『松ケ根乱射事件』の脱臼具合
雪山に囲まれた信州の、なんの変哲もない田舎町。派出所の警察官、光太郎(新井浩文)が業務用の白い自転車に乗ってゆらーりゆらりとペダルを漕いで巡回するシーンが、映画のなかで3度繰り返される。
住宅と空き地と畑が入りまじった、日本のどこにでもある風景。坂道で光太郎は一生懸命漕いでいるのに、ほとんど歩いているのと変わらない。そんなまったりしたシーンが間延びすれすれのタイミングでつながれてゆき、そのゆる~い感じが、この映画の空気を象徴しているみたいだった。
ゆるいけれども、ダルではない。セリフも演技もカメラも、カットとカットのつなぎも、ことごとくツボをはずしている。だからあらゆる関節が脱臼したみたいな感じの映画なのに、見ているうちにそんなリズムや間が快感に変わってくる。うーむ、これはただものじゃないな。
光太郎と双子の兄の光(山中崇)を中心に、兄弟の一家をめぐる出来事が語られる。
冒頭は俯瞰ショットで、雪の原に横たわる赤いコートの女の死体(?)。タイトルが「乱射事件」だから、最初っから事件か、と思うと、小学生が近づいてきて、女のコートに手を差し込んで胸を,まさぐり、次の瞬間、あろうことか股間に手を突っ込んでしまう。おいおい、なんだこれは? と思ってると、次のシーンで女(川越美和)は裸にされて検視室に横たわっている。と思う間に、彼女は息を吹き返してしまう(死んでいなかった)。
「美女の全裸死体」というのはミステリーの定番だけど、まずその定番を示しておいて(定番そのものが痴漢小学生をからめて脱臼させられてるけど)、次にそれを裏返してみせる。そんなふうに山下敦弘監督は、「ありそうな設定」をつくっておきながら「ありそうな展開」にはもちこまず、こっちの思い込みや予想を次々にずらしていく。その独特のずらし方が、この映画をブラックなコメディにしているんだな。
彼女は強奪殺人犯(木村祐一)の愛人で、彼女を車ではねた光はそれをネタに脅されてしまう。と書けば、サスペンス調に聞こえるけど、引きの画面を重ねて、田舎の平和で日常的な風景のなかでストーリーが進む。2人は光を脅して、空き家になっていた光の家の別宅に入り込んでしまう。
光一家が居間でくつろぐシーンが繰り返されながら、日常的な会話から一家の人間関係と彼らがかかえている問題が少しずつ明らかになってくる。祖父は呆けている。父親(三浦友和)は家を出て、愛人の床屋に居候している。父は愛人の娘も孕ませてしまったらしい。母は「恥ずかしくて外を歩けない」と泣く。
このあたり、脚本と役者と演出家と編集、それぞれの間の取り方、タイミングのずらしかたがなんとも絶妙でおかしい。その語り口がこの映画のすべてといってもいいくらい。
地方の小都市を舞台にした群像劇ということで思い出したのは、阿部和重の傑作小説『シンセミア』。映画ならば『ツインピークス』。小説は山形県東根をモデルに2代にわたる数家族の年代記で、荒廃する地方都市に住まう人々を通してこの国の現在の姿がリアルに浮き彫りにされていた。『ツインピークス』も、一見平和な村の生活も一皮剥けば、というリンチお得意のパターン。
一方こちらの映画は、もちろんリアルであることは変わらないけどユーモアの衣にくるみ、生首をかかえた強奪殺人犯である木村祐一すら「根は善人」ふうなオチになっている。
そんななかで、いちばんまともに見えた光太郎が、誰も知らぬ間に静かに狂ってゆく。映画の冒頭からラストまで繰り返し出てくる、駐在所の天井にうごめくネズミのエピソードがうまく使われてる。
そして最後の「乱射事件」も含めてなお、「松ケ根は今日も平和」という感じで終わるのが山下監督流のブラックユーモアなんだろう。
山下監督、僕は『リンダ リンダ リンダ』しか見たことなかったので、2本のあまりのタッチの差に驚いてしまった。他の作品も見なくては。今年の邦画ベスト候補の1本だね。新井浩文(『ゲルマニウムの夜』は作品の出来が悪かったけど)と木村祐一(『ゆれる』は明らかにミスキャストだったけど)は絶品。
Comments
こんにちは。
『リアリズムの宿』あたりは、少し緩すぎる印象だったんですが、本作の間とリズムは絶妙に感じられました。
そうですね、脱臼カンカクです。
Posted by: かえる | March 16, 2007 11:38 AM
山本監督とつげ義春は、相性よすぎるかもしれませんね。さっそく見てみます。過去のつげ映画、竹中直人も石井輝男も悪くなかったけど、やはり原作に惚れているこちらには不満で、それで山本作品も見送ってました。
Posted by: 雄 | March 16, 2007 05:58 PM
はじめまして。
いつも拝見しております。
「脱臼具合」とは、言い得てますね。
人あたりよさげな風貌の山下監督の悪
な部分を表現したかのような作品で、
楽しめました。
次回作、「天然コケッコー」も期待です。
では、またお邪魔します。
Posted by: アロハ坊主 | March 20, 2007 02:28 PM
TB&コメントありがとうございます。
山下監督って、「人あたりよさげな風貌」なんですか。それを聞くと、いよいよこの映画のゆるさと毒が分かるような気がします。『天然コケッコー』、昨日、予告編を見ましたが期待できそうですね。
Posted by: 雄 | March 21, 2007 12:04 PM
こんにちは、TBありがとうございました。
『松ヶ根乱射事件』のような作品が、山下監督本来の作風だと私は思います。
ただ、『リンダ リンダ リンダ』を間にはさんだ分、間の取り方などが
いくぶん洗練された印象もあるのですが。
とにかく、登場人物は実際にいなさそうな性格なのに、リアルに感じさせる
手腕はお見事というほかありませんね。ブラックユーモアとしても、
成功しているのではないでしょうか。
Posted by: 丞相 | March 24, 2007 05:24 PM
なるほど、これは「洗練」されているのですか。『リンダ リンダ リンダ』冒頭の印象的な長い横移動などは、山下監督本来の持ち味ではないのかもしれませんね。でも、本作もじゅうぶんに「ヘン」だと思いました。いよいよ、ほかの作品を見てみたいですね。
Posted by: 雄 | March 26, 2007 03:25 PM