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April 19, 2007

『ブラックブック』の政治と性

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鏡の前に座ったレジスタンスの女(カリス・フォン・ハウテン)がドレスの裾をたくしあげ、筆を使ってアンダーヘアをブロンドに染めている。おまけのようにしてただ画面に映っているのじゃなく、アンダーヘアが画面の中心になっている、息をのむようなショット。同志の男が部屋に入ってきて、それは敵のためにやっているのかと彼女をからかう。

強烈なエロティシズムと政治。ポール・バーホーベン監督が23年ぶりにハリウッドからオランダに帰ってつくった『ブラックブック』を象徴するシーンだね。主役のカリスが惜しげもなくヌードを披露してエロティシズム満載の映画だけど、なによりこのシーン一発で、映画は記憶にも歴史にも残る。

女はこのシーンで、二重に変貌を遂げている。ラヘルというユダヤ的な名前を捨ててエリスへ。ブルネットからブロンドへ。ブルネットのユダヤ系歌手ラヘルは、ブロンドのエリスになることによってナチの将校ムンツェ(セバスチャン・コッホ)を誘惑して情報を取る任務を与えられたのだ。

映画は快調なテンポで進む。『トータル・リコール』『氷の微笑』といったいかにもハリウッド的なエロティシズムとバイオレンスあふれた映画づくりを得意とするバーホーベンらしく、小気味いいストーリー・テリング、次々に仕掛けられる見せ場と謎とどんでん返しで、144分という長さをまったく感じさせない。ハリウッドで鍛えた、見事といえば見事な腕前。

そんなハリウッド映画の話法で語られるのは、対照的にいかにもヨーロッパ映画ふうな主題。ハリウッド的に単純な善玉悪玉は悪辣なナチ将校を除いて1人も出てこず、誰もが複雑な影を背負っている。

登場するレジスタンスも英雄としては描かれていない。リーダーのヘルベン(デレク・デ・リント)は、大義名分をぶちながらも捕らえられた息子を救うことを最優先に考えている。何人ものレジスタンスが同志を裏切ってナチに通じている。その内部でも、穏健派対武闘派、オランダ人対ユダヤ人、ナショナリスト対コミュニストといった複雑な対立を抱えている。

ナチ占領下のオランダ。ナチとレジスタンスの戦いと、エリスとムンツェの恋物語が、複雑にからまった2本の糸のようによりあわされるなかで、戦争の時代を生きた彼らの生と死が浮かび上がってくる。

バーホーベン監督はこの映画のことを「史実に着想をえたスリラー」と呼んでるけど、こういう政治ミステリーは、確かにハリウッドではなかなか撮れなかったろう。ヨーロッパ映画的な主題と、にもかかわらず手に汗にぎるハリウッドの話法がひとつになって、なんとも不思議なテイストの映画になった。それがこの映画の魅力だね。

僕はヒッチコックの『バルカン超特急』『海外特派員』といった政治スリラーを思い出した。ああいう映画をうんと現代風にしたら『ブラックブック』になるんじゃないかな。ヒッチコックの映画にも、あからさまではないけど随所にエロティシズムが仕込まれているのも共通してるし。

それと同時に、ムンツェ役のセバスチャン・コッホが共通しているせいで、ドイツ映画『善き人のためのソナタ』も思い出してしまう。こちらは社会主義政権下の東独を舞台にした政治メロドラマといったテイストの映画だったけど、これまで語られることのなかった歴史の闇を見つめる映画が、タッチは異なるけどはらはらどきどきのエンタテインメントとして出現してきたのも面白い。

ラストシーン。戦後(1956年)のイスラエルのキブツ。第2次中東戦争勃発を知らせるサイレンが鳴り、不穏な空気が満ちて映画が終わるのも、これは過去の物語ではないという監督のメッセージだろう。


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April 13, 2007

『黒い眼のオペラ』の豊饒

冒頭。身じろぎもせずベッドに横たわる男の傍らで、窓から風が吹きこみ白いカーテンがかすかに揺れている。朝の光が清潔でまぶしい。流れるのはモーツァルト。そんな風景を、ミディアムに固定されたカメラが長回しでじっと見つめる。

そこから一転して、カメラは夜のクアラルンプールに向かう。薄暗い街路や横丁といったスラムにうごめく男たち。彼らの皮膚はじっとり汗ばみ、都会の闇にただよう熱気と湿気が画面から伝わってくる。

