『絶対の愛』 心地よい裏切り
キム・ギドクはいつも観客を裏切ってゆく。見る側としては、裏切られるのが楽しい。そして心地よい。
『春夏秋冬そして春』以降、キム・ギドクは変わったと言われている。そう、キム・ギドクは確かに変わった。まず、彼がそれまで好んだ都会や農漁村の人臭いドラマではなく、人里離れた場所を舞台に、自然の風景が大きな要素を占めるシンプルなお話を好むようになった(『春夏秋冬』『弓』)。そして、キリスト教や仏教といった宗教的な匂いが画面に立ちこめるようになった(『春夏秋冬』『サマリア』『うつせみ』『弓』)。
それまで人間の内に潜む「悪」をぎとぎとした手法で塗り込めてきた初期の作品にくらべると、これらの作品はより静かな眼差しで人間を見つめるようになり、風俗的な次元から寓話的あるいは宗教的次元へと映画が昇華している。キム・ギドクも年を取り、円熟したのか──と僕も考えてきた。
ところが、キム・ギドクはやっぱりキム・ギドク。そんな思い込みを軽やかに裏切り、『絶対の愛(原題は「時間」)』は整形の流行という韓国の風俗を素材に、自然から遠く離れた都会・ソウルのどまんなかで、宗教的でも寓話的でもない、かつての彼の映画を思い出させるようなどろどろした作品に仕上がっている。ただ、かつての泥臭さ(僕の個人的受け止めで言えば日活ロマンポルノの匂い)はなく、画面はおしゃれな喫茶店やマンションや彫刻公園を舞台に、『サマリア』『うつせみ』に似た都会的なセンスで一貫している。
無論、ギドクらしいこてこてのショットは多い。「整形前」「整形後」の女性の顔の半分ずつを左右のドアに配した整形医院の入り口。「整形後」の主人公・スェヒ(ソン・ヒョナ)が身にまとう、まっ赤なワンピースと顔の大部分をおおう紫のマスク。口に当たる部分には赤い唇が描かれた、エロチックで異形な姿。繰り返し出てくる、白いシーツで顔をおおうことで主人公が不気味なオブジェに見えてくるシーン。整形前の写真を仮面につけて恋人の前に現れるスェヒ。
そんなふうに自分が自分でなくなる瞬間が、手を変え品を変えて映像化されている。
学生のころ見た、安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督の『他人の顔』を思い出しましたね。テーマ系としては似たところがある。『他人の顔』は、やけどで顔を失った主人公が他人の仮面をつけて、妻を誘惑する話だった。仮面をつけることによって主人公は自分を離れて「他人」になり、誰でもない「透明人間の自由」を獲得する。仲代達也が「仮面」の気色悪い感じをねちっこく演じていたのが記憶に残ってる。
一方、『絶対の愛』では、恋人のジウ(ハ・ジョンウ)に飽きられたと思いこんだセヒ(パク・チヨン)が全身を整形して他人になり、スェヒとしてジウの前に現れる。ジウはスェヒと愛し合うようになるが、姿を消した恋人セヒが忘れられない。セヒは整形してスェヒとなった「新しい自分」を愛してほしいのに、ジウはセヒ=「古い自分」が忘れられない。彼女は「新しい自分」と「古い自分」の間で引き裂かれてゆく。
整形する(仮面をつける)ことによって、外見と内面が一致していた「自分」のアイデンティティが揺らぎはじめる。その揺らぎと、そこから生まれるドラマを、2本の映画は見せてくれる。
キム・ギドクがキム・ギドクらしいのは、物語も画面も常に過剰なことだろう。アイデンティティを失ったスェヒが狂おしくジウに迫る。彼女に迫られて、今度はジウまでが過激な行いに出てしまう。ネタバレは避けるけど、いかにもギドクらしい。
ジウの前に整形したセヒ(スェヒ)が現れる。スェヒ以外にも何人もの女がジウの前に現れ、だからしばらくは観客には誰が「整形したセヒ」なのかが分からない。そんなサスペンス・タッチで見る者を混乱させながら、キム・ギドクは韓国の整形の流行について、「実はこれって、けっこうやばい問題を孕んでるんじゃないの?」と言ってるみたいだ。
整形は、外見と内面が一致しているのが当たり前と思われている「自分」のアイデンティティを揺るがしてしまう。外見が「自分」なんだろうか。内面が「自分」なんだろうか。そんなふうに「自分」が分からなくなり、自分が誰でもあり、誰でもありえないように漂流してしまうさまを、ファーストシーンとラストシーンの円環が暗示しているように思えた。
