« ナイトゲーム | Main | 『ユナイテッド93』と疑似ドキュメンタリー »

September 02, 2006

『マッチポイント』のイギリス度

『マッチポイント』でいちばん興味があったのは、デビュー以来ずっとニューヨークを舞台に映画をつくってきたウッディ・アレンが初めて舞台をロンドンに移したことで、作品にどんな変化が現れたのか、あるいは現れなかったのかということ。

ニューヨークからロンドンへ、まずは当然のことながらロケーションした風景が違う。冒頭、セレブなテニス・クラブの重厚な赤レンガのクラブ・ハウスに向かってクリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)が歩いていく移動ショットから、まぎれもなくロンドンの重くたれこめた空気が感じられる。

ウッディの映画にはたいてい「定番」ともいえるショットが出てくる。ジャズクラブのライブ演奏とか精神分析医の診察室なんかがすぐに思い浮かぶけど、橋の見えるショットもそのひとつ。『アニーホール』や『マンハッタン』はじめ、橋(特にマンハッタンとブルックリンを結ぶブルックリン橋)が画面を大きく横切り、水辺に登場人物が見えるいくつものロング・ショットが記憶に残っている。

この作品でもテムズ河にかかるランベス橋(? 国会議事堂が見えている)の同じようなショットが出てきたのには、やっぱりね。この橋のたもとは、「マッチポイント」というタイトルが暗示する重要なシーンでも登場する。クリス夫妻が住む高級コンドミニアムからはウェストミンスター橋も見える。

さらにウッディ映画の多くにはNYのおしゃれスポットがさりげなく取り込まれているけど、この映画も同様。建築もユニークな美術館テート・モダン、現代アートのサーチ・ギャラリー、ボンド・ストリートのブランド・ショップなどが舞台になって、何度も映るビック・ベンとともにしっかり「観光映画」してる。

この町には、どうもウッディの好きなスイング・ジャズやスタンダードは似合わない。20世紀初頭のオペラ歌手エンリコ・カルーソーの歌が、ザーザーというSP盤のノイズとともに全編に流れている。ヴェルディを歌うその沈鬱な歌声が、この映画の基調音を決めているように思えた。

ストーリーは自作の『ウッディ・アレンの重罪と軽罪』に『陽のあたる場所』や『太陽がいっぱい』をミックスしたような、セレブと成り上がり者が織りなす不倫と犯罪の物語。裕福な一家の娘と結婚したクリスが、義兄の婚約者ノラ(スカーレット・ヨハンソン)と関係をもつ。クリスは手に入れた地位と財産を取るのか、魅力的な美女を取るのか……シリアスなラブ・ストーリーにも、サスペンスフルなミステリーにも、ブラックなコメディにもなりそうな素材だ。

そこでウッディが採用したのは、映画の最初と最後に、偶然と運が人生を大きく左右するという皮肉を噛みしめることになるシーンを置いてウッディらしい目線を設定し、そのあいだをコメディーでもミステリーでもなく、重厚でオーソドックスな描写でつないでいくスタイル。クリスの妻が子供が欲しくて不妊治療に懸命になるシーンとか、妻を取るのか自分を取るのかノラがクリスに迫るシーンなんか、ウッディらしいコメディの絶好の素材なのにそうはならない。

僕はそこに、ニューヨークではなくロンドンを舞台にしたことの影を感じてしまった。これがニューヨークの物語だったら、もっと軽快でブラック・コメディふうな映画に、あるいは『重罪と軽罪』みたいに精神分析好きのひねくれた映画になったんじゃないだろうか。

とくに何度も出てくる週末を過ごす郊外の別荘の場面。シャトーの豪華な建物と、周囲に広がる緑の野や森のしっとりした描写。女主人に叱責されたノラが激しい雨の野原にさまよい出、それを追ったクリスとはじめて関係をもつシーンの濃密な描写は、赤狩りでハリウッドを追われたジョセフ・ロージーが、イギリス上流階級の女性を主人公にした『恋』で見せた同じような場面の同じような空気感を思い出した。

ウッディがこれをコメディにする気がなかったのは、ジョナサン・リース・メイヤーズとスカーレット・ヨハンソンを主役に配したことからもわかる。アイルランドの貧困家庭の出で、トップ・プロに一歩及ばずレッスン・プロになったことから上流階級に入りこむクリスを、メイヤーズは『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンを思わせる目つきと表情で演じている。