豊饒な映画。ツァイ・ミンリャン監督の『黒い眼のオペラ』を一言でいうなら、そんな言葉が浮かんでくる。

その豊饒の中身については、なにがそんなに豊かなのかを挙げるより、逆に欠けているものをリストアップすることで裏側から明らかにできそうだ。

まず、この映画には声がない。主要な登場人物4人が、一言もセリフをしゃべらないのだ。そして彼らには、一人を除いて名前もない。名前がないということは、誰でもありうるということでもある。

不法滞在らしい中国系の男(リー・カンション)。その男と親しくなる、華人食堂で働く中国系の女(チェン・シャンチー)。女が働く華人食堂の女主人もその男に興味を持つ。路上賭博に負けてぼこぼこにされた中国系の男を救って、スラムの部屋に同居させるバングラデシュの男だけがラワンという名前を持っている(これは中国系であるツァイ監督が意識してしたことだろう)。

ラワンは中国系の男を看病するうち、彼にホモセクシュアルな好意をいだきはじめる。外へ出られるまで回復した男は、華人食堂に働く若い女と互いに好意を寄せあうようになる。若い女は植物状態の女主人の息子(冒頭のベッドに横たわった人物。リー・カンションの2役)の世話を、性欲の処理までさせられながら、屋根裏部屋に住んでいる。女主人も中国系の男に興味をもち、彼を追いはじめる。

そういうことが、ひとことのセリフもなしに語られていく。セリフのかわりにあるのは、セックスしながら彼らがあげるうめき声や咳、ため息のようなもの。そして車やバイクの音やクラクションなど絶え間ない街の騒音がひろわれている。街には音楽も流れている。マレーシア歌謡。ヒンドゥー語歌謡。中国のポップス。李香蘭の歌謡曲。モスクから流れてくるコーラン。そしてモーツァルト。

いろんな民族が入り乱れる東アジアの都市の混沌が、そっくりそのまま映画に流れ込んでいる。

スマトラの熱帯雨林火災の煙が、クアラルンプールにまで押し寄せてくる(実際にあった出来事)。若い女はカップラーメンの容器をマスクにして、男とのセックスでは息苦しくなってはずしたりする。バングラデシュの男は黄色い買い物用ポリ袋をマスクにして顔を隠し、彼の部屋から若い女の部屋に行ってしまった中国系の男の喉に、刃物のような缶詰のふたを突きつける。

カップラーメンやポリ袋や缶詰といったチープな「物」たちもまた、柔らかな感触で存在感ある蚊帳や腰巻きといった伝統的なものとともに東アジアの混沌の一部だ。

そしていちばん印象に残るのは、彼らが出入りする廃墟のビル。コンクリートむきだしの何層もの床と柱だけが残り、内部が空洞になった廃屋の底には、沼のように水がたまっている(数年前クアラルンプールに行ったとき、アジア通貨危機のせいで建設途中で放棄されたこんなビルをいくつも見た)。廃墟のなかで中国系の男はバングラデシュの男とともに眠り、中国系の若い女と抱き合う。

1人の男を愛する男と女。かつてのツァイ・ミンリャンなら、バングラデシュの男が中国系の男の喉に刃物を突きつけた瞬間から、悲劇に向かって突っ走りはじめるだろう。

でも、この映画では、そこから一転して幻想的なエンディングが待っていた。英語タイトル「I don't want to sleep alone(原題は黒眼圏)」が、美しいラストの意味をそのまま語っている。男たちが重そうなマットレスを抱えて運ぶシーンが何度も出てくるけれど、それが重要な意味を持っていたことがここまできて分かる。

舞台になっているマレーシアはツァイ・ミンリャンの故郷。おそらく監督は台湾系華僑として、かの地で育ったのだろう。幼いときからなじんだ土地に帰った幸福感が画面全体にあふれている。

ツァイ監督がクアラルンプールの街を撮ったというより、ツァイ監督が据えたカメラにクアラルンプールの街の空気や湿気や色や匂いが勝手に流れ込んできたといった感じのテイストが、「豊饒」という言葉を思い起こさせたんだと思う。

素敵な映画だね。

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April 12, 2007

済州島あちこち・4

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南海岸の中心地、西帰浦(ソギポ)風景。手前の民家は、貧窮のなかで死んだ現代画家、イ・ジュンソプ(1916~1956)が1坪の部屋を間借りしていた家(保存されている)。イは戦前、東京に留学(当時は朝鮮も「日本」だけど)し、日本人と結婚。敗戦の年に帰国して、働きながら前衛的な絵を描いた。70年代から再評価が進み、この民家の上に美術館が建てられている。

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島で最古の木造建築、観徳亭の朝。済州市の中心部にあり、李朝時代に兵士の訓練場として建てられたもの。

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観徳亭の近く、西門市場の唐辛子屋。ここで海水から採った塩(にがりが効いている)と韓国海苔を買った。