血だらけになり、涙と鼻水を垂らしたソン・ヒョナが色っぽい。
年とって丸くなったなぞと考えたこっちを見事に裏切るキム・ギドクが頼もしい。
Comments
TBありがとう。
この映画を、韓国での論争の後、ギドクは上映中止にしようとしてたんですね。結果として、韓国ではスマッシュヒットになったらしいですけどね。ちゃんと、見ることが出来て、良かったです(笑)
Posted by: kimion20002000 | March 27, 2007 09:36 PM
こんばんは。
どうもTBが反映されにくいみたいです。
コメントだけでごめんなさい。
印象的だったのはあの形成外科の扉と、紫のマスク。それに彫刻の公園でした。
ギドクは、はまりますね…こういう作家性強い作品にはとても惹かれます。
Posted by: シャーロット | March 28, 2007 12:44 AM
>kimion20002000さま
韓国でこの映画がヒットしたとは、めでたいことですね。これで引退云々の騒ぎも吹っ飛んで、どんどん新作をつくって僕たちを楽しませてほしいものです。
>シャーロットさま
ほんとにギドクははまりますね。僕も『悪い男』ではまり、見られる限りの過去作品を見ました。先日、未見の初期作品が上映されたのを見逃したのが残念です。
Posted by: 雄 | March 28, 2007 12:21 PM
こんにちは。
なるほど、韓国でヒットしたんですか。
いつものギドク作品はヨーロッパ受けする作風ですが、今作ではひょっとして韓国ウケをねらったかなと思うような路線でした。
初期作品上映=ギドク・マンダラはGW頃にまたありますよ。
私もその時に完全制覇の予定です。
Posted by: かえる | March 29, 2007 05:47 PM
ほんとですか。貴重な情報ありがとうございます。
確かに、整形を素材にソウルを舞台にした都会的な映画ということでは、韓国マーケットを意識したかもしれませんね。
Posted by: 雄 | March 30, 2007 07:16 PM
TBありがとうございました。
レスポンスが遅くなってすみません。
何度か試みたのですがまたこちらからのTBができない模様で、
コメントのみ失礼させていただきます。
人間は外見じゃなくて中身だ、
なんて所詮きれいごとなんじゃないかと、
そう思い始めてる今日この頃です。
いつまでも荒っぽく尖がったギドクでいてもらいたいです。
Posted by: 現象 | April 08, 2007 04:58 PM
ココログはしょっちゅうメンテナンスをやっていて、その間はTBできないようなのです。
私も『春夏秋冬』以後のギドクは、ちょっと棘と毒が少なくなったかと思っていたのですが、この映画で、ああ、変わってないなと安心しました。
Posted by: 雄 | April 09, 2007 01:47 PM
こんにちは、TBありがとうございました。
私はここ3作品の流れからして、『絶対の愛』も宗教的・神話的要素を
多分に取り込んだ作品になると予想していたのですが、
その予想はものの見事に裏切られてしまいました。
これまでのギドク作品のうち、もっともリアリティのあるのが
この作品かもしれませんね。
雄さんのおっしゃる通り、この作品の最大の見どころは、
整形したことで自己が引き裂かれたことだったと思います。
それを、かの「お面」をつけることでコメディすれすれの演出に
するあたりが、ギドクらしいところでもありますね。
最新作『息』は韓国でも先日公開され、今年のカンヌ映画祭の
コンペティション部門にも選出されたので、早く日本で見たいものです。
Posted by: 丞相 | April 21, 2007 03:47 PM
僕はキム・ギドクの風俗映画っぽい作品(「青い門」とか「悪い男」とか)がいちばん好きです。その意味では、これは倫理も宗教も神話も無縁な風俗映画らしさ(ソウルの現代風俗ですが)に回帰したと言えるかもしれませんね。
ギドクの新作、楽しみです。
Posted by: 雄 | April 22, 2007 09:58 AM