『ブラックブック』の政治と性
鏡の前に座ったレジスタンスの女(カリス・フォン・ハウテン)がドレスの裾をたくしあげ、筆を使ってアンダーヘアをブロンドに染めている。おまけのようにしてただ画面に映っているのじゃなく、アンダーヘアが画面の中心になっている、息をのむようなショット。同志の男が部屋に入ってきて、それは敵のためにやっているのかと彼女をからかう。
強烈なエロティシズムと政治。ポール・バーホーベン監督が23年ぶりにハリウッドからオランダに帰ってつくった『ブラックブック』を象徴するシーンだね。主役のカリスが惜しげもなくヌードを披露してエロティシズム満載の映画だけど、なによりこのシーン一発で、映画は記憶にも歴史にも残る。
女はこのシーンで、二重に変貌を遂げている。ラヘルというユダヤ的な名前を捨ててエリスへ。ブルネットからブロンドへ。ブルネットのユダヤ系歌手ラヘルは、ブロンドのエリスになることによってナチの将校ムンツェ(セバスチャン・コッホ)を誘惑して情報を取る任務を与えられたのだ。
映画は快調なテンポで進む。『トータル・リコール』『氷の微笑』といったいかにもハリウッド的なエロティシズムとバイオレンスあふれた映画づくりを得意とするバーホーベンらしく、小気味いいストーリー・テリング、次々に仕掛けられる見せ場と謎とどんでん返しで、144分という長さをまったく感じさせない。ハリウッドで鍛えた、見事といえば見事な腕前。
そんなハリウッド映画の話法で語られるのは、対照的にいかにもヨーロッパ映画ふうな主題。ハリウッド的に単純な善玉悪玉は悪辣なナチ将校を除いて1人も出てこず、誰もが複雑な影を背負っている。
登場するレジスタンスも英雄としては描かれていない。リーダーのヘルベン(デレク・デ・リント)は、大義名分をぶちながらも捕らえられた息子を救うことを最優先に考えている。何人ものレジスタンスが同志を裏切ってナチに通じている。その内部でも、穏健派対武闘派、オランダ人対ユダヤ人、ナショナリスト対コミュニストといった複雑な対立を抱えている。
ナチ占領下のオランダ。ナチとレジスタンスの戦いと、エリスとムンツェの恋物語が、複雑にからまった2本の糸のようによりあわされるなかで、戦争の時代を生きた彼らの生と死が浮かび上がってくる。
バーホーベン監督はこの映画のことを「史実に着想をえたスリラー」と呼んでるけど、こういう政治ミステリーは、確かにハリウッドではなかなか撮れなかったろう。ヨーロッパ映画的な主題と、にもかかわらず手に汗にぎるハリウッドの話法がひとつになって、なんとも不思議なテイストの映画になった。それがこの映画の魅力だね。
僕はヒッチコックの『バルカン超特急』『海外特派員』といった政治スリラーを思い出した。ああいう映画をうんと現代風にしたら『ブラックブック』になるんじゃないかな。ヒッチコックの映画にも、あからさまではないけど随所にエロティシズムが仕込まれているのも共通してるし。
それと同時に、ムンツェ役のセバスチャン・コッホが共通しているせいで、ドイツ映画『善き人のためのソナタ』も思い出してしまう。こちらは社会主義政権下の東独を舞台にした政治メロドラマといったテイストの映画だったけど、これまで語られることのなかった歴史の闇を見つめる映画が、タッチは異なるけどはらはらどきどきのエンタテインメントとして出現してきたのも面白い。
ラストシーン。戦後(1956年)のイスラエルのキブツ。第2次中東戦争勃発を知らせるサイレンが鳴り、不穏な空気が満ちて映画が終わるのも、これは過去の物語ではないという監督のメッセージだろう。
Comments
そうですか、バーホーベン、オランダに戻ったのですか。ルトガー・ハウアーと組んだ『危険な愛』とか思い出せば、バーホーベンらしいリアリズムの復活、ってところでしょうか。ハリウッドもののそれには衒いを感じていたのですが。
というか、オランダらしい、といったほうがよいのかもしれませんね。ブリューゲル(ベルギーですけど)とかボッシュの絵画を思い起こせば。あのあたりの気風のようにも感じます。
DVD出たら観ます(笑)
Posted by: kiku | April 20, 2007 01:40 AM
僕はハリウッド以前のバーホーベンを知らないのですが、そうですか、リアリズムなんですか。「エロスと暴力」のバーホーベンしか知らなかったので、ちょっと新鮮な驚きでした。画面は確かにブリューゲルみたいに深く陰影に富んだ色彩で統一されていました。
Posted by: 雄 | April 20, 2007 02:55 PM