済州島あちこち・3
済州島の西南、仁城里の田園風景のなかに旧日本海軍の航空基地跡が突然現れた。じゃがいも畑、にんにく畑のなかに、こんな格納庫が5、6カ所残っている。
太平洋戦争末期、済州島には約7万の日本軍が集結した。この島は日本本土と朝鮮半島・中国大陸を結ぶ要衝の地で、米軍が沖縄に上陸した後、本土と大陸を分断するために済州島に上陸する可能性があったからだ。
戦争末期、日本軍にはまともな航空機がほとんど残っていなかったから、ここではちゃちな練習機で特攻訓練が行われていたのだろう。
航空基地跡から南へ。この島の観光スポットのひとつ、松岳山の岬には「チャングムの誓い」ロケ地の看板が立ち、本道から来た韓国人や日本人観光客でにぎわっているのだけど、、、
背後の岬には、旧日本海軍が特攻潜水艇「回天」の基地にするために掘った洞窟が並んでいた。
以前、サイパンへ行ったとき、美しいビーチに旧日本軍の艦船や高射砲陣地が無惨な姿をさらしているのを見て、日本はまだ戦争の具体的な後始末すらしてないんだと思ったが、ここや航空基地跡は、これから戦争遺産としてきちんと残す計画が進められているらしい。
洞窟のなかは半ば砂で埋もれていた。
日本軍は済州島に立てこもって米軍を迎え撃つために、島のあちこちに硫黄島のように地下トンネルを掘っていた。硫黄島、沖縄玉砕の後で、日本はポツダム宣言を受諾したから、済州島が戦場になることは避けられた。
当時の島民は20万人。もし米軍が上陸していれば、沖縄と同じように住民を巻き込んでの悲惨な事態が出現したにちがいない。植民地として支配した地で戦闘が行われなかったのは、せめてものなぐさめか。
あつあつのサムゲタン。海の荒塩を使っているせいだろうか、塩味に複雑な味わいがあっておいしい。
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