『007 カジノ・ロワイヤル』はモノクロームで始まった
MGMのライオンとコロムビアの自由の女神、おなじみのオープニング・ロゴがモノクロームで始まったので、これはいつもの007と違うかもしれないなと思ったら、やっぱり。
プロローグはモノクロの格闘シーン。優雅な服と身のこなしのいつものボンドではなく、チンピラみたいなボンド(ダニエル・クレイグ)が、汚れたトイレットで便器を壊しながら男と激しく格闘を繰り広げる。カメラは手持ちで揺れ動き、荒れた粒子。こんなリアルな映像は、007シリーズで見たことはなかった。
モノクロはすぐにカラーに変わるけれど、このプロローグが映画全体のトーンを正しく予告している。ダニエル・クレイグのボンドは、とにかく肉体を酷使する。毎回のように登場する新兵器はなく、銃だけ。しかも銃よりも、とにかくひたすら殴り、殴られ、血まみれになる。格闘しながらクレーンから飛び降り、階段をころげ落ち、崩れ落ちる建物のなかを走り、顔はいつでもナマ傷だらけ。あげくに素っ裸にされて拷問を受け、あられもない悲鳴を上げたりもする。これまでのボンドにはありえない姿。
もうひとつプロローグで予告されているのは、これみよがしのCGやSFXが使われていないこと。
いや、もちろん分からないところで使われてるんだろうけど、いくつもの見せ場、冒頭のマダガスカルの建設現場や、中ほどのマイアミ空港のテロ、ラスト近くヴェネツィアで水中に崩壊する館など、どれもCGではなく、実際にセットを組んだりロケをしたりして撮影されている。ボンドが肉体を酷使するだけでなく、生の肉体や物を使うことによっていわばフィルム全体の身体性を回復することが意図されている。
原作の『カジノ・ロワイヤル』を読んだのは高校時代、40年も前のことだから、カジノ場面以外ほとんど記憶に残っていない。007の「前史」が小説でどんなふうに描かれていたのかも覚えていない。
007シリーズの原作は、アクションとお色気をミックスした洒落たテイストの、当時としてはスピード感あふれるスパイ小説だった。それを見事に映像化したのが『007 ロシアより愛をこめて(初公開時は「危機一発」でした)』だったことには誰も異論がないだろう。
高校生の僕は新宿ミラノ座で見て、ボンドがザクレブから列車に乗り、ロバート・ショウとコンパートメントですさまじい格闘を繰りひろげ、列車から降りて車に乗ったボンドを追ってきたヘリコプターを撃墜するあたりまで、息つく間もないノンストップ・アクションに圧倒された。ど下手なボンド・ガール、ダニエラ・ビアンキには魅力を感じなかったけど、その前後の作品『殺しの番号』のウルスラ・アンドレスや『ゴールドフィンガー』の金粉ヌードにはくらくらしたっけ。
派手なアクション、ボンド・ガール、新兵器、上司Mや秘書(マネー・ペニーだったか?)との軽口、テーマ音楽、すべてが『ロシアより愛をこめて』で完成し、以後の007シリーズはボンド役が次々に代わっても基本的に同じパターンを踏襲することになる。
僕も80年代前半までは新作が来るごとに追いかけたけど、いつの間にか足が遠のいた。シリーズの宿命でマンネリにおちいったのと、それ以上にCG、SFX全盛時代に、部分的にそれらを取り入れても、全体として荒唐無稽で英国上流階級の匂いのある007のテイストが時代に合わなくなったんだろうか。
そういう背景もあってだろう、今回の『カジノ・ロワイヤル』はシリーズの「お約束」のけっこうな部分をチャラにしている。「My name is Bond, James Bond」という決めゼリフも、あのテーマ音楽も、最後の最後まで登場しない。バハマやヴェネツィアといったご当地ロケはあり、カジノ・ロワイヤルではじめてボンドの定番衣装タキシードを着て優雅にふるまうけれど、戦いはじめるととたんに過去のボンドらしいスマートさは投げすてられる。
『カジノ・ロワイヤル』はマンネリを脱皮するために原点に帰るのではなく、まったく別の場所に着地した。そのざらついたリアルさ(脚本のポール・ハギスのテイストか?)と、シリーズに欠かせない「お約束」が奇妙なごった煮になっているあたりが、この作品のおもしろさといってもいいかも。
これはこれで楽しめるし、アクション映画としての出来も悪くないけど、007前史であるこの作品のラストシーンで「My name is Bond」と名乗ったダニエル・クレイグが、優雅で女たらしで皮肉屋のショーン・コネリーのボンドになるとは信じられないなあ。もちろん別の映画だから当たり前なんだけど、ショーン・コネリーのボンドが記憶に鮮烈な当方としては、そのあたりのつながりに妙にこだわりを持ってしまった。
Comments
試写会で観たのですけど、さすがに年輩の女性が多くてマダガスカルでのアクションシーンでは「んまあ....」という声があちこちから聞こえてきて笑えました。007らしくない肉弾戦の連続に息が付けず、ちょっと感動さえしてしまいました(笑)
今さらですが、そうか、ポール・ハギスだったのかと訳もなく納得。原作もカジノでの結末はストレート・フラッシュだったのでしょうか。
Posted by: kiku | December 09, 2006 10:42 PM
ストレート・フラッシュだったかどうか、記憶の彼方です。高校時代、ポーカーがはやったのはこの小説の影響もあったかも。
ともあれこの作品、007シリーズに新しい息を吹き込もうとしたのか、それともシリーズの終焉を見据えて番外編としてつくったのでしょうか。ちょっと気になります。
このテイストなら、もはやジェームズ・ボンドである必要はないように感ずるのですが。
Posted by: 雄 | December 10, 2006 06:20 PM
>であるこの作品のラストシーンで「My name is Bond」と名乗ったダニエル・クレイグが、優雅で女たらしで皮肉屋のショーン・コネリーのボンドになるとは信じられないなあ。
まっこと、仰るとおりで思わず同意してしまいました。
ジェームズ・ボンド前史として若さ溢れる映画としては充分楽しめましたが、今後シリーズにしていくには、いろんな意味でつらいでしょうねぇ、やっぱり。
(確かに今さら金粉ヌードではないにせよ)それにしてもこうした映画に「お色気」って必要なくなったという認識が寂しくもありました(苦笑)。
Posted by: nikidasu | December 11, 2006 01:53 AM
アクション+「お色気」って確かに絶滅品種ですね。えらくセクシーだった『ダイ・アナザー・デイ』のハル・ベリーは最後の光芒といったところでしょうか。
でも「お色気」があることで、映画が良い意味でノーテンキな雰囲気をかもしだして、捨てがたい味があると思うんですがねえ。
Posted by: 雄 | December 12, 2006 03:58 PM