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February 17, 2007

『善き人のためのソナタ』とメロドラマ

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蛍光灯の青白い光に照らしだされた灰白色の壁と青ざめた顔。この映画を貫いているのは、そんな冷たい色彩だ。無骨な机があるだけの尋問室。飾り気のまったくない無機質なオフィス。闇の中に青白く浮かぶ盗聴装置。目を射る鮮やかな色彩は皆無で、隅から隅までどんよりした曇り空のような世界。人気もなく、音もなく、不気味に静まりかえった街路と建物のなかで物語が展開する。

崩壊以前の旧東ドイツで、「社会主義」を標榜した独裁国家に疑問をもつ反体制市民を監視する役割をになったのがシュタージ(国家保安省)だった。市民の日常を監視し、反国家的とされた市民は「others(あちら側の人間)」として排除される。局員9万人。密告協力者17万人。旧東ドイツの総人口1700万人に対して17万人ということは、国民100人に1人が密告者だったことになる。

『善き人のためのソナタ』は、日常生活のどこに密告者が潜むかわからない監視社会に生きるとはどういうことなのかを、肌身に沁みるように描きだしている。皮膚の内側が粟立つような恐ろしさ。激しい恐怖というより、じわっと重い霧のように不安な空気を醸しだすのに、旧シュタージ本部など当時の建物を使ってのロケが効いている。

主な登場人物は3人。反体制の疑いをかけられた劇作家のドライマン(セバスチャン・コッホ)。ドライマンの恋人で、権力者とも関係をもち密告を強いられる女優のクリスタ(マルティナ・ゲデック)。ドライマンの盗聴を命じられたシュタージの局員、ヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)。

この3人を中心に、一方に大臣やシュタージ幹部といった権力者、他方に反体制派として活動を禁じられた演出家を配して、いわば東ドイツという国全体の見取図を10人足らずの登場人物で描きだしている。

権力者と反体制派の演出家が、正反対ではあるがそれぞれ固い信念に貫かれているのに対して、主役の3人はいわば「普通の人々」だ。

反体制派の演出家に共鳴するドライマンも、映画の前半では自作の劇の成功に酔い女優の恋人との生活を楽しむ、才能はあるけれどごく当たり前の男にすぎない。女優のクリスタも、権力者の誘いを拒めず密告せざるをえない立場へと自ら墓穴を掘っていく弱い人間。

ドライマンを盗聴するヴィースラーも、拷問すれすれの尋問の専門家なのだけれど、ドライマンとクリスタの24時間を監視し、彼らの自由な考え方や奔放なセックスを闇のなかでひとり耳をそばだてて「聞く」うちに、彼らの言葉に引き寄せられ、少しでも弱みを見せたら自らも破滅する国家の一歯車として固く鎧った心が揺らぎはじめる。

ドライマンが強権的な国のあり方を告発する文章を西側に発表し、ヴィースラーがそんなドライマンに密かに共感を寄せるきっかけとなるのが「善き人のためのソナタ」。反体制派の演出家がドライマンの誕生祝いに楽譜を贈ったこの曲を、演出家の自殺を聞いたドライマンがピアノの前に座って弾きはじめ、傍らでクリスタがドライマンに寄り添って耳を傾け、その音をヴィースラーが闇のなかで盗聴しているシーンは素晴らしく美しい。

この曲だけでなく、登場人物が語る声以外ほとんど静寂が支配しているこの映画で、音楽が重要な役割を果たしている(音楽はガブリエル・ヤレド)。さまざまなシーンで、登場人物の感情を物語るようにプラハ交響楽団が演奏する音楽が、時にやりすぎじゃないかと思えるほどに画面の背後に流れている。

この映画はメロドラマなんだな、と思う。広辞苑によると、メロドラマとは「もと、18世紀イタリアに起こった音楽を伴奏として台詞の朗読を行う劇。人物や場面の心理的内容を器楽の伴奏によって表現する。現代では一般に、感傷的な通俗劇の意に用いる」とある。

ここでは確かに「人物や場面の心理的内容」が「器楽の伴奏によって表現」されている。33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の演出はデビュー作とは思えないほど巧みで、どこにもとんがった表現を見せない。そしてクリスタの運命や、人は変わりうるという希望をほのかに感じさせるエンディングも含めて「感傷的な通俗劇」であることを恐れていないように見える。

というよりも、かつて存在した東ドイツという国の、すべての市民がこの映画の登場人物のように生きざるをえなかった国民的体験を描き、それを国民的記憶として共有するために、監督はこの映画のメロドラマというスタイルを積極的に選んだように思える。

シュタージ局員のヴィースラーは、シュタージの記録上では名前ではなく「HGW XX/7」という記号で表されている。ラストシーン。東ドイツの崩壊後に活動を再開したドライマンは、自分を救ったヴィースラーの名前にではなく「HGW XX/7」という記号に感謝を捧げる。それは、ヴィースラーだけでなかったに違いない彼のような匿名的存在に対する、ドナースマルク監督の共感をこめた挨拶なのだった。


