 25, 2007 06:01 PM