一方のヨハンソンはいかにもウッディ好みのクールな美女。ヨハンソンが初めて顔を見せる別荘の遊戯室での美しさったらない。胸の大きくあいた白いドレスにアップした金髪。男を惑わす唇でメイヤーズを挑発する。メイヤーズも挑発に応え、体をヨハンソンにすりよせてラケットの握り方を教える。白いカーテン越しに柔らかな外光が差し込み、逆光になったヨハンソンの顔のクローズアップには息を飲む。

ウッディ、ヨハンソンに惚れたかな。ウッディはダイアン・キートンとかミア・ファーロウとか主演女優をモノにしてきた過去があるけど、まさかあの歳で……。万が一そんなことになったら、世界中を敵に回すことになる。

|

« ナイトゲーム | Main | 『ユナイテッド93』と疑似ドキュメンタリー »

Comments

>ニューヨークではなくロンドンを舞台にしたことの影を感じてしまった。

確かに・・・・・・。
ちょっと重厚さを感じる本作、私には新鮮でした。
ウッディには、ロンドンも良く似合うと思います。

TBに感謝!

Posted by: マダムクニコ | September 02, 2006 12:32 AM

これからはずっとロンドンを舞台にするのでしょうか。NYものには正直ちょっと飽きもきていたので、私にとっても新鮮でした。これからの作品が楽しみです。

Posted by: | September 02, 2006 10:00 PM

ということは、ロンドンで撮る限り、コメディは無理なのでしょうか。次作もヨハンソン出演だというし(ヨハンソン主演のコメディなんてクリスティーナ・リッチ主演のコメディ以上に想像できない)。
どこかシニカルな笑いは残してほしいのですが(笑)

Posted by: kiku | September 19, 2006 12:47 PM

あのシニカルさはニューヨークのユダヤ・コミュニティーを必要としているのかもしれませんね。次もヨハンソン主演ですか。ウッディー自身も老いて作中で恋はしにくいですから、やがてあのシニカルな笑いを懐かしむことになるのかも。

Posted by: | September 19, 2006 10:05 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 『マッチポイント』のイギリス度:

» マッチポイント [シャーロットの涙]
アイルランド人のクリスは、英国の上流階級に憧れる野心家。 高級テニス・クラブのコーチになり、金持ちの息子・トムと親しくなる。 ある日トムに誘われてオペラに行くと、トムの妹・クロエに気に入られる。 やがて交際が始まり、クリスはクロエの父親の会社の社員になり二人は結婚、クリスの人生は前途洋々に見えた。 しかしクリスはトムの恋人・ノラとも浮気を続けていた。 ノラを愛しているが、クロエが与えてくれるリッチな生活も�... [Read More]

Tracked on September 02, 2006 01:21 AM

» マッチポイント [日っ歩~美味しいもの、映画、子育て...の日々~]
プロのテニス・プレヤーだったクリスは、資産家の息子、トムと親しくなり、その妹のクロエと交際するようになり、トムとクロエの両親にも気に入られます。クロエの父の会社で働くようになり、その中で社会的地位を築き、クロエと結婚したクリスですが、トムの婚約者であったアメリ... [Read More]

Tracked on September 02, 2006 02:50 AM

» マッチポイント/MATCH POINT [我想一個人映画美的女人blog]
今度のウディ・アレンはちょっと違う{/star/} 1.自分は出てない。 2.ベタなコメディじゃない。 3.NYじゃなくって舞台はイギリス 4.全編にかかるのは、ジャズじゃなくってスタンダードなオペラ これまでずっとこだわってたNYを離れイギリスを拠点に活動開始したウディアレン。           この作品、海外ではゴールデングローブ賞を4部門でノミネートされたり、 アカデミー賞脚本賞ノ�... [Read More]

Tracked on September 02, 2006 09:14 AM

» マッチポイント [Alice in Wonderland]
本日二本目、今年80本目の映画館での映画鑑賞です。梅田ガーデンシネマでの11本目の映画鑑賞でただで観ることができました。 プロ・テニスプレイヤーを引退後、新しい人生を見出せないまま怠惰な暮らしを続けていたクリスは、トムとクロエという見るからに裕福な兄...... [Read More]

