『はこだて 記憶の街』とMoleの復活
路上の人と風景を一瞬で切り取るスナップショットという写真の技法は、小型カメラ、特にライカの出現によって可能になったと言われる。
1925(大正14)年に発売されたライカA型は、小さなボディに高性能レンズをつけ、映画用の35ミリ・フィルムを使うことで、三脚を使わず、手持ちのまま素早く連続して何枚もの撮影ができるカメラだった。日本では1930(昭和5)年に木村伊兵衛がライカA型を手に入れ、東京の下町のスナップショットを撮って評判になっている。スナップショットは、カメラの小型軽量化という技術革新が新しい表現のスタイルを生み出したひとつの例といえるだろう。
ところで熊谷孝太郎の写真集『はこだて 記憶の街』(Mole刊・2940円)を見ていると、木村よりも一時代前に、地方都市のアマチュアがたくさんのスナップショットを試みていて、その質の高さにびっくりさせられる。
舞台は大正末から昭和初期の函館。撮影した熊谷は函館近郊に住む豊かな地主で、カメラに熱を上げるアマチュアだった。
春浅い季節だろうか。雪解けのぬかるんだ通りを、髷を結った着物姿の女性たちが歩いている。まだ寒いのだろう。みな肩にショールをかけ、すぼめたばかりの蛇の目傘を濡れないよう逆に持っている人もいる。髷に雪がかかったままの人もいる。カメラに向かって微笑んでいる美しい女性は知り合いなんだろうか。
当時の函館にはかなりの数の亡命ロシア人も住んでいて、毛皮のコートと帽子といういでたちの彼らも何人もスナップされている。大陸に向かって開けた港町には洋風の建物も多く、彼らもその風景のなかでまったく違和感がない。
そのうちの何枚かに、撮影する熊谷自身の影が写りこんでいる。頭をかがめ、胸の前に持ったカメラを上からのぞきこんでいる。むろんライカは発売されていない。残された原板はフィルムではなくガラス乾板だというから、小型の蛇腹カメラなんだろう。シャッターを一押しするごとに乾板を交換しなければならない。
ライカみたいな高性能のカメラではないから、速いシャッターは切れない。きっちりしたフレーミングもできない。いちいち乾板を交換するのも面倒だ。だからこのころ路上でスナップショットを撮るアマチュアはほとんどいなくて、絵画みたいに静かな風景を撮るのが大流行だった。
熊谷が当時の流行に背を向けて、なぜスナップショットを撮ろうと思ったのかはわからない。でも彼の写真を見ていると、スナップショットには不向きなカメラの技術的マイナスが、この場合、逆にいいほうに結果したんじゃないかと思えてくる。
この町で顔を知られていたにちがいない名士が、小さなカメラをもって路上に立っている。カメラが趣味であることを知っている人も多かったろう。写真館の技師や新聞社のカメラマンみたいな大げさな器械でもなく、機敏に動き回るわけでもなく、ゆったりとカメラを操作しては通りがかる人々を撮影している。裕福な旦那らしく、人の良さそうな笑顔(セルフポートレートによる)を浮かべた彼に、人々は思わず笑顔を向けてしまう。
そんなふうに熊谷孝太郎は、手にしたカメラとともにすんなりと町の空気に溶けこんでいるように見える。写す側の自然なふるまいは、写される側の自然さをも引き出す。だからこそ、80年前の町と人がこんなにも生き生きと感じられるんだろう。
発売元のMoleは、かつて東京・四谷にギャラリーを持ち、意欲的な写真展と出版を手がけていた。函館に拠を構えての復活を喜びたい(函館市豊川町9-23)。
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