『カポーティ』 ホフマンとデ・ニーロ
フィリップ・シーモア・ホフマン(製作)の、フィリップ・シーモア・ホフマン(主演)による、フィリップ・シーモア・ホフマン(アカデミー賞獲り)のための映画。
そんなことを言ってみたくなるほど、『カポーティ』はフィリップ・シーモア・ホフマンが役者としての自己イメージをどう描いているかをはっきりさせた映画だった。そのココロは、ロバート・デ・ニーロを継ぐのは俺だぜ!
ホフマンが自分のプロダクションをつくっての第1作。監督(ベネット・ミラー)と脚本(ダン・ファターマン)はいずれも新人で、高校時代の仲間。とくれば、安倍内閣じゃないけど仲良しクラブ。良くも悪くも互いを知り尽くしてる。
まず素材として『カポーティ』を選んだことが、いかにもホフマンらしい。『冷血』そのものじゃなく、『冷血』を取材・執筆するカポーティ。『冷血』は過去にも映画化されてるけど(未見)、流れ者によるカンザスの農場一家惨殺事件は描き方によってはノワールにも、血にまみれたスプラッタにも、社会派の映画にもなりうる。そんな、いかにもハリウッド的な路線を避けたのが、マイナーな映画に好んで出てきたホフマン好み。
『ティファニーで朝食を』で人気作家になったセレブのカポーティが、高価な服に身を包み、助手を連れて事件現場に乗り込む。作家としての名声や、時には袖の下を使いながら捜査官や関係者に話を聞き、逮捕された獄中の犯人に接触する。
『冷血』を読めばわかるけど(新訳の感想を去年、ブログで書いた)、カポーティは犯人のひとり、アメリカ先住民の血を引く混血青年に興味をもち、シンパシーを抱くようになる。ひとりでアメリカ大陸を放浪し、音楽好きでスケッチのうまい混血青年もカポーティを「わが友」と呼ぶ。
死刑判決の下った混血青年にカポーティは弁護士を紹介し、弁護士の力で処刑がたびたび延期される。一部を発表して評判になり、自らも傑作だと確信する『冷血』は、しかし混血青年が絞首刑に処されなければ完結しない。彼へのシンパシーと、作家としての野心、エゴイズムとの間でカポーティは引き裂かれる。
NYではセレブとしてパーティに明け暮れ、カンザスでは混血青年の告白に自分の内面を重ねる作家の葛藤を、フィリップ・シーモア・ホフマンは外側も内側も、確かにカポーティはこういう男だったに違いないと思わせる精緻さで演じてる。
「恐るべき子供」と呼ばれた、小柄でベビーフェイスの同性愛者。裏返って甲高い声。心持ち顎を上げ人を見下す目つき。尊大な身振りを見せたかと思うと、赤ん坊のように不安な表情を浮かべる不安定な情緒。カポーティの取材を手伝い、彼が苦悩している間に作家としても成功した幼なじみのハーパー(キャサリン・キーナー)への友情と嫉妬。
まるで『タクシードライバー』『レイジング・ブル』時代のロバート・デ・ニーロを見ているような(タイプは正反対だが)、演技のお手本みたいな映画。『ブギーナイツ』『マグノリア』以来の、女性的な複雑さを合わせ持つタイプの役柄の集大成みたいで、これじゃアカデミーはじめ賞を総なめしても誰も文句言えないよね。
監督デビューのベネット・ミラーも、友人にしてボスであるホフマンを引き立てるべく、抑えた演出で応える。派手な場面をつくらず(殺人シーンは映画の終わり近くなって初めて出てくる)、静かな緊張を持続させる腕は処女作とは思えない。
なかでも、シネマスコープの横長画面をうまく使った風景ショットが心に残る。カンザスの一面の麦畑。落葉した大木の枝を見上げたカメラが視線を下げると、惨劇の現場である白い建物がぽつんと建つ草原のショット。広大な畑を横切る列車。張りめぐらされた金網の向こうに聳える刑務所。そうした風景がそのままカポーティの、そして混血青年の孤独に重なっている。
Comments
TBさせていただきました。
自分で会社を作り、仲間を集めるほどこの映画にかけていたとは知りませんでした。
確かに、怪演という感じでしたが・・・。
Posted by: タウム | October 04, 2006 12:50 AM
特に全編を通してあの裏返った声を通したのには驚きました。劇場で流れていたカポーティの声にそっくりですね。外見も瓜二つで、たしかに「怪演」と呼ぶにふさわしい演技だったと思います。
Posted by: 雄 | October 04, 2006 11:04 PM
雄さま、初めまして。TBさせていただきました。(『冷血』のエントリには何故か飛びませんでした)
『コールドマウンテン』のコメンタリで、アンソニー・ミンゲラがP.S.ホフマンを評し「自分で自分を監督するタイプの俳優」と言っていたのが印象的でした。
『カポーティ』でもそうだったのでしょうね。
Posted by: 真紅 | October 13, 2006 01:50 AM
コメント&TBありがとうございます。
『コールドマウンテン』はレニー・ゼルウィガーもホフマンと同じタイプの役者で、2人とニコール・キッドマンのからみが楽しめました。『MI:3』はホフマンを生かしきれてませんでしたが、これからもクセのある脇で行くのか、主役級で行くのか、おもしろいところですね。
Posted by: 雄 | October 13, 2006 12:22 PM