Tracked on September 06, 2006 03:26 PM

» ★「マッチポイント」 [ひらりん的映画ブログ]
ウッディ・アレン監督の最新作。 ひらりん的には、ちょっと微妙な監督さん・・なんだけど、 注目度NO.1女優のスカーレット・ヨハンソンがでてるからねっ。 早いとこ、見とかなきゃ・・・です。 [Read More]

Tracked on September 09, 2006 01:10 AM

» マッチポイント [金言豆のブログ ・・・映画、本について]
2006年8月19日公開  名匠ウディ・アレンが、今ノリにノッてるミューズ、スカーレット・ヨハンソンを起用して送り出すラブ・サスペンスというふれこみ、  そのスカーレット・ヨハンソンの妖艶な美しさを前面に押し出... [Read More]

Tracked on September 12, 2006 12:12 PM

» マッチポイント(映画館) [ひるめし。]
勝敗は運が決め 人生はコントロールできない――― 製作年:2005年 製作国:イギリス/アメリカ/ルクセンブルグ 監 督:ウディ・アレン 出演者:ジョナサン・リース・マイヤーズ/スカーレット・ヨハンソン/エミリー・モーティマー 他 時 間:124分 [感想] ウディ・アレンの作品は初体験。 ドキドキ・・・。 色んな賞にノミネートされてるだけあって、なかなかおもしろかったわ。 で�... [Read More]

Tracked on September 13, 2006 09:16 PM

» 映画『マッチポイント』を観て [KINTYRE’SPARADISE]
原題:Matchpoint(イギリス)公式HP上映時間:124分鑑賞日:8月26日 シネスイッチ(銀座)監督:ウッディ・アレン出演:スカーレット・ヨハンソン(ノラ・ライス)、ジョナサン・リース・メイヤーズ(クリス・ウィルトン)、マシュー・グード(トム・ヒューイット)...... [Read More]

Tracked on September 15, 2006 10:26 PM

» マッチポイント [パピ子と一緒にケ・セ・ラ・セラ]
W・アレンが描くロンドンと上流社会のセレブ・ライフ。ウディ・アレンが愛するニューヨークを離れ、初のロンドンロケを敢行。衝動、情熱、裏切り…“あと1点でゲームの勝敗が決まる最後の得点=マッチポイント”をめぐる男と女、“運”に導かれる、スリリングで魅惑的な....... [Read More]

Tracked on September 18, 2006 01:49 AM

» 【劇場映画】 マッチポイント [ナマケモノの穴]
≪ストーリー≫ アイルランド人のクリスは、英国の上流階級に憧れる野心家。高級テニス・クラブのコーチになり、金持ちの息子・トムと親しくなる。ある日トムに誘われてオペラに行くと、トムの妹・クロエに気に入られる。やがて交際が始まり、クリスはクロエの父親の会社の社員になり二人は結婚、クリスの人生は前途洋々に見えた。しかしクリスはトムの恋人・ノラとも浮気を続けていた。ノラを愛しているが、クロエが与えてくれるリッチな生活も手放せない。自分の人生を完璧にするため、クリスは殺人を思いつく…。(goo映画より) ... [Read More]

Tracked on September 18, 2006 08:45 PM

» 『マッチポイント』、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』、中南米の乾いた空気。 [kiku's]
『マッチポイント』ニューヨークを撮り続けてきたウディ・アレンがロンドンではいった [Read More]

Tracked on September 19, 2006 12:48 PM

» 映画「マッチポイント」 ついてる と ついてない [don't worry!な毎日]
 土日と仕事で東京。土曜日の夜映画を見た。 ウッデイ・アレンが監督した「マッチポイント」。    元テニスプレイヤーのクリス。上流社会にあこがれて、そういう人の集まるテニスクラブの コーチになる。ドフトエフスキーは読まないけれど、それをどう読むかという本を読み、 オペラやアートを知る努力をして、ある男と知り合う。 クリスはその妹と結婚するが、義理の兄の元恋人(ノラ)を愛してしまう。 結婚生活を順調に続け、妻の父親の会社で良いポジションも得て、 運転手つきの車に乗り、交際費を自由に使え... [Read More]

Tracked on September 25, 2006 08:46 PM

» マッチポイント [Pocket Warmer]
邦題:マッチポイント 原題:Match Point 監督:ウディ・アレン 出演 [Read More]

Tracked on October 09, 2006 07:48 AM

« ナイトゲーム | Main | 『ユナイテッド93』と疑似ドキュメンタリー »