『黒い眼のオペラ』の豊饒
冒頭。身じろぎもせずベッドに横たわる男の傍らで、窓から風が吹きこみ白いカーテンがかすかに揺れている。朝の光が清潔でまぶしい。流れるのはモーツァルト。そんな風景を、ミディアムに固定されたカメラが長回しでじっと見つめる。
そこから一転して、カメラは夜のクアラルンプールに向かう。薄暗い街路や横丁といったスラムにうごめく男たち。彼らの皮膚はじっとり汗ばみ、都会の闇にただよう熱気と湿気が画面から伝わってくる。
豊饒な映画。ツァイ・ミンリャン監督の『黒い眼のオペラ』を一言でいうなら、そんな言葉が浮かんでくる。
その豊饒の中身については、なにがそんなに豊かなのかを挙げるより、逆に欠けているものをリストアップすることで裏側から明らかにできそうだ。
まず、この映画には声がない。主要な登場人物4人が、一言もセリフをしゃべらないのだ。そして彼らには、一人を除いて名前もない。名前がないということは、誰でもありうるということでもある。
不法滞在らしい中国系の男(リー・カンション)。その男と親しくなる、華人食堂で働く中国系の女(チェン・シャンチー)。女が働く華人食堂の女主人もその男に興味を持つ。路上賭博に負けてぼこぼこにされた中国系の男を救って、スラムの部屋に同居させるバングラデシュの男だけがラワンという名前を持っている(これは中国系であるツァイ監督が意識してしたことだろう)。
ラワンは中国系の男を看病するうち、彼にホモセクシュアルな好意をいだきはじめる。外へ出られるまで回復した男は、華人食堂に働く若い女と互いに好意を寄せあうようになる。若い女は植物状態の女主人の息子(冒頭のベッドに横たわった人物。リー・カンションの2役)の世話を、性欲の処理までさせられながら、屋根裏部屋に住んでいる。女主人も中国系の男に興味をもち、彼を追いはじめる。
そういうことが、ひとことのセリフもなしに語られていく。セリフのかわりにあるのは、セックスしながら彼らがあげるうめき声や咳、ため息のようなもの。そして車やバイクの音やクラクションなど絶え間ない街の騒音がひろわれている。街には音楽も流れている。マレーシア歌謡。ヒンドゥー語歌謡。中国のポップス。李香蘭の歌謡曲。モスクから流れてくるコーラン。そしてモーツァルト。
いろんな民族が入り乱れる東アジアの都市の混沌が、そっくりそのまま映画に流れ込んでいる。
スマトラの熱帯雨林火災の煙が、クアラルンプールにまで押し寄せてくる(実際にあった出来事)。若い女はカップラーメンの容器をマスクにして、男とのセックスでは息苦しくなってはずしたりする。バングラデシュの男は黄色い買い物用ポリ袋をマスクにして顔を隠し、彼の部屋から若い女の部屋に行ってしまった中国系の男の喉に、刃物のような缶詰のふたを突きつける。
カップラーメンやポリ袋や缶詰といったチープな「物」たちもまた、柔らかな感触で存在感ある蚊帳や腰巻きといった伝統的なものとともに東アジアの混沌の一部だ。
そしていちばん印象に残るのは、彼らが出入りする廃墟のビル。コンクリートむきだしの何層もの床と柱だけが残り、内部が空洞になった廃屋の底には、沼のように水がたまっている(数年前クアラルンプールに行ったとき、アジア通貨危機のせいで建設途中で放棄されたこんなビルをいくつも見た)。廃墟のなかで中国系の男はバングラデシュの男とともに眠り、中国系の若い女と抱き合う。
1人の男を愛する男と女。かつてのツァイ・ミンリャンなら、バングラデシュの男が中国系の男の喉に刃物を突きつけた瞬間から、悲劇に向かって突っ走りはじめるだろう。
でも、この映画では、そこから一転して幻想的なエンディングが待っていた。英語タイトル「I don't want to sleep alone(原題は黒眼圏)」が、美しいラストの意味をそのまま語っている。男たちが重そうなマットレスを抱えて運ぶシーンが何度も出てくるけれど、それが重要な意味を持っていたことがここまできて分かる。
舞台になっているマレーシアはツァイ・ミンリャンの故郷。おそらく監督は台湾系華僑として、かの地で育ったのだろう。幼いときからなじんだ土地に帰った幸福感が画面全体にあふれている。
ツァイ監督がクアラルンプールの街を撮ったというより、ツァイ監督が据えたカメラにクアラルンプールの街の空気や湿気や色や匂いが勝手に流れ込んできたといった感じのテイストが、「豊饒」という言葉を思い起こさせたんだと思う。
素敵な映画だね。
Comments
こんばんは。例によってTBが不調です。
ホント素敵な映画でしたよね。
雄さんの「豊饒」という表現もしっくりきます。
なんとも味わい深く、見てから何日もたつのに余韻がまた素晴らしく良いなんて。
あの廃墟でのシーンには気に入ったものがたくさんありました。
Posted by: シャーロット | April 15, 2007 07:47 PM
シャーロットさんが書いておられるように、優しくて暖かい余韻を残すのがいいですね。コーヒーのシーンの「いたずら心」もシャオカンらしい不器用さでした。
ラストの蛾は本物だったんですか? あれはCGかなにかかと思って見てました。
Posted by: 雄 | April 17, 2007 09:55 AM
こんにちは。
フィルメックスのQ&Aの時にチェン・シャンチーさんがお話してくれましたが、あの蛾は偶然にああいう動きをしてくれたそうです。
素晴らしいシーンでしたよね。
Posted by: かえる | April 20, 2007 05:44 PM
偶然がああいう素晴らしいシーンをつくりあげてしまう、その力を呼び込むことができるのがツァイ・ミンリャン監督の才能なのでしょうね。
私はラスト・シーン、クストリッツァを思い出しました。
Posted by: 雄 | April 21, 2007 11:18 AM
お久しぶりです。
僕もいつものごとくTBが不調のようです。
たしかに、画面から暖かいまなざしが伝わってくるようでした。
混沌としたクアラルンプールの雰囲気を僕も体感したことがあるのですが、
それを見た当時の情景がよみがえってきました。
Posted by: 現象 | May 13, 2007 10:48 PM
クアラルンプールの温度と湿度と空気の匂いが画面からなまなましく漂ってくるのが、この映画のいちばん素晴らしいところですね。監督の故郷ですから、当然と言えば当然ですが。
Posted by: 雄 | May 14, 2007 04:00 PM