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January 13, 2007

正月は黒澤明の本と映画

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正月休みには黒澤明の『天国と地獄』を見て、田草川弘『黒澤明 vs. ハリウッド』(文藝春秋)を読んだ。

『天国と地獄』を見るのは40年ぶり。冒頭数十分、主人公が住む丘上の邸宅を一歩も出ない室内シーンから一転して特急こだまでの身代金受け渡しに転換するダイナミックな演出には、高校時代にはじめて見たときもそうだったけど、映画的興奮ってこういうものだよね! と叫びたくなる迫力がある。

三船敏郎、仲代達也、志村喬、山崎努と勢揃いした「黒澤組」主役級はもちろん、たったひとつのシーン、ひとつのセリフのために個性的な脇役を惜しげもなく使うぜいたくにも感嘆する。高度成長以前の都市風景(横浜)が見られるのも嬉しい。いかにも黒沢らしいヒューマニズムと家父長的なセリフに良くも悪くも時代とのズレを感ずるけど、超重量級のエンタテインメント。ハリウッドが黒澤を買いにくるのも当然だね。

一方、去年の大佛次郎賞を受賞した『黒澤明 vs. ハリウッド』は、黒澤がハリウッド・メジャーの20世紀フォックスと組んで、撮影を始めた直後に「解任」された『トラ・トラ・トラ!』事件の内幕を、主にアメリカ側の資料から発掘したノンフィクション。読みだしたら面白くてやめられず、風呂に持ち込み、明け方までかかって読んでしまった。

著者は若き日、『トラ・トラ・トラ!』の黒澤脚本の英訳とフォックス側脚本の日本語訳を担当した。当時の黒澤に密着していたわけで、だから黒澤に愛情をもちつつ、でも日米の資料を突きあわせて製作現場で何が起こったかを冷静に追跡している。

悲劇のいちばん大きな原因は、たぶんそうだろうなと予想されるように、ハリウッド流映画づくりと日本流(というより黒澤流)映画づくりの違いを、主に黒澤側が理解していなかった点にある。1960年代、まだ日本企業が本格的に海外進出して欧米流のビジネスになじむ以前の話だから無理もない。黒澤プロ社長の黒澤明は、どうやら契約書すら読んでいなかった(読まされなかった)ようだ。

契約書によると、フォックスは真珠湾攻撃を日米双方の視点から描く『トラ・トラ・トラ!』の日本部分を黒澤プロダクションに下請けに出した。黒澤が責任を持つのは日本部分だけで、しかも最終的な編集権はフォックスにある。でも当時の発表では、フォックスと黒澤プロが共同製作し、黒澤は総監督的な立場にあると説明されている。黒澤は脚本段階でアメリカ側の脚本と全体構想にたくさんの注文をつけたし、アメリカ部分の撮影に立ち会うつもりでもいた。

フォックス社長の大物プロデューサー、ダリル・F・ザナックと、日本部分の製作を担当したエルモ・ウィリアムス(アカデミー編集賞受賞者)は、黒澤のそんな作家的意欲と「わがまま」を最大限尊重し、好意をいだいている(むろん、冷酷な契約書の範囲内でのことだが)。

ザナックと黒澤のあいだには、最後まで信頼関係があったことをうかがわせる手紙のやりとりがあった。だからもし黒澤が「解任」されずに映画が完成していれば、黒澤が意図した山本五十六をシェークスピア悲劇の主人公になぞらえる構想は、かなりの程度実現したかもしれない。

それなのに撮影をはじめて1カ月目に、なぜ黒澤は「解任」されたのか。この本を読むかぎり、根本に日米の誤解があったことは確かだとしても、直接の原因は「黒澤vs.ハリウッド」というより「黒澤 vs. 日本映画界」であり、また黒澤自身にあった。

ひとつは、日本側プロデューサーの未熟と背任。黒澤プロのマネージャー、青柳哲郎はアメリカの小さな映画プロダクションで働いていた青年。ハリウッド・メジャーの映画製作を経験したことはないが、英語ができることから黒澤プロから声がかかり、フォックスとの交渉は彼が一手に引き受けた。

青柳は黒澤に契約の細部を伝えなかったようだ。それは好意的に考えれば、黒澤にプロダクションの経営者ではなく作家として思うままに仕事してもらうための配慮だったかもしれない。だから黒澤は、例えば『天国と地獄』を東宝と黒澤プロが共同製作したケースと同様に考え、フォックスは金が出すが口は出さないものと捉えていたかもしれない。

黒澤は日本部分のみの「下請け」だとは思っていないから、特にアメリカ側監督が「格下」のリチャード・フライシャーと決まってからは「総監督」(契約のどこにも書いてない)としてふるまってもいた。