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Comments

こんばんは。いつもお世話になってます。
あの盗聴のシーンは本当に美しかったです。
ピアノがこういうシーンで効果的に使われるのが個人的にはとっても嬉しいのでした。
監督は33歳なのですか…。素晴らしい映像表現と音楽の使い方には私のイメージするメロドラマ以上の感銘を受けました。こういうメロドラマなら大好きです。

Posted by: シャーロット | February 18, 2007 10:19 PM

こんばんは。
本当に33歳の監督のデビュー作とは思えない素晴らしい作品でした。
テーマの織り込み方にうなりました。
なるほど。社会派サスペンスのような部分もありながら、音楽の作用もあってか、メロドラマという感じの味わいがありました。
仰々しすぎる音楽は苦手なんですが、このトーンでガブリエル・ヤレドというのは素直に感動してしまいます。

Posted by: かえる | February 18, 2007 11:17 PM

>シャーロットさま

私も他人には聞かせられませんが下手なピアノを弾くので、ピアノがこんなふうに人の心を打ち、人のその後の人生を変えるシーンに深くうなずきました。この映画の音楽はただ画面の背後に鳴っているだけでなく、映画のテーマそのものでもありますね。

>かえるさま

主役の3人がどういう運命をたどるのか、画面に漂う緊迫感は社会派サスペンスそのものですね。それにメロドラマの香りをつけたというのが正確なところでしょうか。若い頃はメロドラマを馬鹿にしていましたが、ジジイになるとえらく寛容になります。でもこの映画は、そういうことを超えて素晴らしいものでした。

Posted by: | February 19, 2007 01:24 PM

体験を共有するためにメロドラマを選んだ、ということに、なるほどなあ、と。同じ目的で、もし恋愛を絡めなかったらどんな物語になったのでしょうか。とっつきにくいかもしれないけど、昔のシドニー・ルメットのような、もっと緻密で冷徹なサスペンスになっていたのでしょうか。ヤレドも使われなかったかもしれないですね。
でも、この映画を見る事ができてよかったとつくづく思っています。

Posted by: kiku | February 19, 2007 10:27 PM

例えば占領下パリのユダヤ人を主役にした『パリの灯は遠く』(ジョセフ・ロージー)みたいな作品にしたら、社会的歴史的なテーマがもっと前面に出てくるのでしょうね。この映画は、音楽(がもたらす力)が小道具ではなくテーマになっていると感じます。むろん、ヤレドの音あってのことでしょうが。

Posted by: | February 20, 2007 04:39 PM

初めまして。
2日前に観たのですが、未だその余韻を残したままです。
こちらの映画評を読ませていただいて、さらにそれは深いものとなりました。
普遍的な人の営みの中でも、男女の愛というのはその源となるものなのですね。

読ませて頂くのが観る前でなくて良かったです。(笑)

Posted by: りん | February 20, 2007 08:53 PM

男と女のラブ・ストーリーは(メロドラマは、と言ってしまっては飛躍がありますが)永遠のテーマで、描き方で浅くも深くもなりますね。この映画は、かなり深いところで川を渡ったという気がします。

Posted by: | February 21, 2007 05:04 PM

こんにちは。いつもTBだけで失礼しておりますが今日はコメントさせて下さい。
多分、現実はもっと厳しかったと思うのですが、今までタブーとされていた題材をここまでの映画に仕上げた監督に敬意を表したいと思いました。
長編デビュー作でオスカー獲得、凄いことですね。スコセッシは何年かかったことか・・。
ではでは。

Posted by: 真紅 | March 01, 2007 05:23 PM

旧東独の監視社会については小説もぼつぼつ翻訳されてますけど(「密告」だったか?)、映画にしろ小説にしろ、十数年たってようやく成熟したアートとして表現できるようになったということでしょうか。

私、個人的にはスコセッシには無冠の帝王でいてほしかったですが、あの喜びようを見れば、まあ、よかったんでしょうね。

Posted by: | March 02, 2007 04:41 PM

こんばんは。TB&コメントありがとうございました。
たしかに、物語の大筋はわかりやすいメロドラマでした。
これといって、不可解な点もなかったと思います。
ヴィースラーが音楽に感動するシーンはやや唐突な感じも
するのですが、この唐突さも音楽映画にはよく見られるものです。
仕事では有能なものの、女性関係などで悩める中年男性の姿を
描いているところは、『アメリカ、家族のいる風景』や、
『ブロークン・フラワーズ』とも似ているのではないでしょうか。
それをほぼ息子の世代にあたる、33歳の監督が描いたというのも、
興味深い点でした。

Posted by: 丞相 | March 04, 2007 09:39 PM

TB&コメントありがとうございます。

33歳ということは、この映画が描いている時代には監督は10歳前後だったのでしょう。少年時代に経験した時代を成長してから再検討し再構成して、「息子世代」が「親世代」の映画をつくるのは、体験を継承するいちばんまっとうなやり方ですね。そういう継承がうまくいかないわが日本のことを考えると、この映画の出現がうらやましくもあります。

そうか、『アメリカ』や『ブロークン』と共通する部分もありますね。気がつきませんでした。

Posted by: | March 05, 2007 01:43 PM

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