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August 22, 2006

『トランスアメリカ』とロード・ムーヴィー

ロード・ムーヴィーがジャンルとして意識されるようになったのはいつごろからだったろう。ちゃんと調べもせず記憶だけで言えば、ヴェンダースの『さすらい』3部作あたりからだろうか。

もちろんそれ以前に『イージーライダー』があり『ヴァニシング・ポイント』があるわけだけど、当時はロード・ムーヴィーというよりアメリカン・ニューシネマというくくりで語られることが多かった。でも今となってみれば、ヴェンダースがアメリカ映画から多くの刺激と啓示を受けたのを自らの作品で語っているわけだから、やはり『イージーライダー』を起点とするのがいいかもしれない。

ロード・ムーヴィーを「旅もの」と解すれば、過去にも「珍道中」をはじめとしてハリウッドには古くからこのジャンルの映画はあった。でも、単に「旅もの」ではなく、旅にともなう精神的なもの、内面の価値観にかかわる映画として解すれば、そのルーツはケルアックの小説『路上にて』に代表されるビートニクに発している。

『イージーライダー』を生みだしたヒッピー・ムーヴメントの背後には明らかにビートニクの精神があるから、その意味でも『イージーライダー』をロード・ムーヴィーの起点にするのがいいんだろう。

そう考えるとき、アメリカのロード・ムーヴィーの主人公が大陸横断(トランスアメリカ)するとき、単に西から東へ、北から南へ地理的な移動をしているだけでなく、異なる価値観のあいだを旅しながら自らの価値観を変貌させているといえるわけだ。地域・人種・階層・世代によって異なる価値観のあいだを緊張をはらみつつ移動するなかで、『イージーライダー』や『ヴァニシング・ポイント』の主人公たちは殺されていった。

なんてことを言いだしたら、いつまでたっても『トランスアメリカ』に行きつかない。話を一気にとばして、最近のロード・ムーヴィーと呼べるアメリカ映画では、かつてのように異なる価値観のあいだで登場人物が対立するといった社会的構図より、もっと個人的な家族の問題が素材にされることが多いように思う。

1960~70年代のカウンター・カルチャーの時代が終わった後、アメリカ社会が抱える矛盾は階層や世代の社会的対立から、より小集団である家族へ内在化したことの反映かもしれない(無論、アフリカ系やヒスパニックの民族問題が解決したわけじゃないけど、アメリカ産ロード・ムーヴィーはもともと白人中産階級の豊かさを前提にした映画だからね)。

ロード・ムーヴィーの名作をつくってきた監督たちの最近作、ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』も、ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』も、少し前になるけど『アバウト・シュミット』も、いったんはばらばらになった親と子、夫と妻といった家族が、旅のなかで再び新しい絆を見つけだそうとする映画だった。

『トランスアメリカ』も、最近のロード・ムーヴィーのそうした流れを忠実に受け継いでいる。この映画の面白いところは、そこにもうひとつ性同一性障害(トランス・セクシュアル)を絡ませたこと。これが長編第1作のダンカン・タッカー監督(脚本)は、旅+家族+トランス・セクシュアルというアイディアを得たとき、これだと思ったにちがいない(監督のインタビューを読むとトランス・セクシュアルの友人からヒントを得たというから、実際の順序はトランス・セクシュアル+家族+旅だったろう)。

男から女への性転換手術を目前にしたブリー(フェリシティ・ホフマン)の前に、息子だというトビー(ケヴィン・ゼガーズ)が現れる。LAに住むブリーはNYで拘留されたトビーを迎えにいくが、女性として生きている彼は父親だと名乗ることができない。名乗れないままに、ブリーは父と暮らすのが夢と語るトビーとともに大陸横断してLAに向かう。

中西部の小さな町々を通過し、ニューメキシコのブリーの実家を経てLAを目指す2人の旅は、予想どおり色んな出来事に見舞われる。ブリーは先住民系の男にほのかな恋心を抱かれ、実家では母親の激しい拒絶に出会う。金がなくなるとトビーは体を売る。ブリーを父親と知らないトビーは、彼(彼女)に心を寄せるようになる。定石といえば定石通りの展開。

最後の心温まるエンディングまで、脚本も演出も、ヒューマン・ドラマをとても上手に見せてくれるのだが、そこが不満といえば不満。このエントリーは映画を見て1週間後に書いているけど、印象に残ったシーンやショットを捜そうとしてもなかなか出てこない。

熱くならない適度な距離感、優しい眼差し、ユーモア、この映画の感触は『アバウト・シュミット』のアレキサンダー・ペイン監督の映画から受けるそれと似ているけれど、ペインが時に見せるドタバタふうな逸脱、過剰さ、かいまみせる鋭い棘のようなものがなく、すべてがバランスよく収まっている。そのことが、時間が経つほどにじわっと染みこんでくるペインの『サイドウェイ』などとは逆に、時間が経つほどに印象が薄くなってくる理由かもしれない。

トランス・セクシュアルを演ずるフェリシティ・ホフマンが見事。まったく予備知識なしで見たので、最初、男優なのか女優なのかよく分からなかった。男優が(体を見せる部分は特殊メークか吹き替えで)自分を女だと思う男を演技しているのか、女優が自分は女だと思う男を演技しているのか。低い声は男優が声をつくっているようだし、ラスト近く、バスタブのヌード・シーンではっきりするまで確信をもてなかったほど。怪演といってはなんだけど、後で素顔を見るとなかなかの美女。根性あるね。

お久しぶりバート・ヤングもいつもながら。

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