『それでもボクはやってない』のど真ん中
『それでもボクはやってない』は、日本映画のど真ん中に位置する映画である。……などと言っても、なにがど真ん中なのか、説明しなきゃわからないよね。もっとも、そう言っている僕自身にしてから、ちゃんとわかってるのかどうか。きちんと説明できるのかどうか。
こんな見事な日本映画を久しく見たことがない。「見事な」と、細部の説明ぬきに言っても何を語ったことにもならないけど、ここがいい、あそこがいいというより、部分ではなく全体が、1本の映画として素晴らしく完成度の高い世界をつくっているんだと思う。
もちろんひとつひとつの要素を拾い上げることはできる。
痴漢冤罪事件という、今の時代の色んな問題や矛盾が集中する題材に目をつけた着想の面白さ。綿密な調査によって、脚本は緻密に練られている。逮捕された後の拘留や検事の調べ、そして裁判がどう進行していくのかを教えてくれる how to 映画になっているのもいい。
拘置所や裁判所といった狭い閉鎖空間を、あらゆる角度から切り取ったカメラワークもすごい。痴漢に間違えられる若いフリーターを演ずる加瀬亮のナチュラルさが,、今日ただいまの空気を感じさせる(竹中直人が一瞬、全体のアンサンブルを崩しそうになるけど)。たまに入ってくる音楽が、逆に音楽が入らないほとんどの場面のリアルさを際立たせている。
この映画は脚本も演出もカメラも演技も、すべてがオーソドックスにつくられている。長回しがあるわけではない。据えっぱなしだったり、奇妙な位置にカメラが置かれたりすることもない。意表をつくカットのつなぎもない。ふつう「作家的」と思われるこだわりが見事なくらい捨てられているように「見える」。
僕は「作家的」な映画が好きだから、このブログもそういう作品に偏り、しかも「作家的」にこだわったショットやシーンやモンタージュに出会うと、つい興奮してしまう。でもこの映画は、そういうことでは何も語れないように思うのだ。実は大変な個性があるのに一見個性的な顔をしてない映画とでも言ったらいいのか。
これ見よがしの作家の「印」を見せることをしないのに、またさしたるアクションもなく、ほとんどが狭い空間で展開されるのに、140分間、一瞬もゆるむことなく映画をドライブさせてしまう凄さ。映画が持っている直截なメッセージから「社会派」などと言われるけど、リアリズムで(時にセンチメンタルに)社会悪を告発したかつての「社会派」からは、この映画の空気は遠い。この映画の面白さは誰にでも届くし、それでいてコアなファンも満足させる。
去年、日本映画の興行収入が洋画を上回ったというニュースを読んだ。日本映画は再び活力を取り戻したように見える。お客さんが入ったのは、僕はほとんど見ないけど、「感動」を売り物にしたエンタテインメントで、その代表が『フラガール』だろう。
その反対側には、ミニシアターで公開されたり、早朝や深夜に上映される(時には公開の機会すら持てない)たくさんのマイナー系の映画がある。それをひとことで「作家的」と言っては大雑把すぎるけど、とりあえず「作家的」映画と言うならば、その代表が『ゆれる』だろう。
『フラガール』も『ゆれる』も、2本ともそれぞれによくできた映画だけれども、日本映画のど真ん中にあるという感じはない。
10代の僕が夢中になっていた1950年代後半から60年代の日本映画は、一方の極に5社の圧倒的に多数のプログラム・ピクチャーがあり、他方に独立プロや5社内部の異端である新藤兼人や大島渚や吉田喜重がいて、その両極の真ん中に心棒のようにして黒澤明や小津安二郎がいた。僕はそういう時代に映画を見て育ったから、どうしても今の日本映画には真ん中が不在だという感じを持ってしまう。
『それでもボクはやってない』は、あるいは周防正行は、長いこと不在だった日本映画のど真ん中に位置する、あるいは位置する可能性をもった作品であり監督であるという気がしたんだけど、どうだろう。


Comments
こんにちは。TB有難うございました。
上手く言えませんが、なんとなく「真ん中に位置する」とおっしゃる真ん中ってわかるような気がします。
ベタ過ぎず、アヴァンギャルド過ぎず・・でしょうか?
大学2年生の息子が友人数人とこの映画を鑑賞してきて「面白かった」というのですよ。
まさか観るとは思わず、数日前に私が散々内容を話してきかせ、疑われないコツまで伝授したというのに・・(笑)
Posted by: マダムS | February 10, 2007 04:50 PM
こんばんは♪
TBありがとうございました。
『フラガール』も『ゆれる』もどちらも昨年素晴らしいなと思った作品ですが、周防監督の新作はそのどちらとも違う素晴らしさを持っていましたね。
今年早々にベストワン作品に出会ってしまったかもしれません。
Posted by: ミチ | February 10, 2007 07:50 PM
>マダムSさま
>ベタ過ぎず、アヴァンギャルド過ぎず
なるほど、そうも言えそうですね。しかも黒澤映画(タイプはまったく違いますが)を見た後のような重量感があって。
息子さんだけでなく、確かにこれ人ごとじゃありません。私もたまに超満員の埼京線に乗るときは自分の手が他人に触れないよう、そればっかりに気を使います。
>ミチさま
こういう映画が真ん中にあることで、一方に『フラガール』や『ALWAYS 3丁目の夕日』があり、他方に『ゆれる』や『誰も知らない』があることの意味と豊かさがはっきりするように思います。
確かに、早々にBEST1に出会ってしまったかもしれません。これから黒沢清の新作とか出てきますけど。
Posted by: 雄 | February 10, 2007 09:26 PM
こんばんは、TB&コメントありがとうございました。
たしかに普段映画を見ない人からコアなファンまで、あらゆる観客層を
満足させる作品を作るのが、周防監督の資質でもありますね。
オーソドックスな作りにもかかわらず、細部のすみずみに神経が行き届いて
いるのが大きいと思います。
ただ私は、裁判官と主人公がはげしくやりとりするシーンに、この作品で唯一の
「作家性」を感じました。あの切り返しの応酬は、まぎれもなく小津ですから。
登場人物の名前に小津作品と関連の深いところにも、オマージュを感じさせます。
ともあれ、周防監督はこれからの日本映画を引っ張ってほしいものですね。
Posted by: 丞相 | February 11, 2007 10:22 PM
確かに裁判官と主人公が緊張感あふれるテンポでやりとりする切り返しは小津ですね。小津の切り返し独特の「交わらない視線」まで再現されていたかは覚えていませんが。
登場人物も「斉藤達雄」は戦前の小津映画の常連だった役者の名前ですし、「金子徹平」とか「荒川正義」とか今の若者にしては古風な名前も、当時のありふれた名前を使うことが多かった小津映画のテイストを感じさせますね。
その意味で丞相さんおっしゃるように、この映画でもまた周防監督らしいやり方で小津へのオマージュを捧げているのでしょうね。
Posted by: 雄 | February 14, 2007 01:59 PM