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済州島はシャーマニズムの島だけあって、占いが盛ん。卍のマークと赤旗が占い師の印で、町のあちこちにある。女性たちは、なにか悩みごとがあるとちょっと占ってもらうのだそうだ。

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うにとワカメのスープ。あっさり味。辛い食事に飽きたときにはこれがいい。うにが口のなかでとろける。

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April 11, 2007

済州島あちこち・3

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済州島の西南、仁城里の田園風景のなかに旧日本海軍の航空基地跡が突然現れた。じゃがいも畑、にんにく畑のなかに、こんな格納庫が5、6カ所残っている。

太平洋戦争末期、済州島には約7万の日本軍が集結した。この島は日本本土と朝鮮半島・中国大陸を結ぶ要衝の地で、米軍が沖縄に上陸した後、本土と大陸を分断するために済州島に上陸する可能性があったからだ。

戦争末期、日本軍にはまともな航空機がほとんど残っていなかったから、ここではちゃちな練習機で特攻訓練が行われていたのだろう。

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航空基地跡から南へ。この島の観光スポットのひとつ、松岳山の岬には「チャングムの誓い」ロケ地の看板が立ち、本道から来た韓国人や日本人観光客でにぎわっているのだけど、、、

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背後の岬には、旧日本海軍が特攻潜水艇「回天」の基地にするために掘った洞窟が並んでいた。

以前、サイパンへ行ったとき、美しいビーチに旧日本軍の艦船や高射砲陣地が無惨な姿をさらしているのを見て、日本はまだ戦争の具体的な後始末すらしてないんだと思ったが、ここや航空基地跡は、これから戦争遺産としてきちんと残す計画が進められているらしい。

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洞窟のなかは半ば砂で埋もれていた。

日本軍は済州島に立てこもって米軍を迎え撃つために、島のあちこちに硫黄島のように地下トンネルを掘っていた。硫黄島、沖縄玉砕の後で、日本はポツダム宣言を受諾したから、済州島が戦場になることは避けられた。

当時の島民は20万人。もし米軍が上陸していれば、沖縄と同じように住民を巻き込んでの悲惨な事態が出現したにちがいない。植民地として支配した地で戦闘が行われなかったのは、せめてものなぐさめか。

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あつあつのサムゲタン。海の荒塩を使っているせいだろうか、塩味に複雑な味わいがあっておいしい。

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済州島あちこち・2

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済州島はシャーマニズムが生きている島だ。島の東北部にある新村里。集落の守護神を祀る本郷堂の中心には、樹齢400年の榎の大樹が枝を伸ばしている。この神木に色とりどりの布を結んで願をかけ、ムーダン(巫女)を中心に女たちが祈りをささげる。

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この島は全体が、中央にそびえる火山の漢拏(ハンラ)山と、その溶岩がつくった台地からできている。だから薄い表土の下は火山岩だらけ。畑にするために掘り起こした火山岩を、周囲に風よけのために積み上げている。石垣のある、済州島の典型的な風景。

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済州島は海女の島でもある。東海岸、村の海女たちが経営している食堂で食べた、あわびの粥。緑色をした腸のスープに、柔らかく煮込んだあわびが絶品。

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やはり海女のおばあちゃんが焼いてくれた、ヨモギのチジミ。苦みがなんとも言えない春の味。

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城邑民俗村。李氏朝鮮時代の農村がそのまま残っている。ここがユニークなのは、文化遺産をただ保存しているのではなく、実際に村人が住んでいるところ。

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炊事場の天井。しっくいに木の梁が美しい。

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これは何でしょう? 答えはトイレ。右側の石の隙間から用を足すと、飼っている黒豚がすぐにそれを食べてくれる。きわめてエコロジカルな循環! ただし、現在は別にトイレをつくっているそう。


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April 09, 2007

済州島あちこち・1

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韓国の済州島へ出かけた。桜が満開。菜の花やレンギョウも咲きみだれている。済州市の三姓穴(サムソンヒョル)で。

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ここは島全体が火山島で、わずかな表土の下には火山岩がごろごろしている。火山岩でつくったユーモラスな表情の石像は済州島の象徴。

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三姓穴は3人の神が出現した、古代耽羅国の建国神話の場所。3人の妻は東方から海を渡ってきたとされる。国も国境もなかった時代、済州島と九州との交流が盛んだったことを思わせる神話。

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どじょう汁。骨を抜いたどじょうを摺りつぶし、野菜や山椒など香辛料をたっぷり使って煮込んだもの。はじめて食べたけど、臭みもなく、言われなければどじょうとは分からない。実に旨いスープ。


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