『インサイド・マン』とジャンル映画
今ではスパイク・リーをことさらにアフリカ系監督と呼ぶ必要はないのかもしれない。
デビュー作の『ジョーズ・バーバーズ・ショップ』から『ドゥ・ザ・ライト・シング』を経て『マルコムX』あたりまで、アフリカ系ならではのテーマを取り上げ、政治的だったり道徳的だったりする強いメッセージをもった映画を撮っていた。だからハリウッドで唯一ブラック・ムービーと呼べるジャンルの映画をつくっている監督といったポジションにあったように思う。
僕もちゃんと見ているわけではないけど、そんなテイストは徐々に薄くなって、最近の彼の映画は例えばデンゼル・ワシントンが主演していてもアフリカ系監督の映画だと意識して見る必要のないような作品になっていると思う。『サマー・オブ・サム』なんかは、主要な登場人物にアフリカ系が出てこない、ブルックリンのイタリア系コミュニティーの話だった。無論、マイノリティーとしての少数派の視点はちゃんと保っているけれど。
そういう、普通のメジャーなハリウッド映画に声がかかるようになったのは、やっぱりスパイク・リーの腕が確かだからだろう。オーソドックスな演出。饒舌なおしゃべりと皮肉とジョークに込められたメッセージ。ブルックリンへの偏愛。スパイク・リーの映画はいつも、エンタテインメントとアフリカ系のこだわりがほどよくバランスされている。
『インサイド・マン』もそんな系列に属する映画だった。
アフリカ系監督としてのこだわりは、何よりニューヨークのエスニックな多彩さをうまく映画に取り込んでいることに表れている。冒頭からアラブ系のヒップホップが流れる(テレンス・ブランチャードの音楽は、他にオーケストラのいかにも映画音楽風な弦楽と、ベースを中心としたジャズ。テレンスのトランペットは聞けなかった)。これは銀行強盗の犯人が外国なまりを装ってアラブあるいは東欧系だと警察側に思いこませるのに対応してるのだけど、観客自身をも錯覚させることになる。
登場人物も多彩で、エスニック・ジョークもいっぱい。ターバン(イスラムを連想させる)を巻いた人質の老人がメッセージを持たされて解放されるが、犯人の一味と間違われそうになる。犯人は目くらましにアルバニアのホッジャ元大統領の演説を流すのだが、盗聴した警察はあわててアルバニア語が分かる市民を捜し、現れたタクシー運転手の女房が警察を手玉に取って笑わせる(「アルバニアもアルメニアも分からない」なんてセリフもある)。
狙われた銀行のオーナーが、過去にナチスやユダヤの富豪と関係をもっていたことが、何を狙っているのかはっきりしない強盗の目的とからんでいるらしいことが明らかになってくる。
多彩なのはエスニシティばかりじゃなく、映画そのものがいろんなジャンル映画のミックス。人質を取った犯人と包囲する警察の、発生から「解決」へと至るプロセスはアクション映画の定番(でも、ドンパチはないのでカタストロフィーには欠ける)。人質に犯人と同じジャンプ・スーツを着せて人質と犯人の区別をつかなくさせたり、にやりとさせる銀行からの脱出、ラストのオチ、そして人を一人も殺さないあたりは、『トプカピ』やなんかのトリック・面白系犯罪映画の味。そしてスパイク・リーらしい社会派映画でもあり、映画オタク出身らしい映画ネタも満載。
デンゼル・ワシントンが、ちょび髭を生やし下ネタ・ジョークを飛ばす刑事役をいつもと違った雰囲気で、ジョディ・フォスターがセレブ専門の鼻持ちならないWASPの弁護士役を、クライヴ・オーウェンが凶悪を装った頭脳犯の犯人役を、それぞれ楽しそうに演じている。
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