青柳は契約だけでなく金の流れもひとりで仕切り、結果としてフォックスから黒澤プロに支払われた金の一部が行方不明になっている。

もうひとつの原因は黒澤の東宝への不信。当時、黒澤プロは東宝に莫大な借金をかかえていた。黒澤プロと東宝の契約では儲けも赤字も両者に分配されることになっていたから、黒澤が時間と金をかけて大作をつくればつくるほど、興行的に失敗した場合(実際、『隠し砦の三悪人』で失敗した)の黒澤プロの借金がかさむ。そうしたことから黒澤は東宝を離れ、「黒澤組」のいる東宝砧撮影所ではなく東映京都撮影所での撮影を選んだ。

当時、東映は時代劇から任侠路線に転換し、任侠ものの多くは東京撮影所で撮られていたから、京都撮影所は戦前からの本流の誇りをもちつつも、貸しスタジオ的な使われ方もしていた。

だから外部の、しかも巨匠と呼ばれる監督に対しては、冷ややかな空気があったようだ(東映東撮の深作欣二もはじめて京都で『仁義なき戦い』を撮ったとき、やりにくかったと語っている。僕は当時京都で撮影中の深作に仕事でインタビューしたことがあるので、そのへんの空気はよくわかる)。

そんな雰囲気のなかでクランクインした黒澤はあくまで「天皇」の態度を貫き、しかもスタッフに対し素人の出演者がスタジオに入るとき一同海軍式敬礼で迎えるといった奇妙なやり方を強いた。「天皇」の「無理難題」や「奇行」に、スタッフは就労拒否してストライキの挙に出る。このあたり、全国の大学にバリケードが築かれていた1960年代後半の時代的空気も黒澤にマイナスした。

そしてこの本を読んで感じた「解任」のいちばん深い原因であり謎でもあるのが、山本五十六はじめ主要な役のほとんどに役者としてはまったくの素人である、元海軍将校の「ほんもの」を充てたことだ。

なるほど、集められた素人(多くは企業経営者)は「ほんもの」の元海軍軍人であるに違いない。でも黒澤はこの映画でシェークスピア悲劇を撮ると言っていた。膨大なセリフがあり、それ以上に悲劇の提督や参謀を身体全体で演技しなければならない。素人を使ってドキュメンタリー的なリアリズムの傑作をつくりあげたネオ・リアリズモなどの場合とは違って、しっかりした演技とセリフが要求される。現実世界の「ほんもの」からスクリーン上の虚構の「ほんもの」を引き出すことに、黒澤にはそれなりの計算があったのだろうか。

これはこの本の枠を超える話になるけど、想像するに黒澤には三船敏郎に対する不満があったのかもしれない。当時の黒澤=三船コンビの世界的名声のなかで、黒澤が山本五十六を主役に映画を撮るとなれば、誰が考えても山本役は三船であり、フォックスもそれを期待し、三船自身もそれを望んでいた。にもかかわらず黒澤は三船でなく素人を選んだ。

黒澤はシェークスピアの「マクベス」を翻案した『蜘蛛の巣城』で、三船をマクベス役で起用している。三船はまるで能役者のような表情と身体でシェークスピア劇を演じ、それは狂気をはらんだ男が破滅への道を突っ走るもの狂いにあふれていた(余談だけど僕はこの映画を最初に小学生のころ黒澤映画と知らずに見て、なんだか訳がわからないままそのあまりの暗さ、異様さにびっくりしたことを鮮明に覚えている)。

でも『天国と地獄』から『赤ひげ』あたりになると、三船の演技はかつての野性的な身体の爆発と、時に自分の身体を持てあましているような愛嬌がなくなって一本調子になり、『羅生門』や『七人の侍』で世界的評価をえた三船敏郎という役者の「格」を自ら模倣しているような気配がただよってくる。黒澤はそこを嫌ったのか、あるいは2人のあいだに他人からは伺いしれないなにかがあったのか(これをきっかけに、2人は袂を分かった)。

撮影現場で、多数の素人役者をコントロールできず、スタッフも離反し、黒澤は日ごとに「狂って」ゆく。孤立し、深酒で倒れる黒澤に、プロダクションは右往左往し、果ては内紛を起こす。現場で黒澤を支えるスタッフもいない。撮影開始から「解任」までの1カ月を、アメリカ人スタッフが記した報告書をもとに再現していく「破滅への秒読み」の章は圧巻。

シェークスピア悲劇をつくろうとした黒澤明自身がシェークスピア劇を演じてしまった「事件」のいきさつが、40年後に発掘された資料をもとに明らかにされた。以後、黒澤のフィルモグラフィーには長いブランクができ、復帰した以降の黒澤の映画からかつての輝きを感ずることはなかった。

ちなみに僕の黒澤映画ベスト3は『酔いどれ天使』『野良犬』『用心棒』。最初の2本は黒澤のヒューマニズムとダイナミックなアクションと戦後という時代の混沌が激しく結びついた作品として、『用心棒』は最良のエンタテインメントとして、いずれも傑作だと思う。

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