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September 10, 2006

『楽日』の雨と足音

この映画、見る人によってめちゃくちゃ色んな感想があるだろうけど、僕にとっては「雨の映画」として記憶されることになるだろう。

台北のさびれかけた繁華街。福和大戯院という映画館が閉館になる最終日(楽日・らくび)の最終回。映画館の外では暗くなった空から激しい雨が落ちて亜熱帯植物の葉を打っている。館内の通路には、窓をたたく雨滴の音が響いている。湿った暖かい空気が淀んでいるのが、まるで自分がその場にいるように感じられる。

上映されているのは、1960年代武侠映画の大ヒット作として知られるキン・フー監督の『血闘竜門の宿』。新宿ミラノ座を円形にしてひとまわり大きく、傾斜を激しくしたような、スクリーンを谷のように見下ろす広い観客席には、ほんの数人の観客。この映画の時間は、『血闘竜門の宿』最終回が始まるところから、上映が終わり観客が去って最後にシャッターが閉められるまでの時間に対応している。

上映が終わっても、雨はなお激しく降っている。上映技師(リー・カンション)が合羽を着てバイクで去ってゆく。それを陰から見つめていた受付嬢(チェン・シャンチー)が、傘を差して雨のなかに出てゆく。そのロングショットの背後には、青い街灯に照らし出される雨中の映画館の大きな看板絵。

だから最初から最後まで一瞬たりとも止むことなく雨が降っているわけで、あらゆるシークエンス、あらゆるカットが、たとえ画面に雨が映らず、雨音がしなくとも、雨中のシーンであることが映画の基調音をかたちづくっている。

もうひとつ、この映画の基本的なリズムをつくっているのは、受付嬢の歩行。映写技師と2人きりで映画館を切り盛りしている彼女は身体障害者で、歩くときに身体が大きく浮き沈みする。その独特のリズムで歩きながら、館内の通路を見回り、トイレや客席を掃除する。全編に雨が降っているように、彼女もまた最初から最後まで絶えることなく画面に登場して歩き回り、その歩行がつくりだす独特のリズムが映画を底のところで支えている。

雨と受付嬢の足音。2つの映画の身体性ともいうべきものがあるからこそ、『楽日』がもっている映画と映画館への愛というテーマと手法の実験――極端にまで押し進めた固定フレームでの長回し――が生きているのだと思う。

アンゲロプロスやキアロスタミの映画も総カット数が少ないけど、『楽日』のカット数はそれより少ないんじゃないだろうか(ついでにいえば、セリフも極端に少ない)。とにかく据えっぱなしの長回し。途中で気持ちよく寝てしまい(数十秒? 数分?)、起きてみるとまだ同じカットが映っている。それだけでなく、人物もまったく同じ位置にいて微動だにしていない。かといって決して退屈で眠ってしまったのではなく、眠気を誘うほどに快い。

もっとも、上映が終わったあと無人の観客席を5分ちかく見つめつづける動きのまったくないカットでは、さすがに出品したヴェネツィア映画祭でも何かの間違いかと観客が騒ぎ出したという。

映画(に限らず小説も)では物語とスタイルは密接不可分だけれど、『楽日』に物語らしい物語はない。もちろん、受付嬢の上映技師に対する思いとか、映画館に集まるホモセクシュアルとか(ツァイ・ミンリャン監督がずっとこだわっているテーマ)、『血闘竜門の宿』に主演している2人の俳優が観客席にいるとかのドラマはあるのだが、人物と人物が絡み合って物語がころがっていくことはなく、淡い水彩画のように数少ないカットで簡潔に示されるだけ。

希薄な物語性に代わって、この映画の極端なスタイルを支えているのが、最初に触れた降りつづく雨や受付嬢の歩行といった映画の身体性ではないだろうか。そうしたものに担保されているからこそ、『楽日』は手法倒れの実験映画ではなく、映画の豊穣さを感じさせる作品になったのだと思う。

それにしても、アジアでのキン・フー映画の影響力はものすごい。台湾のホウ・シャオシェンも、香港のウォン・カーウァイも、アメリカに行ったアン・リーも、マレーシアで暮らしていたツァイ・ミンリャンも、ある世代の監督たちはみんなキン・フー映画で育ち、なんらかのかたちで作品のなかでキン・フーへのオマージュを捧げたり、インタビューでキン・フーに言及したりしている。

その点、日本では『血闘竜門の宿』(1967)以外、同時代にほとんど公開されていない。当時の香港・台湾映画はたっぷりと日本映画の影響を受けていたのに(「座頭市」やら「渡り鳥」やら)、逆向きの影響が欠けた一方通行だったわけで、そのあたりは、最近の日本映画のアジア的血糖値(?)の低さにまでかかわっているのかもしれないな。

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Comments

こんばんは、TBありがとうございました!
こちらからもお返ししようとしたのですがうまく行かず、コメントにて失礼します。
ツァイ・ミンリャンの作品の音使い、かなり好きです。雨音だったりエスカレータの音だったり・・・。日本でも普段聞きなれている都会の音がすごく新鮮に響いて。
予告編を観る限り『Hole』のような雰囲気の『西瓜』も楽しみです。

Posted by: Ken | September 13, 2006 at 11:23 PM

コメント、ありがとうございます。

kenさんはエントリで新宿オスカーに触れていますが(もう20年以上行ったことがない)、私もこの映画を見て、ガキのころ何度も行った浅草の、かつては豪華だったろう映画館(みな取り壊されましたが)を思い出しました。『西瓜』も見に行くことになりそうです。

Posted by: | September 14, 2006 at 02:25 PM

こんにちは、以前一度おじゃましたことのあるモノです。
私もこの作品、自分の知っている中ではミラノ座が一番近いかなーなんて思いながら観ました。
今や、1階が入り口で、そのまま映画館ってところがほとんどなくなりましたよね。
そのスタイルだけで郷愁を覚えてしまうような今日この頃です。
それと、本当に一歩間違えば実験映画とか独りよがりになりそうな作風なのに、全くそうでないところが(うまく言えないのですが)すごいと感じました。
雨の匂いまで、感じられる映画でした。

Posted by: わかば | September 16, 2006 at 11:13 AM

わかばさんがエントリで書かれているように、「人々の記憶の中の映画館を思い出させる映画」ですね。

ガキのころ、人口5万人ほどの市に6つの映画館がありましたが、そのひとつひとつを思い出します。中学に入って、はじめて新宿ミラノ座へ行き、その大きさ、豪華さに圧倒されました。予告編が終わり、スクリーンが70ミリ用に広がるときの興奮は忘れられません。見たのは『アラモ』でした。

Posted by: | September 16, 2006 at 01:36 PM

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