若冲を見たか?
(『BRUTUS』の「若冲を見たか?」。左に出ているのは観音開きの「動物花木図屏風」の一部)
六曲一双の屏風が細かく升目に区切られている。1辺1センチほどの正方形の升目が一曲に約14,000個。一双では86,000個にもなる。平面に広げた巨大なルービック・キューブのような、あるいはモスクの細密なタイル画のような、その升目のひとつひとつに描かれた線や色が集合すると、象や虎や猿などの動植物が満ち満ちている極彩色の絵が現れる。
江戸のデジタル画像とでもいえそうなこの屏風のヴィジョンを、伊藤若冲はどこから得たんだろう? 一説には李朝(韓国)のモザイク画からヒントを得たともいわれるが、本当のところはわからない。この「鳥獣花木図屏風」ひとつを見るだけでも、同時代から抜きんでた若冲の天才がひしひしと伝わってくる。
ここに描かれた象や虎や獅子やラクダを、若冲はたぶん見たことがない(対になるもう一双には想像上の生きもの、鳳凰が描かれている)。だからこの絵は、徹底した写生から生まれた何枚もの有名な鶏図とは性質が異なる。
この屏風を見たとき、涅槃の風景だなと思った。厚い仏教信者だった若冲は何点かの涅槃図を描いているけれど、深い青空と白雲をバックに、象が野を歩き、鳳凰が羽を広げ、鳥が空を飛び、猿が樹上に遊ぶこの絵もまた、画面の中心に死にゆく釈迦が不在ではあるものの、若冲の想念がつくりだした美しい涅槃の光景だと思えた。釈迦のかわりに画面の真ん中にいる白象は、普賢菩薩の乗り物でもある。
「若冲と江戸絵画」展(東京国立博物館。8月27日まで)は見応えたっぷり。若冲を17点も見られるなんて、「動植綵絵」30点を所蔵している三の丸尚蔵館を除けば、このプライス・コレクション以外にない。
会場は、若冲、曽我簫白ら「エキセントリック」を中心に、「正統派絵画(狩野派)」「京の画家(円山応挙ら)」「江戸の画家(師宣ら)」「江戸琳派」に別れている。
若冲だけを見るのではなく、若冲を当時の狩野派や応挙、江戸琳派などのなかに置いてみて気がつくことがある。若冲の絵は屹立しているけれども、かならずしも孤立した異端ではなく、当時の絵画の流れのなかにきちんと収まっていること。当時の絵画の環境のなかから生まれた絵師であることがよくわかる。
ただ、若冲が若冲であるのは、そこに誰にも真似のできない天才のエッセンスが1滴加わっていることで、そのことによって、現代人が「奇想」とか「エキセントリック」とか「シュール」と呼びたくなる絵が出現しているのだ。
この展覧会で面白かったのはもうひとつ、「江戸琳派」のセクションが作品の前に保護のガラスをはめず、光量と色、光源の角度を調整して、朝の光、昼の白っぽい光、夕方の赤い光、夜の暗がりなど刻々と変わる照明のもとで作品を見せていること。
掛け軸にしろ屏風にしろ、家屋のなかでは部屋を飾る調度品として見られるのが普通。だから、当時の住まいの条件に近づけて見せることによって、江戸の人々がこれらの絵を実際にどのように見ていたのかを知ることができる。特に夕方から夜にかけての、赤く暗い光に照らされた酒井抱一や鈴木其一の色っぽさといったらない。
このところ出版界も若冲ブームで何冊もの画集や豪華本が刊行されているけど、雑誌『BRUTUS』の特集「若冲を見たか?」が充実している。コレクションのオーナー、プライス氏へのインタビューや2つの両観音開き(しかもダブルの観音開き)で「鳥獣花木図屏風」と「動植綵絵」を見せているのは保存版としての価値も十分。
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